なぜ十二下りをすると前向きになるか


こんにちは。

今回は「12下りの手踊り」についてです。

僕自身、12下りをつとめさせていただくことを大事にしている中で
これはすごい!と感じたことが何回もありました。今もつとめるたびに思います。

僕は、もうこれだけでたすかるんじゃないかと思っています。

たすけ一条のこの道で、人のたすかりを願うたすけつとめですが
そうやってつとめていく中で、
自分自身めちゃくちゃ調子がいい。自分もすごいたすかるなと感じています。

なので今回は、12下りをつとめる意義や、どんなことがすごいのか、僕が体感しているところを、ひたすらお伝えしていきたいと思います。

教祖(おやさま)は、こう仰せられます。

「このつとめで命の切換するのや。大切なつとめやで。」

(『稿本天理教教祖伝』95頁)


おつとめの地歌はみかぐらうたと言います。
内容はこちら



12下りは神に祈る

まず12下りとは

天理教の宗教儀礼・祈祷である”おつとめ”の中のひとつです。

天理教で教えていただいているいろいろな祈祷の全般を指して、おつとめと呼ぶのですが
その中のひとつが、“12下りの手踊り“です。

おつとめは、“座りづとめ“という朝夕に毎日つとめるものがあります。
これは、人によってつとめるスピード差で、およそ5〜15分ほどの時間でつとめられます。

12下りは、立って、踊るようにつとめます。
なので、“おてふり”と呼んだり、“ておどり”とも呼びます。

12下りのその名の通り
最初に“よろづよ八首”という序章があったのちに
1下り目、2下り目、3下り目、、、、と続いて
12下り目まで
あります。

1下りあたり10首ずつのお歌からなるので、全体でよろづよと合わせて128首のお歌からなっています。
所要時間は30分〜1時間ほどで、座りづとめに加えて、よりお願いをしたいときなどに、つとめられます。
僕は20歳のとき、修養科(※おぢばで3ヶ月の学校)ですべて覚えるよう修練させていただきました。


おつとめをつとめる意味

つとめる意味としては、3つあります。
①神様への感謝。
神様は、僕たちの身体やこの世界のすべてを、ご守護して成り立たせてくださっているので、神様への感謝をする。

にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら

おふでさき 三41


②人へのお願い。
身内や周りの人で、病気の人や事情のもつれがあるなど、たすかってもらいたいと神様の方へお願いをする。世界の平和を祈願する。(※天理教はほとんどが人がたすかったことで教えが広がっている)

このつとめなんの事やとをもている
よろづたすけのもよふばかりを

おふでさき 二21


③自分の”ほこり”をはらう

心に溜まったほこり(※悪しき心遣い)を払う。

あしきをはらうてたすけたまへ
てんりわうのみこと

みかぐらうた



12下りが良いと気づいたきっかけ

僕の体験談をお話しします。

僕が境内掛に勤務していたころ、ある先輩が、月次祭(※おぢばで毎月26日の祭典)の当番の後にこんなことを言ってきました。
「今日の祭典の12下りをすごい真剣に歌って当番してたから、今なんか、むちゃくちゃ勇んでる」
「勇み心が、すごい湧いてくる」
「これがようきづくめなのか…」

これを伝えてきた先輩はその言葉通り、いきいきとしてすごく勇んでいました。

この出来事が、のちに僕が営業職をしていたときに役立ちました。

営業職で、断られるとにすぐネガティブな感情になってしまっていた僕に
「朝出社したときからエキサイティングしてるやつが売れる営業だ」
と社長からアドバイスがなされました。

そして、そもそも、においがけ(※布教)の練習のつもりで営業職をしていたのに、全然自分を捨てれていないという状態であったり、日中に営業にまわって落ち込んでしまうことへの怖さや、何とか自分を変えたいという気持ち、そんな色んなことからすがるような思いで
出社前の朝一に12下りをつとめました。

においがけのつもりで営業を一日回りきるために、心作りとして、12下りを駅前でつとめて自分を捨てて、お客さんには「ただ与えるだけ」という心を保つためでした。

そうすると、12下りの後の勇んだ気持ちで、そのまま一日中気を張り続けられ、日中に落ち込むということがなくなりました。

そのときは、社宅に住んでいて同居人が何人もおり、
家ではできなかったので、駅前でつとめていました。
駅前で、たくさんの人が行き交う中つとめるというのは、本当に自分を捨てないと難しいです。
特に当時の自分は、人の目をすごく気にする性質でしたので、緊張感がありながら、目を瞑ったりして、自分を捨てきりました。駅前でするというのが、人目を気にしないようにするいい練習になっていました。

一日中「与えるだけ」という心を保てるようになってくると、営業成果も上がっていきました。下位層だった成績が、中位層ぐらいまであがり、週間トップを取れるような週も出てきました。

それから他の職についても、毎朝12下りをつとめ、ある目標のために、一日12〜15時間働くのを30日間続けるという期間を達成し高い成果をあげることができました。12下りのおかげだと強く思いました。

営業のときから今もそうですが、「今日一日をたすけ一条で通れるように」という理作りでつとめさせていただいています。自分が落ち込んでるんじゃなく、勇んでいる方が周りに与えられるものも多くなるだろうからです。



12下りをつとめた後の心情の変化

では、12くだりをつとめると具体的に
どういう状態になるのか、
なぜそんなに変化があるのか
ということをまとめていきます。ここからひたすらに続きます。

つとめた後の“心”が良くなるから
行動が良くなり
結果も良くなる、ということですが、

では、どんな“心”になるか。

これはいろんな言葉で説明できるのですが
結論、ひとことで言って

「勇む」ということです。


必ず勇む

勇むということが、あらゆる問題を解決していきます。
勇む、つまり勇んで取りかかれる状態、やる気のある状態、喜んでいる、ポジティブな状態です。

「勇み心にほこりちる」という言葉もありますが、哲学書やビジネスの上でも、いろんな課題や壁はポジティブにとりかかれば解決されると言われます。

“心”が全ての事象の原因です。

良い事も良くない事も、“心遣い”に全て起因していて
良い心遣い(勇んだ、人をたすける心、喜び、感謝)なら、良い事のポイントを貯めていっているようなものです。
悪しき心遣い(欲、腹立ち、高慢、惜しみ)なら、先で病気や事情のもつれを起こしてしまう原因になります。

勇んだ心でいると、そこに、ほこり(※埃、悪しき心遣い)はないのです。

つとめた後は、必ず勇みます。

自分調べですが、つとめた後は、100発100中、100%の確率で勇みます。

毎回です。
つとめる前に
どんな不安があっても、勇んできます。
どんな後ろ向きな心であっても、前向きになります。喜びが湧いてきます。


これはなんでしょう、
心理学で、感謝できることを箇条で書き上げるとか、自分を褒められるところを書き上げるとか、心を前向きにケアする方法がありますが(この2つとも営業職時代に毎日書いていました)
そういうものって、いくらか不十分で不完全だったり100%前向きにっていうほどではなく、習慣的に続けていくと効果があるようなものです。

それから、ちょっと心機一転「よし、がんばろう」と思い立ってやる気を出して、前向きになるということもできるでしょうが、あくまで一時的なものでしかありません。

12下りは、勇む、喜べる、という状態に持ってゆけるものとして、もうこれ以上ないんじゃないか、というほど素晴らしいものだと感じます。

12下りをつとめた後は、感謝や充足感に満たされ、先述の自己肯定感を高める箇条書きということをも内包しますし、やる気も一時的なものではありません。
一日を通して継続されるような、心の奥底から湧いてくるレベルのものです。

100%勇む、これはすごいことです。
とんでもないものです。こんなものが他にあるでしょうか。

12下りは、30分〜と、ある程度の時間がかかるから、心のほこりが少しずつ払われていくことで、心の奥、腹の底からの勇みや喜びが湧いてくるのではないかと思っています。

心が澄むから、勇む。
心にひっかかる余計なものを排除して、ただわくわくして、何をしてもいい、なんでもできるという赤子のようなまっさらな心。

勇んでかかれば神が勇む、と聞かせていただきます。
勇むということだけで、これだけでたすかるんじゃないかという冒頭のの説明がつくほど、あらゆることが解決されるように思います。

みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる

おふでさき 一 11



喜べる

12下りをつとめた後は、無条件に喜べます。

日々生きている中で、高くなってしまった喜びの基準をぐんと下げてもらえます。
ただ、生きていることだけに、感謝できます。

みかぐらうたから教えにふれ、神様のご守護に改めて感謝できるからです。
当たり前に健康に身体を使えていることだけで、ああ、なんともありがたい、という心が湧き上がります。
低く謙虚な心になれます。

こゝはこのよのごくらくや わしもはや/\まゐりたい

四下り目 九つ

僕もときには見えない神の存在に対して、神は在るのかとわからなくなるときもあるんですが、
こういった、”無条件に喜べる不思議な状態”になるたびに、
再確認できるように思います。

つとめるだけで、無条件にこんなにも喜びが湧いてくる、これはなんなんだ。
そうだ、神様のおはたらきを味わわせていただいている。
こんなもの他にないのです。


安心できる

安心感。
無条件に喜べる、とも近いですが

「今このままの状態で全てが満たされている」
「もう他になにもいらない」


とすごく満たされた気持ちになり、安心できます。

行動できないときは、まず第一段階目として、安心することが大事だと心理学でいわれています。
まず生命や生活の安全など、心身の安全が確保されていないと、その上の「なにかを頑張ろう」などの段階ができません。
また、不安があると、モチベーションは上がらないといわれます。
安心して、ひとつずつやっていけばいいんだと思えれば、行動できるとされています。

12下りは、安心できます。
つとめる前にどんな不安があっても、例えば、今日の仕事絶対外せないけど大丈夫かとたまらなく不安でも、安心して、自分のやるべきことに集中して取り組めるようになります。

無条件に、今このまま、まだ何も得ていないゼロのままの状態でも、安心できる。
それはひとつには、先述の、ただ生きているだけでありがたいという感謝があるからだと思います。
そして、ゼロのまま安心できてすでに満たされているので
ここから何か取る行動は全てプラスにしかならない、と感じられます。

ちょっとでも何か努力すれば、ちょっとでもプラスになる。
目標に対して、何かひとつでもやればひとつプラス。
加点方式です。

そして、
自律神経が癒されるような体感があります。

ストレスが緩和され、失敗のダメージも回復される体感があります。
毎日長時間働いていたときも、僕は細かいストレスを感じやすい気質なので長時間の連続は難しいと思っていました。
ですが、12下りを続けていたことで、失敗やストレスが緩和されて、働き続けられたように思っています。

このたびむねのうち すみきりましたがありがたい

四下り目 十ド



自分を捨てられる

体験談であったように、僕は自分を捨てさって、つとめていました。駅前だと特に、捨てる度合いが強いかもしれません。

自分を捨てているんですが、
じゃあ何を捨ててるのかと自分を観察してみると
「自分が執着しているもの」を捨てているのだと思います。
ざっくり言うと「欲」でしょうか。

生きていて誰しも、何かこだわりや執着しているものがあると思います。
何か強く意識している得たい成果や目標、
我がものにしたいという欲求物、
恥をかきたくない傷つきたくないという自己保身
あるいは、もっとああしておけばよかったといつまでも引きずってしまう後悔など。

そういった「執着しているもの」があるがゆえの、ネガティブな感情が生まれてきます。
不安や、欲、反省、後悔、ストレス、恐れ、自己保身、惰性など。

そんな中で、
12下りをつとめると、「執着しているもの」を捨てることができます。

高い目標も手放して、このままで満たされている。
欲を捨てて、今のままで十分与わっている。
こだわりを捨てて、何だっていいと、自分も他人も許せる。
後悔を捨てて、過去の欠落を捨て、このままで100点じゃないかと安心して、これから自分ができることに目を向けられる。
傷つきたくないと恐れる自分を捨てて、おやさまはどう通られたか、とたすけ一条になれる。

そうして「執着しているもの」を捨てさることで
伴ってネガティブな感情も捨てさられます。
不安は、何か得たい成果があるから生まれる感情ですね。

捨てさって、安心感が残ります。

今すでに満たされている、
今ある状態で最高だという状態。
そこにあるのは、楽しむことがベースの状態です。

高い目標に対しても、手放していて既に満たされていますが、何かひとつでもやればひとつプラス。
前向きに取りかかれます。

よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや

十下り目 四つ


因縁に勝つ

ここまでくると、上記の話を言葉を変えて説明するような話になっていきますが
続いて、因縁(※心遣いの蓄積、事象の原因)に勝つための武器になる、ということ。

自分の心の癖性分(※遣いやすい心の傾向)や、自分の因縁に勝って、自分の能力を発揮しやすくなるように感じます。

自分の因縁に流されてしまうと、やはり自分らしい生き方はできず、自分の本来の能力を発揮できません。

例えば、僕は本当に心が弱いなと自覚していますが、そんな心を補強してくれるように思います。


営業や布教においても、
人にどう思われるかとか、断られ続けて諦めるというようや弱さをなくしやすく、心がタフになることをすごく実感しています。

僕は何か難しく考えすぎて
何も動けず、鬱っぽくさえなってしまうときがありました。
そういうときも、何度も、12下りによって行動に移せています。

自分が流されてしまいやすい悪因縁と戦える武器になって、そっちに行きにくくなる。
これはもう心理学とかの説明の範疇ではなく神様のおはたらきを感じます。

12下りをつとめる日と、つとめない日では
大きく自分の心が変わります。

もはや、つとめないでは毎日を普通に過ごせません。
それぐらいに、因縁に勝つということはとても生産的です。
「勇み心にほこり散る」を実感します。

その日一日を、抜かりなく通りきれるようにできます。

つとめさいちがハんよふになあたなら
天のあたゑもちがう事なし

おふでさき 十 34



能力が開発される

あくまで体感値としてですが、能力が上がるように思っています。
因縁に勝って本来の能力を発揮できることで、そう思うのかもしれません。

12下りをつとめた後は、心が澄むからか、脳内がクリアに、頭の中がスッキリします。ネガティブを排除できて、一歩踏み出しやすくなる。モチベーションの源泉です。

脳内が整理されることで、
集中力が高まる。
仕事のミスも減らせる。
能力が向上する。

瞑想には、12下りと同じような効果があるかもしれません。

仕事に関して続けると、
朝、仕事に行くのが憂鬱でも
朝に12下りをつとめると、1日を通して前向きになる。

前の日の、失敗も成功もゼロにしてリセットして取りかかれる。
自分というポンコツを操縦する、これ以上ない武器になる。


また教祖(おやさま)は

「つとめに、手がぐにや/\するのは、心がぐにや/\して居るからや。」

(『稿本天理教教祖伝』95頁)

と仰られています。
手をぐにゃぐにゃさせず、揃えてつとめることで
隙をなくせるように思います。

仕事でも何か目標を達成したいとき、継続して気を張っている必要があり、隙があるとミスが出たり失速してしまうことがあります。

手をぐにゃぐにゃさせず指先を揃えることを意識すると、隙のない心を作れるように思います。

また、僕は駅前など外でつとめることが多いですが
外でつとめることによって、より自分が受諾できるものがあります。
それは
「人はどうであれ、自分は勇んでいる」というよふきづくめのような心をつくれることです。
駅前でつとめると、目の前を人が行き交いますので、それを気にすることなく自分に集中してつとめる必要があります。
周りの状況がどうであれ、自分は勇んでいるという状態を、まさにつとめながら体得していくようなものです。



また、つとめた後は、
親神様がご守護してくださるこの世界、太陽や、空、風に揺れる草木が
より美しく感じられます。

先人の先生は、
おたすけに行けない病人の部屋まで、自分の手振りから伝播させるものを届けるつもりでつとめたり
病人の枕元で陽気につとめることで、病人の沈んだ部屋の空気感を、明るく陽気に変えたそうです。

「この歌は、理の歌やから、理に合わして踊るのや。どういうふうに踊ったらよいか、皆めいめいに、よいと思うように踊ってみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、それぞれに工夫して踊ったところ、教祖は、それをごらんになっていたが、
「皆、踊ってくれたが、誰も理に合うように踊った者はない。こういうふうに踊るのや。ただ踊るのではない。理を振るのや。」

天理教教祖伝逸話編「十八 理の歌」

『正月、一つや、二つやと、子供が羽根をつくようなものや。』

天理教教祖伝逸話編「十九子供が羽根を」



最後に

ここまで、勇む、安心できる、すごいと言ってきましたが
ひとつ外せないこととして、
真剣につとめるということがとても大事だと思います。
つとめながら、何か余計なことを考えてたりとか、ぼーっとしてたりとかすると、上記に様々あげてきたことは薄まります。
理作りなら理作りをするその目的にあたるものに対して、かける思いが強ければ強いほど、真剣に緊張感を持ってつとめると思います。

そうして、手をぐにゃぐにゃさせず揃えて、また間違えずにつとめると
つとめた後の勇みはより大きくなります。

「一つ手の振り方間違うても、宜敷ない。」

稿本天理教教祖伝95貢


また、僕がそうですが
繊細な人、心が弱い人ほど、より12下りから享受されるものが大きく受け取れるのではないかと思います。


「12下りのお歌を楽しんでつとめる」ということをこちらの記事で言っています。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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