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私たちの本当の敵は、自らの内にある「哲学者」ぶる態度だ。

文化の読書会ノート

納富信留『ソフィストとは誰か』第2部第6章 弁論の技法ーゴルギアス『パラメデスの弁明』 第7章 哲学のパロディーゴルギアス『ないについて』

アリストテレス『ニコマコス倫理学』と本書を交互に読んでいる)

基本的に『パラメデスの弁明』はゴルギアスの弁論術の宣伝と書かれたと思われるが、弁論術の教科書としてみると見誤る。

論理的な完全性は「装っている」に過ぎないと思われる。また、哲学の議論を意識しているのも確かだ。しかし、これらは「遊び」であったと推測するのが適当ではないか?

哲学的な議論においては、「万全の仕方で論じた、しかし、百パーセントの真理とは言えない」は矛盾として取り扱われるが、私たちの日常生活においては普通に認められる。

つまり、哲学的議論と日常の説得の間には距離があることを示すために、ゴルギアスはあえて論理を「装う」道を選んだ可能性が高い。哲学への批判である。

『ないついて』を著わしたのは、シチリアで活動していた前440年代と伝えられるが、ゴルギアスが書いた論考そのものはない。古代の2つの資料から推察するしかない。

1つは「アリストテレス著作集」にある「メリッソス、クセノファネス、ゴルギアス』だ。これはヘレニズム時代以降のペリパトス派の誰かが書いたものでは?と議論されているが、後世「エレア派」と言われる3人を取り上げ、ゴルギアスが批判されている。

もう一つは、2世紀後半、懐疑主義者セクストス・エンペイリコスによる『学者たちの論駁』第7巻だ。セクストスは「真理の規律は存在するか」との考察において、ゴルギアスは真理の規律を退ける人々として、クセノファノスやプロタゴラスに続いて紹介されている。

この二つの資料は、どちらもゴルギアスを批判するために紹介しているため、そのまま受け取れないが、現在、資料的価値としては前者が重視されている。

この資料によれば、弁論と哲学という、通常、2つにはっきりと区別される領域を乗り越えて、ゴルギアスが言論を駆使しているのがうかがえる。

法廷弁論で有効な言論が、哲学では用いられてはならないのか? 両者に本質的な違いはあるのか?哲学の言論は、本当に特別な厳密性や完全性を有しているのか?と納富は問う。そうして納富は、古代から現代にいたる懐疑主義者たちの見方に近づく。ゴルギアスは哲学に挑戦しているのだ、と。

例えば、『ないについて』においてゴルギアスは、誤りであると他の人々によって指摘され、問題視されている議論を重点的に取り上げている。彼は、それらの問題を承知で、あえて利用しているようにみえる。

これを議論が健全ではない、とも批判できる。だが、議論が健全でないことは、その意図が真面目ではないことを必ずしも意味しない。「遊び」や「パロディ」の視点からすると、ゴルギアスの意図が輪郭をもってくる。

アリストテレス『詩学』第2章によれば、タソス出身で前5世紀半に活躍した詩人・ヘゲモンが「パローディア」の創始者だった。叙事詩や他ジャンルの文学索引を風刺的に真似る営為だった、と推測される。

そのパロディは秩序や価値の転倒を試み、かつ笑いを喚起する。ゴルギアスの意図は、ここにあったのではないか?

アリストテレス『弁論術』にも「可笑しいことを言うことは、討論においていくらかの有用性をもっている。敵対する人たちの真面目さは笑いによって、笑いは真面目さによって、破壊すべきである、とゴルギアスが言ったが、彼は正しく語っている」との記述がある。

哲学を笑い飛ばすゴルギアス弁論術は、哲学をも自らの権域に取り込み、そこでの闘争に勝利する言論の技術である一方、彼はその言論の力を冷徹に見据えており、反哲学の基礎となっている。

よき意図や真面目さは、ゴルギアスの挑戦の前では、免罪符とならない。自らの営みを「真面目」として免罪する態度こそが、不健全な権威づけであり、それ自体がレトリックなのだ。

私たちの内にある「哲学者」ぶる態度が、私たちの本当の敵に他ならない。

<わかったこと>

やはり、と言うべきか。

古代ギリシャにあった、とても奔放な姿勢や言説が、後の哲学者によって「封印」されていった - 実際、ゴルギアスは「感覚」や「意味」を重視したが、「論理」を重んじる人たちに批判されてきた。

哲学者による哲学の権威付けが、多くの概念の混乱を小さなものにした可能性もあるが、哲学の「別格」扱いが世界を狭いものにした可能性もある。

そのスケープゴートの1人としてのゴルギアスが扱われた。それを納富は「パロディ」との視点でゴルギアスを救おうとしている。

もともとソフィストを課題本としてぼく自身が考えたのは、西洋文化史や哲学史の「硬さ」や「窮屈」さに隠れたところにある「かつてあった明るい広いスペース佇む人」をズームアップしたかったからだ。

少なくても、イタリアで長く生活して感じる「西洋」は柔軟で開放的である。そこで「西洋」の見方をもう少しマシなものにしたい、と思うようになった。西洋を窮屈なものにしたのは古代ギリシャ後期だけでなく、中世後期、明るい文化と暗い文化の選択肢ー「感覚」や「意味」を推すか推さないかーが2つあったときに暗い方を選ばざるをえなかったこともある。

アリストテレスとソフィストとの対話を終えたら、次は中世後半、つまりはルネサンスに至る時代の本を読みたいと思った。ホイジンガの『中世の秋』なども候補に入る。

また別のアングルで納富も指摘している「遊び」をテーマにした『ホモ・ルーデンス』から「硬さ」を潰していくアプローチもあるかもしれない。というか、ホイジンガ自身を探求するのも面白いかも。以下、太字部分がそう思うところ。

まさにこのような立場でホイジンガは本書を書いた。ただし、ホイジンガは名著『中世の秋』(1919)以来のれっきとした研究者であったので、65歳になって発表したこの大著でも、遊びを研究するには従来の分析的なアプローチも論理的な解釈もほとんど役立たないという前提をつくった。

なぜこんな前提をつくったのか。それは、文化のさまざまな場面に遊びを見出すことはそんなに難しくないことなのだが、その遊びの「おもしろさ」がどこにあるのかということを研究的に決定できないからだと“研究者”として判断したためである。ホイジンガは「遊びのおもしろさは、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない」と書いている

松岡正剛の千夜千冊

冒頭の写真ーシチリアの夏の光©Ken Anzai

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