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カタチのないデザインにとっての1972年。

美術批評家であり自らもアーティストであったジッロ・ドルフレ(1910-2018)が、デザインのねっこは「知識センター」にあり、もはやモノの量産にかかわる行為ではないと、「トータルデザイン」との表現でモノの形状からデザインを解き放ったのは1972年だった。

ちょうどその1972年、クリノ・カステッリ(1944ー)が「グローイング・チェア」を発表した。以下の写真をみると分かるようにインタラクティブなチェアである。

クリノ・カステッリのグローイング・チェア(1972年)

クリノ・カステッリはCMF(色、マテリアル、仕上げ)でデザインを先導してきた人間だ。彼は1961年、トリノのフィアットのデザインセンターで働き始めるが、1964年、ミラノのオリベッティのデザインオフィスに移る。因みに、そのとき、オリベッティのオフィスを仕切っていたのがエットーレ・ソットサスだ。カステッリはオリベッティを離れた後もソットサスとコラボレーションする。

(このオリベッティのオフィスは、デザイナーは企業の外の空気を吸っていてこそ意味がある、とのコンセプトで生まれた。ピエモンテ州のイヴレアという大きな都市とは離れた場所の本社にデザイナーを閉じ込めておくのは有益ではないとの判断だ。単に場所だけの問題ではない。オフィス運営費用はすべてオリベッティが負担しているが、このデザインオフィスは同業でない限り他企業をクライアントと仕事ができる。まさしく「自社の外」である。このデザイン方針はイタリアの多くの企業に大きな影響を与えた。)

デザインを形状という次元を超越させたーこれをカステッリ自身が後にNo-Formと呼ぶのだが、彼のエッセー集を編集したグイド・ムザンテが冒頭で記したジッロ・ドルフレの言葉を紹介しているのだ。そして、ムザンデは、このNo-Formは新プラトン主義にある「未完」への考え方を想起させるとも言っている。「未完」の建築やオブジェが美しいのは、ティツィアーノやクリムトの以下の作品にある裸の表現に象徴的である、と。

Tiziano, Amor sacro e Amor profano (1515; olio su tela, 118 x 278 cm; Roma, Galleria Borghese)
Nuda Veritas KlimtーWiki


(カステッリのウィキをみると、ぼくが2014年、「日経デザイン」の別冊「クリエイティブ・シンキング」にカステッリにインタビューして書いた記事が記載されている。イタリア語に訳されているのだが、その記事のタイトルが「見えないものを表現するインターフェースのパイオニア」。)

明らかに、この1970年代のはじめ、デザインに何かが起こりつつあった・・・そして、その後、その変化はより大きくなっていく。その変化の質について、佐藤和子『「時」に生きるイタリアデザイン』にあるソットサスへのインタビューから言葉を拾ってみる。デザインの考え方の変化の様子が1993年時点で掴める。コメントを加えながら読んでみよう。

まず、デザイナーとは?である。

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