サクライ テツヤ

福岡市在住。48歳。 地方の国立大学法学部を卒業後、東証一部上場企業に勤務。40歳で独…

サクライ テツヤ

福岡市在住。48歳。 地方の国立大学法学部を卒業後、東証一部上場企業に勤務。40歳で独立。 現在、事業投資や若手とのコラボによる事業運営に奮闘中。 ガチガチの大企業と、自由な個人事業家の両方を経験したからこそ書ける体験や思いを書き綴ります。

最近の記事

伏線はいつか回収される

「伏線回収」というと、ドラマや小説の話だと思うだろう。 それらを見ていると、物語を通じて様々な意味ありげな出来事が起こり、物語の最後でそれらが全てつながり、終結へと向かう。それが伏線回収。 ただ、これはなにもドラマや小説だけのことではない。 実は人生でも同じことが起こる。 若いころは、こんなつまらない仕事、こんな飲み会、こんな人脈、等々、すぐに役に立ちそうにないものに愚痴ばかり言っていた。 ところが40歳を過ぎたあたりから、それらの一つ一つが結びついて、今やるべきことと

    • 物語を学ぶ理由

      受験生だったころ、物語が苦手だった。文系だったにもかかわらず。 「人の心とか何を感じたとか、そんなの人の勝手じゃん」 そう思っていた。 それなのに、なぜ物語というものが受験にあるのか? この答えに気づいたのは、残念なことに40を過ぎてからだった。 政治家の言葉を聞けばわかるだろう。彼らの言葉がなぜ心に響いたり響かなかったりするのか? 人の心に届くのは説明文ではない。 心に届くには、魂を揺さぶるような言葉と、それを勢いづける熱意が必要なのだ。 物語は、人の心の襞

      • まず走り出せ!

        若いころは無鉄砲に飛び出すことができた。 それがいつからか、走る方向、距離、ゴールを決めなければ走れなくなった。 人生は長いマラソン。走り続けることが大切。そのためには無用なエネルギーを消費する意味のないダッシュは控えた方がいい。 いつしかそう考えるようになっていた。 そして年齢とともに情熱を失い、ダッシュする方法を忘れ、惰性のように長距離マラソンを走る人生となった。 もしあなたが若いのであれば、「やりたいと思ったことは躊躇なくやること」をお勧めしたい。 やりたい

        • パズルのピースを集めて1枚の絵を作ろう

          若いころは、自分にできることなんて限られていると思っていた。 いや、今でもそう思っている。 しかし、少しだけ考え方が変わった。 40半ばを過ぎて、気づいたのは、自分だけでできることは限られているが、他の人と一緒にできることは無限にあるのだということだ。 戦略を描くのは得意だが、行動力や資金がない人がいる。 思い立ったらすぐ行動するが、戦略や資金がない人がいる。 資金はあるが、戦略も行動力もない人がいる。 ならば、その3人が手を組めば、1枚の大きな絵を描けるのでは

        伏線はいつか回収される

          科学技術は人間を豊かにする一方で人間の愚かさを増幅させる

          ツイッター上での誹謗中傷により、若い女性が自ら命を絶った。 心よりご冥福を祈りたい。 本来ツイッターは、時間や空間の制限を超えて、誰でも安価に情報を発信できる、人間を豊かにする道具である。 しかし、便利な道具は、時に、人間の愚かさを増幅する装置になる。 ダイナマイトは、トンネル工事などの崩落事故で人命が失われるのを防ぐのに、大いに役立ったが、後に、戦争に使われるようになり、多くの命を奪うこととなった。 その汚名を晴らすために、ノーベルが「ノーベル賞」を創設したことは

          科学技術は人間を豊かにする一方で人間の愚かさを増幅させる

          ピラミッドの高さは底辺に比例する

          ピラミッドは四角すいの形状をしている。石を積み重ねて高く積み上げようと思えば、細く高く積み上げるのが、本来は最も効率が良い。 しかし、わざわざ四角すいの形状を採用しているのは、それが、最も安定しているからである。 これは、知識や技能についても同じことが言える。 もし、その知識や技能が、すぐに廃れてしまうような分野で勝負しているのであれば、膨大な時間をかけて安定した四角すいのピラミッド型の知識や技能を積み上げるのは時間の無駄だ。 垂直に、手っ取り早く塔を作り、壊れたら次

          ピラミッドの高さは底辺に比例する

          理念とは何か?

          私たちは、生まれて死ぬまでの間に、様々な思い(念)を抱く。 それは、達成されるものもあれば達成されないものもある。 当然のことだが人間は、生きている限り何らかの「念」を抱き続け、それを実現しようとし続ける。 ただ、子供の時分と違い、大人になれば、徐々に現実が分かってきて、諦める「念」も多くなる。 念を断つ という意味でそれを「断念」という。 一方、やろうとすればできたのに、外部の力などにより強制的に達成を阻まれた場合、思いを無くすことになり、「無念」となる。 人生

          理念とは何か?

          「生きる」って何だろう?

          「生きる」と一言で言ってもいろいろ定義がある。 生物学的には母体から出生し、脳死するまでのことかもしれない。 しかし、今私たちが「生きる」と意識しているのは、意識上のことであるから、生物学的な意味は、実はあまり関係ない。 むしろ、人文学的な定義の方が大事なのかもしれない。 50歳近くになると、それなりに友人や親せきの死も経験する。 その中で、「生きる」というのは、「人生の物語を書く」ということだと気付いた。 そしてそれは、自分の人生だけの「短編小説」ではない。

          「生きる」って何だろう?