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新しく純粋なコトづくりの時代へ

 体調が悪くてベッドで寝転がっていたら、ふと「コトづくり」という言葉が浮かんできた。
 なんとなく、しっくりくるワードだ。ちょっと考えてみよう。

 最近の若者は「モノからコトへ」と価値観が変化していると、よく言われる。
 僕自身も、若者当事者として、コト重視な感覚もある。
 それはもちろん、ある程度のモノが簡単に揃うことが前提になっている。
 その状態を達成してくれた先達の方々には感謝しつつ、やはりコトがほしい。

 多分、コトはモノに比べて、持続性と固有性が強いのだ。
 モノは消費してしまえば終わる。ただ、思い出や経験というのは忘れない限り自分の中に残るし、忘れても無意識に自分の人格の一端になっている。
 そして、モノの使い方というのはその設計(アーキテクチャ)に大きく依存していて、自分だけの用法というのは難しい。コトはその幅がモノより大きい。例えば、エアコンを他の用途に使うことは難しいけれど、好きなアーティストのライブは友人との思い出にも、個人的な感傷にも使うことが出来る。
 多分、今の若者は、そういった持続性や固有性を求める傾向が強いのだ。
 もちろん日本においては、「あの経験」がモノの脆さや、人生の儚さを印象づけたということもある。
 
 それで、「コトづくり」というのは一つキーワードになるのでは、と思い検索してみたら、すでにゼロ年代後半には流行っていたようで、少し残念だった。
 ただ、僕の思っている「コトづくり」と一般に考えられているものとは違うようで、少し説明してみたい。
 
 一般的な「コトづくり」とは、「モノを使用・消費する際に得られる、固有の体験を作り出す」ということだ。UX(ユーザーエクスペリエンス)というワードがデザイン業界にはあるけれど、それに近い意味合いだと思う(もし違っていたらご指摘下さい)。
 つまり、現状の「コトづくり」は、モノづくりと一体不可分のものとしてある。言い換えると、モノづくりのアイデアとして、コトづくりという価値観を導入していると言っていいと思う。

 僕が思っている「コトづくり」は、モノづくりとは独立した、「純粋な経験の創造」だ。
 まだ、ぼんやりとしかイメージがないけど(だって、さっき微睡みながら思いついたのだ)、例えば、イベントの主催などは近いかもしれない。それだってハコが必要だし、純粋とは言い切れないかもしれないけど、今までの「コトづくり」よりはずっとコト寄りだと思う。
 田舎での短期移住とかも、運送サービスやその土地のサービスを利用しているけど、主役は「経験」だ。
 
 きっと、主役を「モノを使う」とこから、「コトを経験する」ということへと移動させることが、僕の考えていることなのだと思う。
 それが、これからの幸せにつながっていくんじゃないだろうか。

 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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