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さようなら、デザイナーになりたかった自分:私の片付け

50代からの未来のために、まず始めるべきは
体づくり
片づけ

どちらも長期的、継続的にやる必要があり、
時間も掛かるためです。
気力体力が必要ですからね。

さて、私も片付けします!!

本当は「洋服」からがおススメ。
でも、本棚に本が収まっていないという切実な事情があるので、
「本」から始めます。


20代前半の心の「遺産」


手始めは、一番「昔」のモノ。
建築やアートの本から。

ほとんどが20代前半に買ったものです。
あの頃は、建築やアートの本は
雑誌以外は、分厚い百科事典のような本が多かった。
一冊8000円とか、高かったです。
週末ごとに行ったなー
パルコブックセンターとか青山ブックセンター。
 
あの頃私は、建築の「デザイン」をやりたかったのでした。


最初からつまずいた就職活動


専門学校を卒業する時に知った、
大手の会社は、専門卒は入社試験すら受けられないということ。

学校で掲示されていた中小の会社に応募してみました。
何社か受けてみたけれど、5~6人の集団面接が多かったです。
 
この中から、私が選ばれるわけない。
と思いました。
 
大手が受けられない以前に、学校でのサポートもほぼ無く、
何の対策もしていない有り様。
こんな「戦場」で勝てる訳がないと思いました。
 
私の行った専門学校は、
卒業するころには入学した人数の半数になっていました。
 
当時は、女子は全体の1割くらいしかいませんでした。
男子はかなりの割合で「親が建築会社をやっている」跡取り。
他も「現場監督」になる人が多かったです。
そもそも設計に進む人など、本当に少数でした。
 
設計をやりたかった私は、
「自分で探すしかない」と思いました。
 
行きたい設計事務所や会社は、どこも数人規模。
求人募集を表立ってやっているところはありませんでした。
というか、当時ネットが無かったので、
職探しは「雑誌」でした。
建築雑誌の後ろに求人募集ページがありましたが、
どこも大手ばかり。
行きたい事務所は、当然ながら載っていませんでした。

思ったようにいかなかったキャリア


「空きが出たら声を掛けてください。」
という手紙を同封し、履歴書を
5件くらいの事務所に送りました。
 
卒業目前の3月に、手紙を送ったうちの1社から
「知り合いの会社が募集している」と連絡があり、
その会社で社会人生活はスタートしました。
小さな店舗内装の会社でした。
 
「女の子は、電話の取次ぎと
月末の伝票処理をしてくれればいい。」
という会社で、半年で辞めました。
 
次は、友人に紹介してもらった事務所。
所長は今も付き合いがあり、
当時もとても良くしてくれました。
 
でも、3年くらい経ち、また転職しました。
当時の私は、どこか「名のある」事務所に行きたかったんですね。
設計のキャリアとして、それが必要だと思っていました。
 
当時はバブル、「24時間働けますか」の時代でした。
働く人の「待遇」なんて全く考慮されない時代、
さらに、超個人経営の小さな事務所。
朝会社に行ったが最後、
電車が無くなります
という理由でしか、帰れなかったのでした。
当然すべてサービス残業でした。
 
そして怒られることはあれど、ほめられることはなく。
「ちょっとした」設計事務所は、所員に人権など無かったのです。
「教育」という概念すらなく、
「やってみて」
そして
「違う」と言われる。
 
その中で「勉強させて頂いて
一人前になっていく世界でした。
 
1年ほどでまた転職。
20代前半は思うようなキャリアは描けませんでした。
 

無理だったな、、


その後25歳で結婚し、設計事務所勤めは半分リタイア。
離婚して35歳で、今度は
「設計だけどちゃんとした会社」にカムバック。
以降こちらに続いていきます。

ちゃんとしたキャリアが築けなかった。
そんな自分がずっと、情けなかった。
そのツケで、35歳から再出発した会社で
スキルの面でも苦労しました。
 
何でもっとあの時、頑張れなかったんだろう。
もっとうまくやれる方法がきっとあったのに。
何度も思いました。
 
でも、今ならわかります。
 
最低限の給料で、めちゃくちゃ働かなければいけなかった世界。
精神力も能力もセンスもあって、
かつ高い志が無ければ、
続けることなんかできなかったのです。
 
今も建築は好きだけど、
そこまでは深く興味を持てなかったんだと思います。
 
このnoteを始めてから、さらに分かったこと。
私って「分散型」。
ちょっとしたヒントからアイデアを広げるのは得意だけれど、
ものすごく何かを突き詰めるタイプではないんだなと。
 

もう、良いよね

 
私は「何者か」になりたかったんだな。
薄給の中から高い本を買って。。
 
でも、合わなかったのよね。
 
分厚い本をみて「己を知った50代、、笑」
もう、良いよね。。
 
専門書の買取業者さんへ買取をお願いしました。

48冊で、合計額16,060円
 
さようなら、デザイナーになりたかった自分。

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