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Every child is wonder!

先日、映画"wonder"を観てきた。
とても素晴らしい作品だと感じたし、多くの人に観てほしいと思った。

映画の内容についてはなるべく触れずに、この映画を観て感じたことを書いていきたい。

主人公オギーは、特別な顔を持った男の子だ。
もちろん(というのが悲しいけれど)、通い始めた学校で、彼はいじめに遭う。

ただ、それをしているのは数人のグループのみで、ほとんどの子供たちは、オギーを遠巻きに見ている(あるいは、見ないようにしている)だけだ。
お姫様気質の女の子は、初めから自分語りに夢中で、別にオギーを差別したりはしないし、オギーのちょっとした親切で、親友ができる。

僕は、この作品が「困難を抱えた男の子が、その勇気と周りの温もりによって、懸命に生きていく物語」だとは思わない。
もちろん、それはこの作品の事実だし、一面ではあると思う。
ただ、この作品をそう捉えてしまうと、この作品が本当に伝えたいメッセージと矛盾してしまうと思う。

なぜなら、そう捉えることは、結局、オギーを「特別な存在」として「普通の子供たち」と区別してしまうことになるからだ。
この作品はそうじゃない。この作品は、「すべての子供たちが、ワンダーなんだ」ということを伝えてくれる。

それは、主体が入れ替わっていくという作品の構造にも現れている。


オギーをいじめていた男の子の事情。オギーを愛しつつも両親から放任されていることに寂しさを感じている姉の事情。姉の親友でありながら姉と距離をとる女の子の事情。
それぞれの事情が並列で描かれているのは、すべての子供たちに、それぞれの困難があるからだ。
それについて、「そんなの大したことないじゃないか」と周りが言うのは、傲慢なことだと思う。

子供たちは、それぞれの優しさと、周りの優しさで、少しずつ成長していく。
もちろん悪意も厳しさも共存している。それでも優しさでつながる関係は温かい。

“If you have a choice between being right and being kind, choose kind."
「もし、あなたに、正しくあることと、優しくあること、の選択肢があるなら、優しさを選びなさい」

物語の中でキーとなる言葉だ。
解釈は人それぞれだが、僕は「世の中のルールと、自分の良心が分かれる時には、自分の気持ちを信じなさい」という意味に思える。

例えば、いじめ。
教室内のルールに従うなら、傍観か加担するだろう。でも、そこで勇気を持って、自分の良心に従うこと。それがとても大切なことなんだと、この映画を見ると、素直に思える。

この映画も、「きれいごと」かもしれない。だけど、この映画に溢れている「愛」はきっと僕たちの周りにもあるものだと思う。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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