見出し画像

あなたの表現とは。

友人が面白いラジオをシェアしてくれました。
「職業でなく「生き方」としてのアーティスト」というお話で、デザイナーの中山ダイスケさんと渡邉康太郎さんの対談。

いろいろとても共感する話でした。このタイトルにピンと来た方はぜひ聴いてみてください。

ラジオの中で出てきた郵便局員の詩人さんや、「引き出しの中を整理するのもデザイン」などの話を聴いていて思い出したのは映画の「パターソン」。


主人公の職業はバスの運転手。でも休日や空いた時間などは一人思索に耽り、ノートに詩を書きつける詩人でもある。一方パートナーの女性も日々の生活を自らの手で作っていく。たとえばいささか個性的なカーテンや思いつき料理を作ったり、斬新なデコレーションのマフィン(最高にキュート!)を焼いたり。それはまさに「表現」。このカップルさんは、生きていく上で、それをやらずにはいられない、アーティスト。たとえその表現が生きる糧=職業に繋がらなくても。

「好き」や「そうせずにはいられない」、何か根源的なものが「表現」。
時には本人の自覚さえなく、たとえその表現を観る者がいなくても自然としているもの。

「表現」に、よりよく見せたいという自覚や一歩引いた客観性が加わり、意図を持って課題解決していくのが「デザイン」。

では「アート」は? 何か新しいものを作り出すことが「アート」だと思うと、構えてしまうのだけど、「物事を柔軟に捉えて新しい見方で創意工夫する考え方」なのだとしたら日々に取り入れていくことができる気がします。

料理やその盛り付け、整理整頓の仕方など生活の中でこうだったらいいのに、を自分で考え、手を動かし、作る。創意工夫していろんな心地良さ、美しさを作る。いわゆる「丁寧に暮らす」ことで生活が全てアートとなりうる。そう考えると女性はSNSなどで誰からも評価されることはない時代から連綿と「表現」してきたのだと思います。まさにパトリス・ジュリアンさんの言う「生活はアート」。

でも自分を省みてもその「自分で考える」「創意工夫」が難しい。
番組内で話されていたように「柔らかい教育」を受けられるかどうかも関係がありそうです。人は皆アーティストだということを簡単に忘れてしまいがちです。

そう、ずっとクリエイティブ、という言葉にアレルギーがありました。
自分にクリエイティブ=美を創り出す才能、がない、と思っていたから。
ガチガチの固い教育を受けてきたから、とは言いません笑
だってほとんどの人はそういう教育を受けてきたのだもの。

さてそんな私の表現ってなんだろう(番組からリスナーへの問いです)。

何か手で表現できること・・・と思って入った花屋をもうすぐやめて、
職業として「表現」「デザイン」することはなくなります。

それでも日々の中で、このラジオを聴いて感動したように、何かに心が動き、それを文や写真に残していくこと、かな。誰にも頼まれていないけれど(たいていの表現は「愛しいいらんこと」と思う)。

そして生活をもっと工夫すること笑
買えば済む、や面倒臭がりをやめて目の前の小さな困ったを自分でなんとかする。そして自分にとって心地良い景色を自ら創り出すこと。「パターソン」の二人のように、息するようにふつうに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?