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必死で生きてきた時間で私はできている

18歳の頃、劇団の養成所に通っていた。

劇団の養成所とは毎日朝から通う学校のようなところで、演技、声楽、ダンスなどの授業を受ける。養成所を卒業すると劇団員になることもできるというシステムである。その養成所の演技の授業で主に教えてくれていたのは、かつて人気劇団を主宰していたという演出家の男性講師だった。ひと癖あるオーバーアクション、予想外に俊敏な動き、そして常にお腹から声が出ているその講師。私が生まれて初めて出会った「演劇の世界の人」だということもあってか、大きな影響を受けた。

影響を受けたのは演技やお芝居に対する考え方だけではなかった。ある時、何気ない会話のなかでその講師が言った「人見知りだったら接客業をするといい。人に強くなるから」という一言は、その後の私に大きな影響を及ぼすこととなる。

人に強くなるとは、人を怖がらずに関われるという意味で、それはお芝居をしていくうえで大切なことだ、というような事を言いたかったのだと思う。当時の私は、人と目が合うだけで顔が赤くなるような超ド級の人見知りだったから、「人見知りは接客業」は脳裏にしっかりと刻み込まれた。そしてその言葉は1年後、強力なパワーとなって私の背中を押す。生れてはじめて、飲食店で接客のアルバイトを始めたのだ。超ド級の人見知りが、である。

仕事をしていくうちに、店員という立場を与えられれば、人と接することのハードルは少し下がるということに気が付く。人見知りとは、日々多くの人と接することで人に慣れて改善することもあるようだ、とも。それどころか「天職かも」と思うくらい、接客業はなぜだか私に向いていた。

でも人生とはままならないものである。
人見知りを克服して、お芝居でも大活躍!とは、残念ながらならなかった。養成所を卒業してから入団した劇団は3年で退団。チケットノルマがさばけず、劇団内での人間関係はこじらせる。演じることは好きだったけれど、それだけで続けていけるほど甘くはなかった。何もかもが上手くいかなくなって、不貞腐れるようにやめてしまったのである。

養成所に通っていたころ通信制の高校生でもあった私は、きっと何者かになりたかったのだと思う。それが、いとも容易く挫折してしまった。お芝居のために始めたはずの接客の仕事の方が向いていたというのも、複雑だった。その後も接客の仕事を続けてそれなりに楽しかったのだけど、「もっと上手くできたんじゃないか」とずっとずっと、お芝居のことばかり考えては自分を責めてきた。大人になってもそんなものかと我ながら呆れるが、それはつい最近までである。

でもやっぱり、時の流れとはすごい。黒歴史さえ少しずつ変化させていく。あの頃の倍の歳になってようやく、距離をもって当時のことを思い返せるようになってきた。

演劇の世界に足を踏み入れていなかったら、と考える。
間違いなく、あの講師とは出会っていなかった。出会わなければ「人見知りは接客業」もなくて、私は接客業を選んでいなかったかもしれない。演劇の世界に踏み入れて講師に出会い接客の仕事をはじめて、私は人と接することは怖くないと知った。そして、その後の人生はずいぶんと生きやすくなった。

あの頃、ありったけの時間とお金を使って舞台を観ていたことだって、今の私と地続きだ。プロの役者たちのパワーに圧倒されて震えた瞬間が忘れられなくて、今もドラマや映画からパワーをもらって生きている。
舞台に立って客席からの反応を身体で感じたこと、一瞬だったとしても人前で表現することに自信を持てたこと、お芝居をしていなかったら私に起きていなかった出来事だ。それに通信制の高校を選んだ私を家から引っ張り出したのは、「舞台俳優になりたい」という気持ちだ。

出会った人たちからの影響と、必死で生きてきた時間が、今の私の土台なのだろう。自分の身体を見渡せば、叶わなかった夢ですら血肉となっている。そう思えば、失敗してしまった過去でさえちょっと愛しい。挫折したことに囚われすぎて、気が付くのに時間がかかり過ぎてしまった。


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