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脇道へ逸れるその先に、単純でなくとも好奇を求めて。


道外れたことをしたい欲が溢れ素直な良しを受け入れられない。不良のように道外れて生きたい。いや、異端になりたいのだろうか。なれもしない方向で彷徨う先には何があるだろう。

人生の中で素直にまっすぐ伸びた道を歩いていけば楽しく、健やかに過ごせるのに外れた道に進みたくなる欲は何モノだろうか。

若気の至りといったりして羽目を外して馬鹿することを経験するなんて聞いたりしますが、真っ直ぐ歩んできた人間はタバコも吸わないし、酒もそこまで飲まない、深夜にバカして怒られたこともないからなんだあの人達と違う生物を見ているようなのに最近は外れることに憧れを感じています。

ヤクザになりたいとか、喧嘩したいとか、バイク乗り回したいなんて派手なことは思いません。(そんな勇気もない)ですが、素直なことを褒められることをすんなり飲み込めない。"真面目"この3文字が極端に拒絶したくなります。正直なところ根は真面目なんだろうけど、異端な人が成功してたり、教科書みたいな生き方より面白いかも?と思ってただ良いと褒められてることを受け入れられない。その方が楽なのだろうけど、自分は違うと強気に抵抗する。

自分自身が実際真面目なのだろうから自分に抗いたい気持ちがあるのだと思う。思春期に親から距離を取りたいという反抗心が今度は自分に向いているのかもしれない。どの世代にも自分の置かれている立場に不満を抱き、行く末を知らない先を羨望し、帰られぬ過去に縋る。自分が全ての世代に存在する世界なら自らに斧を振りかざすような言葉を掛け合うだろうな。

逸れた道を歩む人たちに憧れるのは熱を感じるところにもあると思う。表舞台に立ってキラキラした世界の中で生きてる人もすごいとは思うけれど、ちょっと変わった人生を歩んでる人達はその先に見えきった道がないから、周りの影響よりも自分の中で燃える熱がエンジンを稼働させて進んでいる感じがする。その1人走りで燃える熱を羨望してるのかもしれない。

先日、中学校の頃に自分に英語を教えてくれたいた先生とご飯を食べた時にアルバイトの話になって、

「施設内の別会社のサービスは把握してるの?」
「それは別の会社だから。」
「アルバイトだし。」
「でも、自分だったらできる全てのことを把握して、知らないことがあればそれを知ろうとする」

アルバイトの是非は別の話として、そこに熱を持てるか否かみたいなことを思わずにいられなかった。何事にも興味なさそうに表面で見えてしまうが本当に気にかかるものは自分の中でしまっている。でもそれを外の方向に変えることはないから矢印が自分の中でまとまってしまう。

逸れた道を歩む人たちの熱は矢印を外に向けて自分で受け止めたことで終わらないんだなとも思う。でも、自己啓発みたいに自分を発信しようなんて大袈裟で胡散臭いことはありきたりだしそうは思わない。でも、人に知られる必要はないとしてもそれを解釈で終えずに行動まで少し進めてみようと感じた。

逸れた道の歩みの先に明るい未来があるとは約束されなくても、その熱を感じるだけで十分だと思う。

異端だなんて曲がった天才の言い換えのような大層なものでなくてもいいけど気になるならその意欲に方向を与えてあげたい。

脇道へ逸れるその先に、単純でなくとも好奇を求めて。


週の日記

何か書き始めると最初はそのことで湧き上がることがたくさんあるのだけれど、書き綴るとだんだんこの文章の終着点が行方不明になってしまい自分で批判していた自己啓発みたいになって自分でも気持ち悪くなりましたがちょっくら真面目を受け入れられずに異端をにあこがれてるってだけの話です。

あと初めて見出し画像をCanvaというやつで少しいじってみました。無料提供の画像もいい感じのが多くてどんなものを選んでも見栄えのいいものになりますね。

文章も週ごとにうまくなればいいのですが次第に迷走してる気がするので読書するときに書き手の考えも気にしながら読んでみます。

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