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不妊治療|私の解釈の問題ではなくて,よくないことだって思うから。

やり場のない気持ちがある。
少し落ち着いてきた代償に,目がしょぼしょぼする。
少し落ち着いてきた反面,抑えていた気持ちに気づく。


ーーー

不妊治療を始めて丸2年が経つ。
着床にすら至っていない。

やり場のない気持ちに居場所を与えてあげたくて,noteに吐き出した。存外にスキしてもらえて,救われた。それぞれに状況は違えど,悩んでいる人は,いっぱいいるんだよね。同じタイミングで不妊治療を始めた友人は半年ほどで妊娠した。彼女も不妊治療中はSNSが救いだったって言ってたっけ。


今回の件で,今まで抑えていた気持ちに気づいた。


管理職の勝手な配慮で,負担の少ないと思われる担当にさせられたとき

もしかして,おめでた?

どういうつもりで発言しているの?

って聞いてきた人は,一人や二人ではない。
女性だけではなく,男性にも聞かれた。


ふとしたときに

子供は何人いるの?子供は何歳?

なんで,いる前提なんだよ。

って聞いてきた人は,一人や二人ではない。


私が不妊治療をしていようがいまいが,いずれにしたって踏み込みすぎではなかろうかと思うわけだ。それでも聞いてきた人は,悪意があって発言しているわけではないと思うからこそ,どれだけもやもやしようとも,私の問題として処理しようとしたんだよね。

私の状況は聞いてきた人には関係ないわけで,私がどう受け取るか,っていうのは私が制御できることだから。他者は変えられないから,自分の解釈を変えることでしか身を守れなくて。


そうやってたくさんの気持ちを抑えてきたんだと思う。


小さなチクチクと,ときに大きなチクチクと。
大きなチクチクには気づけても,小さなチクチクは,私の問題として,私の解釈がおかしいことにして,なかったことにしていたんだと思う。

今回だって,大きなチクチクのはずなのに,最初は自分の気持ちに見て見ぬふりをした。自分の解釈を変えることで消化できる気になっていた。


不妊治療をしているからって特別に配慮してほしいとは思っていない。だけど,職場での話題として,仕事仲間として,個人に踏み込みすぎる発言は,よくないって思うようになった。私の解釈の問題ではなくて,「よくない」んだって。

不妊治療に限らず,いろんな背景を持つ人がいるはずだ。
そのすべてが尊重される必要がある。

私自身は,いろんな背景を想像できる人でありたい。
そして,自分が感じたチクチクは大きくても小さくても,ちゃんと自分の気持ちとして受け止めてあげたい。


明日は仕事に行く。
ちょっと怖いけど。



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