見出し画像

あらゆる二元論を超えることで進化は起きる

あらゆる二元論を克服することによって、人は人間の幅を広げ、成長する。
自己と他者、内面と外面、男と女、昼と夜、善と悪、神と悪魔、天国と地獄、公と私、氏と育ち、心と体、右脳と左脳、科学と非科学、因果論と目的論、見えるものと見えないもの、理想と現実、私とあなた・・・。(無作為に列挙したが、厳密に言うと、これらの二元論には、ある程度のカテゴリー分けがあり、取り組みには優先順位があるだろう)
結論から先に言うと、最後の最後に克服すべき二元論は「超越性(超えること)と内在性(含むこと)」である。
これら「AとB」という二元論を克服するとは、「AでもありBでもあるという性質を持つ、AでもBでもないものを創出する」ということだ。これを「進化」と呼ぶ。
二元性・対極性を統合することは、すべての人間に課せられた成長課題だ。この課題を免除される人間はいない。

ある二元論を克服できないでいると、そこの部分にある種の「症状」ないし「病理」が現れる。
たとえば、自分の「内なる女性性」を統合できていない男性は、男としてみなされても、「成熟した大人の男」としてはみなされない。そういう男性の意識は偏狭で凝り固まっていて、女性を全人格的に見ることができない。それはまさに、自分の一部を認めていないということだ。そういう男性は、女性を一種の「道具」とみなし、「道具の使い勝手」という観点で女性を評価する。その意識状態が嵩じると、ある種の「病理」にまで発展しかねない。それで道を踏み外す男性は後を絶たない。もったいない人生だ。

冒頭に挙げた二元論を克服するには、それぞれ個別の取り組みが必要だが、克服のプロセスには共通の段階がある。
まずは、二元性・対極性が未分化な混沌とした状態から始まるだろう。その状態にはいずれ限界が生じる。そこから統合のプロセスが始まる。
ステップ1:二元性・対極性の一方だけを見る。
ステップ2:両方を見て一方を選ぶ(この段階で「シーソーゲーム」を繰り返す場合もある)。
ステップ3:両方を見て両方を同時に選ぶ(この段階で「シーソーゲーム」は終了する)。
ステップ4:両方を1つの全体へと統合する。
この4つの段階はどれもはしょれない。
また、1~3は不安定な状態であることもわかるだろう。これらの段階でとどまったままの状態は、その段階特有の「症状」や「病理」を引き起こしかねない。先に挙げた、内なる女性性を統合できていない男性は、ステップ1~2にとどまっていることを表す。

この4つの段階が如実に表れる例を示そう。
「性同一性障害」の人の、アイデンティティの変遷を見てみよう。
「性同一性障害」の人は、心の性と身体の性が一致していない状態だ。最初は、自分がどちらの「性」なのか未分化な状態から始まるだろう。

ステップ1:最初は心の性か身体の性かどちらか一方(おそらく心の性)だけを意識するようになり、もう一方は潜在意識の中に眠った状態になる(だからこそ、身体の性に違和感を覚える)。
ステップ2:いずれ両方の性を意識し始めるが、両方を見た上で、どちらか一方を選んでいる状態が続く。この時点で、性別適合手術などを行う人もいる。
ステップ3:身体の性を心の性に合わせたとしても、二つの性がどちらかに取り込まれたわけではないことに気づき、両方を見て両方を同時に選ぶようになる。
ステップ4:両性を同時に選ぶことにも限界がやってきて、それも最終的な答えではないことに気づく。やがて、両方を1つの全体へと統合する「第三の性」に向かっていく。つまり「男でも女でもあるが、全体的には男でも女でもない第三の性が創出されている」状態ということだ。それは「生命は物質の集合体だが、物質を超えてもいる。つまり物質をどれだけ集めても生命にはならない」というのと同じである。

「性同一性障害」の人は、おそらく一人の例外もなく、このプロセスを経て最終的なアイデンティティを獲得するだろう。その努力は、生涯続くはずだ。
もうお気づきのように、このプロセスはあらゆる男性、あらゆる女性に起きるべきプロセスでもある。

冒頭に列挙したすべての二元論も、例外なくこの4つのプロセスを経て統合される。
二元論の数だけ「登山のルート」がある。その山はあなたしかのぼることのできない山だ。ただし、それぞれのルートの途上で見える景色は異なるとしても、「高度」には共通性がある。
すべてのルートを辿り終えて、山の頂上に立ったとき、そこから見える景色は同じだろう。つまり、すべての山が見えるのだ。それすなわち「全て」である。そして「全」とはすなわち「空」である。


無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。