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ローカルからコミュニケーションをひらくセレクトショップ:「拡張するファッション演習」フォーラム「循環する社会へ」(浦安藝大)

トップ画像 撮影:Nagisa Yokoyama

フォーラム「循環する社会へ」

2023年10月27日、各地でセレクトショップを営むオーナー3名をお迎えして、「衣服とファッションをつくる人・売る人・着る人の循環」について考えるためのフォーラムが開催された。

原宿の名物ショップディレクターから、WEBショップ&葉山の自宅公開型店舗へ転身した矢野悦子さん。播州織産地の畑で綿花を育てる活動を10年間続ける大阪・中津のセレクトショップ・オーナー北原一輝さん。こだわりの古着と世界中からセレクトした服を揃え、Nishinari Yoshioを買い付ける東京・平和島のバイヤー兼経営者の石井大彰さん。服と人の関係の未来を予感させる3店舗を営む3者をゲストに迎え、衣服とファッションをつくる人・売る人・着る人の循環をともに考えていきます。

10月27日(金) トーク「循環する社会へ」西尾美也+林央子

ファッションにおける「循環」というと環境負荷の高いアパレル産業の実情を考える会のように聞こえるが、今回の内容はそうではなく「衣服を媒介にした、人と人とのつながり=循環」について考える好機となった。今回参加してくれたのは、いわゆるファッションの中心地ではない、「ローカル」な場所でセレクトショップをいとなむ3名である。

「拡張するファッション演習」キュレーター・林央子とディレクター・西尾美也
(撮影:Nagisa Yokoyama)

人と人が交わる場としてのセレクトショップ

はじめにお話しをしてくださったのは、葉山のセレクトショップ「September Poetry」の矢野悦子さん。もともとは原宿で根強い支持を得ていたセレクトショップ「Lamp Harajuku」で長年ディレクターをされてきた矢野さんは、現在は2カ月に1度程度の頻度で自宅をお店として開放しているという。あるときから都会での生活ではなく今の形の暮らしかたを実践してきたという矢野さんは、セレクトしているブランドのアーティストとお客さんとのつながりを最も大事にしている。彼らと思い描く「心地よい暮らし」を共有する場、つまり点と点としてバラバラになっているものを線でつなぐのがセレクトショップであるという。

「September Poetry」オーナー・矢野悦子さん
(撮影:Nagisa Yokoyama)
矢野さんがセレクトしている作家スーザン・チャンチオロのよるTシャツ
(撮影:Nagisa Yokoyama)

大坂中津から浦安に来てくれた北原一輝さんは、証券会社勤務を経て現在「itocaci」というセレクトショップを営んでいる。彼は洋服をセレクトするだけでなく、仲間やお客さんと一緒に綿花を育てる実践を10年近く続けてきたという。北原さんの「お客さんを楽しませたい」という純粋な思いがそれを可能にしたのだろう。綿花を育てるにあたり、農家のおじさんともつながった。いまではおしゃれを入り口にではなく、農業を入り口にファッションに参与することも可能になっているようだ。(*農家さんのなかには綿花の種を(まるで現在社会におけるお金の融資のように)貸し付ける「バンク」と呼ばれるおじさんがいるようで、綿花の種を貸し付け、収穫したらその借りた分の綿花の種を返却するということも行われているという)

「itocaci」オーナー・北原一輝さん
(撮影:Nagisa Yokoyama)
北原さんの行う綿花栽培でとれた綿花
(撮影:Nagisa Yokoyama)

平和島で「loose」というセレクトショップを営む石井大彰さんは、もともとその地域出身で、その土地柄地元の人が多く集まるお店に育ってきたという。「拡張するファッション演習」ディレクター西尾美也さんと大阪・西成地区の高齢者の方とのブランド「Nishinari Yoshio」を買い付けるにあたり、石井さんは「予期せぬズレ」も楽しんでいるという。特にデイリーウェアの需要が高いらしく、天然繊維にこだわりをもつ「MITTAN」というブランド(修理や染め直しなどのアフターサービスが充実した気鋭のブランド)や、残反(衣服を量産する際余ってしまう布)を利用したオリジナル製品を生産している。さらには障害者生活実習の一貫でできうるファッションの仕事(ベンガラ染めなど)を生み出すなど、生活に密着し精力的な活動を行っている。

「loose」オーナー・石井大彰さん
(撮影:Nagisa Yokoyama)
ベンガラ染めのTシャツ
(撮影:Nagisa Yokoyama)

地元(ローカル)でお店をつくるということ

3名のお話をうかがって、林央子さんは「ファッションは『地元(ローカル)』から抜け出すための手段だと思っていた」というかつての思いを問題提起として提言してくれた。

たしかに、多くのファッションブランドは都心で活動するようなイメージが未だに存在する。それは多くのグローバルなファッションショーが首都圏で行われていることに起因するかもしれない。「ローカル」の字義的な対義語は「グローバル」であるが、世界を目指すためには(よく「上京する」というように)できるだけ多種の人々と関われる(ような気がする)都会で活動し、都会に集中するマスメディアに注目され、世に発信されることが必要なようにかつては思われていたようである。

しかしながら、現在の「脱マスメディア」的状況のなかでは、必ずしもその必要はないのかもしれない。私の(大)恩師のひとりである哲学者の室井尚先生が晩年行っていた研究が「脱マスメディア時代のポップカルチャー美学」であり、そのなかで最も注目していたのがヴィレム・フルッサーの「コミュニケーション学」だった。そこには、私たちがどうしてつながりたいのか、またどのようにつながっているか、その理論が綿密に編まれている。

フルッサーの「コミュニケーション学」

人はなぜコミュニケーションを、つながることを欲望するのか? フルッサーは「人間が他の人間とコミュニケートし、〈ポリス的動物〉とされるのは、人間が社会的な動物であるからではなくて、孤独で生きることのできない動物であるからだ」(ヴィレム・フルッサー『テクノコードの誕生』4頁)と述べている。

フルッサーはコミュニケーションには「言説」と「対話」の構造があると定義し、その2つを以下のように分けている。

対話的なコミュニケーション形式(2つの「対話」構造)
「情報を生み出すために人間は既存のさまざまな情報を交換する」
言説的なコミュニケーション形式(4つの「言説」構造)
「情報を保存するために、人間は既存のさまざなな情報を分配する」

ヴィレム・フルッサー『テクノコードの誕生』12頁。

以下、それぞれののコミュニケーション形式について図を引用しながら紹介する。

4つの「言説」構造

「劇場型言説構造」:教室、コンサートホール等。受信者は送信に直接答えることができる。
「ピラミット型言説構造」:軍隊、行政、権威。情報の忠実な伝達にかかわる。
「樹木型言説構造」:出版された本や論文を通し、情報の伝達がヒエラルキーを超える。「科学技術や絶えざるコード変換」、「ピラミット型言説構造」を複雑にしたもの。
「円形劇場型言説構造」:不死の発信者(マスメディアなど)が永続的に発信つづける。

2つの「対話」構造

「サークル型対話構造」:ラウンドテーブルや委員会、閉じた会議。「閉じた円環」。「特権的なコードに従属し、決定を行なうだけ」。
「ネット型対話構造」:インターネットだけでなく昔からある井戸端会議など。「焚き火を囲む狩人たちの雑談のようなもの」。

井戸端会議の重要性

アンディ・ウォーホルは「誰でも15分だけ有名になることができる」と語っているが、マスメディアの発展はその当時の芸術を広く知らしめ発展させる役目を大いに果たしていたと言えよう。それは上記の言説構造の「円形劇場型言説構造」のモデルが当てはまる。

しかしながら、SNSが発達した現代において、それのみが権力を持っているわけではないことは私たちはみんな知っている。ただ、時代は変わってもフルッサーの述べている「孤独」には私たちは抗えないままでいる。そこで重要なのが対話の構造であり、上記でいう「ネット型対話構造」のような、「明日、何狩る?」のような、些細だけれども営みに直結する対話なのだ。そのことはコロナ禍でSlackやZoomのコミュニティ空間にいきなり押し込められた私たちならその貴重さがわかるはずだ。

セレクトショップから世界へ「循環」する

コミュニケーションには「言説」を保存するコミュニティもたしかに必要だが、より重要なのは「対話」を促進するコミュニティ、特に井戸端会議的なコミュニティ(=「ネット型対話構造」)なのではないだろうか。

セレクトショップはまさにその井戸端会議的な人と人とのつながりがあるように感じられる。まず、お客さんはそのショップのセンス(感覚や関心)を感じ取ることでまず一つのコミュニケーションを行っている。そして、ショップ店員さんとの会話によって、モノの背景にある作家(アーティストやデザイナー)の思いや生活を受け取る。また、お客さんからのお話もまたショップ店員さんが受け取る何よりも信用に足る情報となり、作家にフィードバックされるだろう。

今回のフォーラムに参加してくださったセレクトショップのオーナーのみなさんはそれぞれ、その土地やそこでの暮らしに密着した取り組みをされている。セレクトショップは地元の井戸端会議の場所なのではないかと思うと同時に、いまやSNSでその魅力を世界へ届けることもできるのだと実感した。先述した室井尚は、フルッサーの思考を現代版に発展させ、「インターネットのマスメディア化」を提唱し、現代は「ネット型対話構造」と「円形劇場型言説構造」のハイブリッドであると主張していた。

「ネット型対話構造」と「円形劇場型言説構造」のハイブリッド
(室井尚)

私たちは「ネット型対話構造」の上で自由に複数の「円形劇場型言説構造」の情報を得たり、自ら発信することもできるのである。いまや、ファッションは「グローバル」であるために「ローカル」を諦める必要はないし、そのまた逆も然りである。

浦安でなにができるのか?

今回、各地からセレクトショップのオーナーのみなさまに集まっていただき、どこで暮らしていてもその地の魅力とともに、暮らしをあきらめることなく「居場所」としてのお店をつくることができることがわかった。西尾さんは「住み開き」という言葉を使って矢野さんの取り組みを表現したが、もちろん私たちもどこでだってやりたいことをやりたいようにやることができることが再確認された。

では浦安ではなにができるのか? 浦安は日照時間が長いという情報があるが(筆者は確証的なソースをまだ見つけられていないが)、現在浦安ではすでに「浦安日傘」という活動をされている方がいることを林さんが発見している。instagramではその活動の一端を垣間見ることができる。

「浦安日傘」は個人の活動であるが、こうしてSNSで発信することで、ローカルから発信し、コミュニケーションの場を作ることももはや可能なのだ。そう考えれば、(少しの行動力と大きな勇気などがありさえすれば)やりたいことはやりたいように、いつだってできる上、同じ志を持つ世界の誰かとつながり循環していくことが出来るのではないだろうか。

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