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シリーズ「ヤル気を伸ばす」(その6):「取り入れ」と「内在化」

■「取り入れ」と「内在化」の違い

人は、社会的なルールや規範を覚え、それに則って行動しない限り、その社会では生きていけません。こうした社会的ルールや規範を守るよう仕向けることを「社会化」と呼びます。社会化の主な担い手は親・教師・上司(管理職)といった人たちです。こういう人たちがどのように社会化を行なったかによって、その対象者がどのように社会的規範を遵守しているかに、次の2通りあると言われています。

○取り入れ:社会化の促進者の言うことを鵜呑みにし、そのルールや規範の理由や重要性をあまり考えずに、ただ言われるがままに遵守している。いわば、その人の内部にそのルールや規範があるのではなく、ルールや規範の中にその人が存在する、という状態。

○内在化:そのルールや規範の意味を納得し、それを守ることの重要性を理解し、人に言われなくても自律的・自主的な行動規範としている。いわばそのルールや規範が、真理、倫理あるいは美意識として、その人の内部にしっかり根づいている状態。

私はあるとき、こんな場面に出くわしました。仏教の対立する宗派の信者同士が、出会ってはいけない場所で偶然出会ってしまったのです。その二つの宗派は、仏教解釈において相容れない教義を持っています。つまりいくら議論しても平行線をたどるだけです。
その根本的な部分で、出会い頭に一方がもう一方を激しく攻撃します。もう一方の人は、議論が平行線をたどることを知っていて、攻撃してくる相手をなだめようとします。攻撃をしかけてくる方は、まだ若い青年で、いかにもごく最近入信した、という様子で、先輩信者か誰かから教わった教義に対して絶対的な信仰心を抱いている、という事情が見て取れ、口角泡を飛ばすかたちで、持論をまくしたてています。「正しいのは私たちだ。お前たちは絶対的に間違っている」というわけです。この青年は、持論をまくしたてながら顔を赤くしたり青くしたりで、しまいに大量の冷や汗をかき始め、今にも倒れそうになる、という場面さえありました。
つまり、この青年は明らかに宗教的教義に対して「取り入れ」を起こしているのです。言い換えるなら、(一時的にでも)その教義に自己が乗っ取られている状態です。宗教的なイデオロギーにマインドコントロールされている、と言っても過言ではないでしょう。
一般的に、社会化の促進者たち(この場合、宗教的な教義を守らせようとする先輩信者など)が、「自分たちの規範(信仰)こそが絶対的なものである。それ以外は偽物だ。これを信じる者は救われるが、信じない者は地獄に落ちるであろう」式の、極めて統制的なかたちで社会化を行なった場合、人は「取り入れ」の状態にとどまり、「内在化」にまでは到達しないでしょう。もちろん取り入れの状態は、不適応行動を起こす原因となります。

したがって、問題はいかに「取り入れ」を避けながら「内在化」を促すか、ということです。
もちろん、社会化の担い手たちが、その人に対し、ただ頭ごなしに「ルールを守れ。守るなら褒めてやる。守らないなら罰する」といった具合いに対するなら、その人はただ単にルールを「取り入れ」るだけでしょう。
では、どのような条件を満たせば、内在化を促進することができるのでしょう。
前回に引き続き、エドワード・L. デシ博士の研究グループが行なった実験をご紹介します。

■実験7:動機づけには3つの条件が有効

●前提条件:
今回の実験は、学生だけではなく様々な対象者をランダムに含むかたちで行われた。
課題として、被験者に、コンピュータの画面に小さな光点が現れるのを見つめてもらう。
ソマ・パズルのときと同様、実験時間以外の自由な時間に課題に取り組んだ時間を測定する。
今回はグループを3つに分け、課題を説明するにあたり、次の3つの説明様式をすべて含めた場合と、一部だけ含めた場合と、まったく含めない場合の3パターンに分ける。
○この実験は、被験者の集中力を高める目的があり、航空管制官の訓練に使われる課題とほとんど同じであるということ。
○この実験は確かに退屈であり、本人はあまりやりたがっていないかもしれないと認めてあげるということ。
○説明の言葉から統制的要素をなるべく排除し、選択の余地があることを強調した言い方にするということ。

●結果:
3つの説明様式をすべて含めた場合が、自発的なヤル気がいちばん高かった。なおかつ、被験者はその課題に取り組むことに自由を感じ、作業を楽しみ、それを個人的に重要であると思うようになった。
一方、3つの説明様式がまったくない、あるいは一部しかない場合は、自発的なヤル気が低く、さらに自由も感じないし楽しくもないし重要だとも思わずに行動していた。

●結論:
統制的なやり方でも、ある程度の内在化を生み出すことができるのかもしれないが、統制的な状況下では、個人の自由意志を尊重し、自律性を支援する状況下に比べて内在化が少ないし、たとえ起こったとしても、部分的な内在化、つまり単なる取り入れにすぎない。
社会化の担い手である両親や教師や管理職の仕事は、社会の効果的なメンバーになるために必要なことを、たとえそれが退屈なことであっても、やってみるように励ますことである。しかし実際には、われわれ(社会化の促進者)の仕事は単に彼らが活動に取り組むよう励ますだけではすまない。もっとずっと困難なものである。われわれのほんとうの仕事は、彼らが自分自身の意志で自主的に活動に取り組むよう促すことであり、それによって将来、われわれが側についていて援助の手をさしのべなくても、彼らが自由に活動できるようにすることである。

●教訓:
人があまりやりたがらない事柄を内在化する場合、次の3つの働きかけがその度合いに大きく影響することがわかりました。
○それを実践する合理的な理由を与える。(「そのルールを守ることにはこんなメリットがあり、守らないことにはこんなデメリットがある」など)
○あまり乗り気ではないという本人の気持ちを認める。(「自分もかつては守ることがイヤだった」など)
○統制的にならずに、選択の自由を強調する。(どこまでの自由裁量が許されているかの範囲を明確にする、など)
確かに、社会化の担い手にとって、この3つの条件を常に満たしながら、子どもや教え子や部下に対することは、決して容易いことではありません。ただ単に「ルールを守れ。守るなら褒めてやる。守らないなら罰を与える」と言うのは簡単です。その代わり、安易な方法で対するなら、いつまでたっても「内在化」は起こらず、「社会化」という作業はあなたの手を離れず、「不適応行動」に対する「火消し」に追われることになるでしょう。

※参考:エドワード・L. デシ/リチャード・フラスト著「人を伸ばす力」新曜社

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