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作家の、目と、あたまと、手

 作家の能力というのは、なんなのだろう?

 今思っているのは、作家には、優れた「」「あたま」「」が必要だということだ。

 作家の「」というのは、「社会や世界をどのような視点で、どこまで深く見つめ、どんなことに気づくか」ということだ。
 例えば、川上未映子「ヘブン」や今村夏子「こちらあみ子」は、驚くほどに子供の視点で描かれている。僕たちはこれらの作品を見ると、「ああ、あの頃は世界がこんな風に見えていたなぁ」と懐かしかったり、古傷を思い出したりすることができる。これらは「どのような視点で」の秀作だ。
 他にも、夏目漱石やアンドレイ・ズビャギンツェフは、家族や恋愛をモチーフにしながら、急速に変動する社会に適応できない人間の脆さや孤独を描いた。これらは、「どこまで深く見つめ」の問題だ。
 このように、作家の「目」は、その作品の根底となるテーマを確立するために必要になる。

 作家の「あたま」は、「与えられたテーマを、どのような物語に仕立てるか」ということだ。
 これは分かりやすい作家の能力だと思う。朝井リョウは「頼れるもののない若者の不安感」というテーマを、部活のヒーローを失ってクラスの人間関係が崩壊していく様や、就活が上手く行かずもがき苦しむ大学生という物語に仕立て上げた。コーエン兄弟は、「古き良きアメリカが消え去り混沌の時代が始まる」というテーマを、無力な保安官と目的のない殺人鬼の物語として構築した。
 作家は、自分で見つけたテーマを自らの「あたま」で面白い物語として作り上げる。それは今まで味わってきた物語や自らの経験をもとに、受取り手の感覚を考慮しながら、「ウケる」ように形を整えなくてはならない。

 最後に、作家の「」だ。これは、「作り上げられたストーリーをどのように描くか」ということだ。小説でいえば、文章の書き方や構成の問題。映画でいえば、カット割りや撮影、音楽、照明の問題になる。同じストーリーだとしても、僕が文章を書くのと、素晴らしい作家が書くのでは、全く違う作品になるだろう。
 個人的には、カズオイシグロ「わたしを離さないで」は、そのテーマやストーリーも然ることながら、「手」が素晴らしい作品だと思う。まずで怪談を聞いているような臨場感と、背筋がぞくぞくする恐怖心は、素晴らしい文章力によって達成されている。

 作家の中には、「目なんてなくて、突然あたまに物語が浮かんできた」という人もいるだろう。ただ、そういう人も、無意識に色々「目」で見て、熟成されたものが「あたま」に浮かんできたのだと思う。
 日々を生きる中で、作家たちは色々なものを、普通の人たちよりも注意深く見て、今までの経験や知識をもとに面白い物語にし、センスと努力によって素晴らしい表現にする
 僕たちは、そういった過程を経て生まれた作品たちを感受することによって、自分の世界を広げたり、相対化したりすることができる。それは、きっと、僕たちの人生を少し豊かにしてくれる。

 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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