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時代はどう変わろうとしているのか

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「時代はどう変わろうとしているのか」(A094/1986年)を聞いて考えたこと。5回目。

ある分野やモノについては究極のイメージを掴みかけてきたのではないか。

日本のなかで、そう思い始めた人が多くなってきたのが1980年代だった。国民の9割は中流意識をもっているとの世論調査の結果が流布していた頃だ。

吉本隆明は中流意識の拡大と並行して、究極のイメージを獲得しつつあるモノとしてミノルタのカメラをあげている。撮影者にほとんど技術が要求されなくなったカメラが出てきた、と。

この時代においても究極のイメージを掴みきれないコトもあった。いくら稼ぐか、いくら消費すればよいか。

この講演から5年ほどしてバブル経済が崩壊した。世界ではインターネットの時代がはじまった。そして究極に達しつつあると思われたモノが、違った分野からの視点で究極とほど遠いモノとみられはじめる。「ネットに繋がらないカメラなんて意味ないじゃない」と。

他方、今世紀に入り、欲望にキリはないと思われていた稼ぎや消費の規模に究極のイメージができつつある。「お金で測れることに幸せがあるわけでもない」と。

究極のイメージに達しつつあるなと感じた時、新しい視点が究極のイメージの足を掬う・・・ということくらいは肝に銘じておこう。

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