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思考の飽和点、叩き割れる石橋

思考の飽和点

 彼の思考はすでに、これ以上長く思い悩んでも一ミリも先に進まないポイントに達してしまっているのである。いくら考えても、もう新たなことに思いいたらない。
 このポイントを、ここでは「思考の飽和点」と呼ぶことにしよう。

Think clearly (ロルフ・ドベリ著、安原実津訳)より



どれほど不安になったって、
考えているだけでは何も始まらない。

自分の頭の中で考えているうちは、
何を考えても自由だし、批判されることもない。


だけど、考えているだけでは何も始まらない。



それこそ、頭ではわかっている。

だけど、行動に起こすことはエネルギーが必要で、その結果を自分で負う責任と覚悟が必要だ。

行動を起こさずに、行動を起こした誰かの結果を評価(という名の不躾な批判を)して、ああだこうだと知った口を叩くほうが楽だ。もちろん、自分のことは棚に上げて。

誰かの起こした行動から学んだ気になれる。こうすれば、こうなるんだって。で、行動した気にすらなる。何も行動していないのに。


私なんて、料理本を見ているだけで、料理した気になって満足できる。何か作ろうと思って読み始めたはずが、何も作っていないというのに。

材料をそろえて料理するというエネルギーも、
その結果を受け止める覚悟もいらない。

想像だけで完結する、私の料理。

想像では、いつだって上手だ。



何か行動を起こすって、怖いんだよね。
うまくいかないかもしれない、批判されるかもしれない、失敗するかもしれない、って。行動したあとのリカバリーが大変かもって、結局現状維持。


何が失敗だよって、それすらもよくわからないのに、いつの間にか叩きすぎた石橋は、もう渡れなくなっている。

だったら、渡っとけばよかったって後の祭り。



思考の飽和点に達したら、
あとは行動するのみ。

ほんのちょっとのことでもいい。
途中で石橋が壊れてもいい。

水深が浅かったら、歩けばいい。
深かったら、泳げばいい。



なんとでもなる。

あるいは、私がなんとかする。


とりあえず、行動してみる。



Think clearly
1.考えるより、行動しよう(p.23-p.28)


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