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左で戦うということ。


現在直面している大きな壁。


利き手交換を行ってから約1年半が経過した現在。
右でのこれまでの経験や残像が常に付き纏い、それらと現在の左での自分とを常に比較し、左での圧倒的な自信の無さが自身のパフォーマンスに大きな制限を掛け、本来出来るパフォーマンスを何一つ試すことなく、自分自身に勝つ事が出来ずに負けた、それがここ最近の試合の共通した大きな敗因の一つです。


生粋の右利きの人間が、左手にお箸を持ち換えて食事動作をする、それでさえ猛烈な違和感とぎこちなさ、難しさを伴うのは誰もが容易に想像出来ることだと思います。

それを勝つか負けるかの世界であるスポーツで、競技道具である剣を非利き手である左に持ち替える決断をした2020年7月。

2018年に負った右肘靭帯損傷という深刻な怪我は悪化の一途を辿る一方だった中で、"最後に必ず勝つ為に"どうすべきか考えた結果、利き手交換を行うという選択を決断しました。

いえ、それしかもう選択肢は残されていませんでした。

その決断自体がそもそも非常に勇気の要ることで悩みに悩んだ末に覚悟を決めました。
そして東京パラリンピックまで残り一年という時間的猶予が無い中での大きな変更は、余計なことを考える余裕さえ与えず、ただただやるしかありませんでした。

現在直面している問題は、最近突然降って湧き出た問題ではなく、その当時から潜在していたのです。それが、東京パラリンピックという大きな目標の一つが終わりを告げた途端、一気に形を成して顕在化してきたのです。そしてその要素がモチベーションというものを急激に低迷させました。

利き手を交換したことによって、右の時には意識することさえなかった"こんなことさえ"も、容易ではなくなりました。常に強烈な違和感とギャップに苛まれながらパフォーマンスをすること、そしてその中で勝負をするということの難しさと厳しさをこれでもかというくらい痛感しています。


何も知らない初心者の状態で利き手を使って始めることと、利き手を交換して左で始めることには雲泥の差があり、成長曲線は後者の方が圧倒的に緩やかになります。
そして、左でのポジティブなイメージや成功体験がないまま、それでも進んでいかなければいけないということに苦しんでいる自分がいます。
そんな、自分自身を信じられていない状況下で、他者の言葉を信じられるはずもなく…
しかしながら、この競技を続ける以上は左でやるという選択肢しかない自分にとって、それも含めて受け入れて向き合わなければいけません。

容易な道のりでないことは決断した時に既に分かっていた、つもりでした。ただ、その本当の意味での覚悟が出来ていなかったことによって今こうして問題に直面しています。
覚悟を決めたと言いつつも、常に右でのかつての自分の動きや経験と比較している時点で、実はちっとも覚悟を決めて受容することが出来ていなかったということに今頃になって思い知らされました。

それでもまた、今年の秋から次のパラリンピックに向けた選考期間がスタートします。現時点でも既に十分な時間は残されていないということです。


だからこそ、コーチやPT、そして競技生活を間近で最初から見守ってくれている知人と今大会後に色々と話をしました。
その中で、今の自分が最もすべきこととして言われたのは

「左での自信を構築していくのは勿論必須だけれど、まずすべきことは右で培ってきた経験に基づく自信とプライドを捨てること。」

という言葉でした。

左での経験値やそれに伴う自信の無さを問題視しつつも、右での経験やプライドこそが、左での新たな自信構築を大きく阻害していることを思い知らされました。
右での自分と比較している時点で、実は本当の意味での受容や覚悟をしきれていないことを表しています。

そして、

「ずっとそばにいる周囲の者達が今こうして厳しい言葉をそれぞれが口にするのは、自分が褒めの言葉や慰めよりも厳しい言葉を含めた叱咤激励を与えた方が伸びるタイプの人間であることを理解しているからこそ。他の選手たちの大半以上が、同じような
言葉の連続を投げかけられたら、決して保たないし辞めていく。でもそちらのタイプではないことを分かっているから、この壁も逆境として乗り越えて強くなれると信じてるから、厳しい言葉を心を鬼にして本人にあえて投げ掛けている。」

とも言われました。自分の中で納得しかなかったですし、その言葉を真っ直ぐに受け止めている自分が居ました。


もう右でやるという選択肢がない以上、左でやるしかない。
この競技を続ける以上、もう右での自分と比較して現状を嘆いていてもその先に得られるものはないということです。

障害を負った当時もそうであったように、もうそうなってしまった現実は変えようがありません。

失ったものを数えるのではなく、残されたものを最大限に活かして前に進むしかない、そう覚悟を決めて再び歩み始めた13年前の当初の自分の記憶が思い起こされました。

ただ一つ言えるのは、あの時の人生最大の喪失経験と比べれば今回のものは比にならず、十分乗り越えられるレベルの障壁だと思えるということです。


必要なのはあと少しの覚悟と勇気。


右での過去の自分と、左での現在の自分との対峙。
そしてそれらは決してイコールにはならないことを今一度自分で理解しなければいけません。

苦しくて辛くて苛立ってフラストレーションが溜まって当然の、普通では有り得ない選択をしているのだから、今の心理状況は当然のことだと認める必要があります。

実際に、この競技に取り組む世界中の選手達の中で、少なくとも自分が競技してきたこの7年間で途中で利き手交換をしたという選手は一人も見たことも聞いたこともありません。

ましてや、腰椎の左側方から挿入されているボルトやプレートに加え、胸椎の左側方から挿入されている脊髄刺激装置、元々異常感覚が強く慢性的な神経因性疼痛を抱える左でのプレイ。

実はそれくらい特別なことを自分は選択しているのだから、こうして苦しむのは客観的に捉えれば当然のことなのです。

Photo By Yuka Fujita

東京パラの選考が始まる2018年11月の半年前まで脊髄の感染症による長期入院で、競技は疎か日常生活さえまともに送れていなかったあの経験も、これを機に思い返しました。

競技はいつ再開出来るのかと訴えたら、命の方が先決だという次元であることを理解しろ、と普段とても穏やかだった主治医が声を荒げて言い放った当時。
あの時、命の保証すら危うい中で競技復帰出来ないかもしれないという不安に苛まれながら、それでも復帰を遂げて結果を残すことが出来たのだから、利き手交換という現在立ちはだかる壁は今の自分が思ってる程は実は大きくないのかもしれません。 



この先も間違いなく何度も悩み、苦しみ、辛さを感じながら非利き手でのプレイに向き合っていかなければいけません。

それでも左で結果を出すと決めた以上は、それらは当然のことであり、必然的な条件なのだと受け入れて取り組んでいくしかないのです。


そう、最後に必ず、勝つ為には。


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