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ヒト以前の離乳事情

子育てをしていると、いや、していなくても、粉ミルクやベビーフードのなかった昔、子供は何歳までおっぱいを飲み、どんなふうに離乳してんだろう? という疑問がわいてきます。授乳・離乳は子供と母親の健康だけでなく、集団の死亡率と出生率などにも大きな影響を与えますので、このような疑問は人類学的にも重要です。過去の授乳期間や離乳食を調べることで、当時の人びとの生き様をより深く理解できるのです。

過去の離乳事情を研究する際には、炭素と窒素の安定同位体分析がよく使われてきました。母乳や特定の離乳食は、窒素や炭素の安定同位体を比較的多く含んでいます。母乳や特定の離乳食がどのくらい多く摂取され、安定同位体のシグナルが歯や骨などの体組織にどのくらい反映されているかを、子供の年齢に応じて調べることで、対象とした集団や個人の授乳・離乳の履歴がわかるのです (参考: 違う場所に子供を埋める)。

しかし、炭素と窒素の安定同位体を用いるこの方法には、わりと最近 (現在から1万年前くらいまで) の離乳事情しか明らかにできないという問題がありました。もっと古い人類資料では、分析の対象とする有機質 (コラーゲンタンパク質) が分解されてしまって抽出できないためです。しかし、人類進化にともなう離乳事情の変化を明らかにするには、数十万から数百万年前の授乳・離乳を復元する必要があります。

最近になって、数万年より昔の人類について、授乳期間や離乳食を推定できる新たな手法が登場してきました。今回の記事では、そうした研究の最新の成果をまとめて、ホモ・サピエンスより昔の離乳事情がどうだったかを解説します。

バリウム濃度

歯のエナメル質の無機質に含まれるバリウムの濃度を測定することで、離乳年齢が調べられます。母乳にはバリウムがほとんど含まれないため、乳幼児のときに形成されたエナメル質のバリウム濃度は、離乳によって増加するのです。歯のエナメル質は置換しないため、大人であっても子供のときの授乳・離乳の記録を反映しています。さらに、歯は連続的に成長していくため、微細に分析することで、日〜週単位で離乳の記録を明らかにできます。

バリウム濃度を調べる方法は、これまで主にネアンデルタール人に応用されています。2013年の研究では、ベルギーのスクレン洞窟 (Scladina cave) から発掘された約8万〜12.7万年前のネアンデルタール人の歯が分析されました*1。8歳で亡くなったこの個体は*2、生後7ヶ月半 (227日) くらいまで母乳ばかりを摂取し、その後離乳が始まり、生後1歳2ヶ月 (435日) くらいに離乳した (おっぱいを飲まなくなった) と推定されました。

フランスのペレ (Payre) から出土した約2.47万年前のネアンデルタール人の第一大臼歯では、バリウム濃度の分析によって、2.5歳くらいまでに離乳が終わっていたことがわかりました*3。また、生後2.5〜9ヶ月や2歳1ヶ月以降などに鉛の暴露にさらされていたこともわかりました。

また、イタリア北東部の約7〜5万年前の遺跡から出土した3個体のネアンデルタール人の乳歯のバリウム濃度を測定した研究では、生後5〜6ヶ月後 (115日、160日、140日以降) に離乳が始まる (母乳以外の食物を摂取し始める) ということが示唆されました*4。

最後に、南アフリカのステルクフォンテイン (Sterkfontein) から出土したアウストラロピテクス・アフリカヌス (約200–300万年前) の第一大臼歯と犬歯のバリウム濃度を測定した研究が2019年に出版されています*5。分析の結果、生後6〜9ヶ月間は食物に占める母乳の割合が高く、4〜5歳まで母乳を摂取していたのではないかと推定されました。


カルシウムの同位体

カルシウムの安定同位体の存在比の推移からも、授乳・離乳パターンが復元できます。母乳にはカルシウムの同位体が比較的少なくしか含まれないことがわかっています。そのため、授乳中は乳幼児の歯エナメル質のカルシウム同位体比が低く、離乳が始まると増加し、母乳をまったく摂取しなくなると大人と同じ値になると期待できます。

このパターンを利用して、初期ホモ属 (約200万年前以降のアフリカに生息) 7個体、アウストラロピテクス・アフリカヌス (約370-200万年前のアフリカに生息) 12個体、パラントロプス・ロブストス (約200-100万年前のアフリカに生息) 18個体の離乳パターンが推定されました*6。これらの化石人類の標本は非常に貴重であるため、成長線を観察するための歯の切断は行なわれず、表面に小さな穴をあけて粉末を採取する方法がとられました。その結果、初期ホモ属は生後数年間かなり母乳を摂取していたが、アウストラロピテクスとパラントロプスではそうではなかった (母乳摂取量が比較的小さいか、授乳が短期間で終わる) と推定されました。


新しい方法の問題点

バリウム濃度やカルシウム同位体の分析によって、化石人類の授乳・離乳パターンについての研究もなされるようになってきました。しかし、これらの新しい方法には問題もあります。それは、授乳や乳幼児の発達にともなうバリウムやカルシウムの代謝動態がまだよくわかっていないことです。

たとえば、バリウム濃度は、栄養ストレスによっても増加することがわかっており、離乳にともなう濃度の増加と栄養ストレスによる濃度の増加を区別できません*7。また、カルシウムの同位体は研究自体が少なく、食物や分類群の違いによる影響が授乳・離乳のシグナルを覆い消している恐れもあります。研究事例もまだ少ないため、上述の研究成果は、化石人類の実際の授乳・離乳パターンをどこまで正確に反映したものなのか未知数なところがあります。

現代での実験などを通じて新しい方法がさらに検討され、応用例が増えることによって解釈の正確性が増すことで、将来、ヒト以前の化石人類についても、より正確な離乳事情が明らかになってくることでしょう。

(執筆者: ぬかづき)

*1 Austin, C., Smith, T.M., Bradman, A., Hinde, K., Joannes-Boyau, R., Bishop, D., Hare, D.J., Doble, P., Eskenazi, B., Arora, M., 2013. Barium distributions in teeth reveal early-life dietary transitions in primates. Nature. 498, 216–220.

*2 Smith, T.M., Toussaint, M., Reid, D.J., Olejniczak, A.J., Hublin, J.-J., 2007. Rapid dental development in a Middle Paleolithic Belgian Neanderthal. Proceedings of the National Academy of Sciences. 104, 20220–5.

*3 Smith, T.M., Austin, C., Green, D.R., Joannes-Boyau, R., Bailey, S., Dumitriu, D., Fallon, S., Grün, R., James, H.F., Moncel, M.H., Williams, I.S., Wood, R., Arora, M., 2018. Wintertime stress, nursing, and lead exposure in Neanderthal children. Science Advances. 4, eaau9483. 

*4 Nava, A., Lugli, F., Romandini, M., Badino, F., Evans, D., Helbling, A.H., Oxilia, G., Arrighi, S., Bortolini, E., Delpiano, D., Duches, R., Figus, C., Livraghi, A., Marciani, G., Silvestrini, S., Cipriani, A., Giovanardi, T., Pini, R., Tuniz, C., Bernardini, F., Dori, I., Coppa, A., Cristiani, E., Dean, C., Bondioli, L., Peresani, M., Müller, W., Benazzi, S., 2020. Early life of Neanderthals. Proceedings of the National Academy of Sciences. 117, 28719–28726.

*5 Joannes-Boyau, R., Adams, J.W., Austin, C., Arora, M., Moffat, I., Herries, A.I.R., Tonge, M.P., Benazzi, S., Evans, A.R., Kullmer, O., Wroe, S., Dosseto, A., Fiorenza, L., 2019. Elemental signatures of Australopithecus africanus teeth reveal seasonal dietary stress. Nature. 572, 112–115.

*6 Tacail, T., Martin, J.E., Arnaud-Godet, F., Thackeray, J.F., Cerling, T.E., Braga, J., Balter, V., 2019. Calcium isotopic patterns in enamel reflect different nursing behaviors among South African early hominins. Science Advances. 5, eaax3250.

*7 Austin, C., Smith, T.M., Farahani, R.M., Hinde, K., Carter, E.A., Lee, J., Lay, P.A., Kennedy, B.J., Sarrafpour, B., Wright, R.J., Wright, R.O., Arora, M., 2016. Uncovering system-specific stress signatures in primate teeth with multimodal imaging. Scientific Reports. 6, 18802.


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