見出し画像

乳のみにて生きるにあらず

現在のモンゴル高原にあたるユーラシア大陸中央部には、かつて巨大な国が存在していました。おそらくは歴史の授業ですこし耳にしたことがあるかもしれませんが、匈奴の築いた遊牧国家 (紀元前3−紀元後3世紀ごろ) や、チンギス・ハーンのモンゴル帝国 (紀元後13−15世紀ごろ) が、そうしたものにあたります。家畜を放牧して、乳製品を食べ、馬に乗って早く長い距離を移動する「遊牧民」が、広大な地域を治めていました。現在のモンゴルに対する一般的なイメージも、馬に乗って牧畜をする「遊牧民」というものではないでしょうか。

しかし、こうしたイメージ先行の過去の「遊牧民」の実態については、最近の考古学の研究によって疑問も呈されてきました。巨大な国のすべての人が牧畜によって食物を得ていたというより、内部には多様な文化や経済があり、農耕や交易によって、実は家畜の乳や肉以外のさまざまな食物も手に入れていたのではないかというものです。実際、農耕に使う道具や、炭化した穀物などが、モンゴルの過去の遺跡から次々と発見されているのです。

今回紹介するのは、過去の人骨を分析して生前食べていた食物を推定することにより、モンゴルにかつて存在した巨大な国の人びとは、たしかに畜産物以外の食物を食べていたことを示した研究です*1。


雑穀の摂取の増加

Wilkin博士たちの研究グループは、紀元前4400年から紀元後1375年にわたる、モンゴルの60の遺跡から発掘された137個体の人骨の骨と歯を安定同位体分析し、食資源の時代変化を調べました*1。安定同位体分析とは、重さの異なる元素がどれだけ体組織に含まれるかを調べることで、その個体の生前の食資源を推定する手法です。この研究では特に、モロコシやアワといった寒冷な乾燥地帯でもよく育つ雑穀の摂取割合が調べられました。

その結果、モンゴルに巨大な国が成立した匈奴やモンゴル帝国の時代には、それ以前と比べて、こうした穀物の摂取割合が増加していることが明らかになりました。カロリー寄与を推定すると、以前は最大でも5.5%だったのが、匈奴やモンゴル帝国の時代には最大26%になるという結果も得られました。また、匈奴やモンゴル帝国の時代には、個体ごとの食資源の違いも大きくなっていました。

こうした結果から、Wilkin博士たちは、モンゴル高原に巨大な国が成立した時期には、人びとの食資源が多様化したと考察しています。牧畜に大きく依存する遊牧民というイメージに対して、穀物などの食資源を利用することで安定した食物供給を可能にしていた姿が浮かびあがってきます。


終わりに

モンゴルをはじめとするユーラシア大陸の中央部は、現在、生物考古学分野で大きな注目を集めている地域です。特にヨーロッパの研究グループが、ヨーロッパ内のめぼしい考古資料をあらかた分析し終わり、東に地続きになっているユーラシア中央部に目を向け始めています。今後、この広大な地域の過去の歴史について、さらなる事実が明らかになってくることでしょう。

(執筆者: ぬかづき)


*1 Wilkin S, Ventresca Miller A, Miller BK, Spengler RN, Taylor WTT, Fernandes R, Hagan RW, Bleasdale M, Zech J, Ulziibayar S, Myagmar E, Boivin N, Roberts P. 2020. Economic diversification supported the growth of Mongolia’s nomadic empires. Sci Rep 10:3916.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?