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できっこない自分とできる自分〜『GIANT KILLING』で得た気付き〜

僕の中には、「どうせ自分にはできっこない」という諦めにも似た感情と「自分ならできる」という潜在的な意識が同居している。

『GIANT KILLING』(ジャイアントキリング)というモーニング誌のサッカー漫画の37巻366話に出てくる一節を数年前に読んだときに、「あ、自分もこれだ」と思ったことがあった。

その一節とは、初めて日本代表入りした椿つばき大介だいすけ選手が同世代の窪田くぼた晴彦はるひこ選手に対してメンタル面に関する相談を持ちかけた際に、窪田選手が椿選手に返した言葉である。

そのシーンを紹介する前に、まず第一に椿という人物が何者か、そしてどういう状況で交わされたやりとりなのかを簡単に説明したい。

椿は、日本のプロサッカークラブETU(East Tokyo United)に所属しており、22歳以下いわゆるU22の日本代表で大活躍し、勢いそのままにA代表(年齢制限のないフル代表)にも初選出された、まだ経験の浅いサッカー選手。

世代別の代表からA代表へのステップアップと、破竹の勢いでサクセスストーリーを歩んでいるように見える椿だが、実際のところは、とにかく気が弱く、精神的な未熟さからポカも多い選手。

そんな椿は、A代表合流直後の1試合目、結局1分もピッチに立つことはなかった。

椿はベンチから試合を眺めていて、代表常連選手たちのメンタルの強さを目の当たりにし、自分がベンチに座ってることすら場違いに思えてきて、もっともっと成長しなきゃ敵わない、今回はチャンスすらない、と思ったのであった。

それなのに、試合が終わりに近づくにつれて、矛盾していると思いながらも、自分を全く起用しない監督に対して「なんで俺を使わないんだ」とベンチで爆発しそうになったと椿は語る。

その晩、宿泊所の窪田の部屋を訪れた椿は、試合中にベンチでそんなふうに考えた自分自身を「超おこがましい奴」「自分で自分のことがわからなくなる」と表現しながら、「俺やっぱりどこかおかしいのかな」と窪田に相談するのであった。

窪田は、椿の同世代で、椿よりも一足先にA代表デビューを果たしたが、椿のことを誰よりも認めている仲間でもある。

その窪田が椿に対して返した言葉が次のものだ。

(椿君って)前から変 だって椿君てさ 話をするといつも自信ないとか 自分は下手とか言うけどさ 僕の知ってるピッチ上での君は いつも迷いなく風みたいにビュンビュン走って 大胆なプレーでチャンスを作って ここぞってところで活躍してチームの雰囲気を変えちゃうような選手だもん

これを聞いて椿がハッとしている間に、窪田は次のように言葉を重ねる。

そんなの自信のない選手ができることじゃないでしょ だから僕は前から思ってたよ 椿君て多分 二重人格で色々大変なんだろうなって きっとさ… 自分で気付いてないだけさ 頭の中では敵わないって考えていても… 本能の部分では 自分ならやれる 絶対にできるって思えてるんだよ そうじゃなかったら普通は怖くてゲームに出たくなくなる 悔しがることだってできっこない それがそこまで悔しがれるなら 椿君はA代表で戦えるだけのメンタルを とっくに持ってるっていうことなんじゃないの?

僕はこの窪田のアドバイスを、息を呑みながら、椿と同じ表情で聞いていた。

そして、二つのことを思った。

まずは、椿への思いがあった。僕は椿のことを心の底から応援しているので、「そうだ、椿!クボちゃんの言う通りだ!あんたはやれる!そしてあんたは、あんたがやれることを知ってる!かましたれ!」という熱い気持ちになったのが一つ。(その後の椿は、吹っ切れたのか、とんでもない活躍を見せ、日本中を熱狂させることになる。)

そしてもう一つは、「ああ、これは自分にも当てはまるな」という気付きだった。

これは、長年の自分自身に対するモヤモヤが言語化された瞬間でもあった。


変な話だが、僕は昔から、自分に自信がなくて、それでいてどこか自信がある。

基本的に心の中は「どうせ自分なんて」という暗い感情が覆っていることの方が圧倒的に多いのだけど、いざ出番となると、不思議とやれる気がしてくることがある。

本番前はこれでもかというほど萎縮し、「絶対うまくいかない」とすら思っているのに、本番となると「やっちまえ」という気持ちが前面に出て、別人格にすり替わるような、そんな感覚。

論理的な思考とはかけ離れているのだが、脳みそのどこかで、自分はできると思っている節がある。


過去のいくつかの成功体験を思い返しても、成功を収めるまではどれも自信がなかったことが思い起こされる。

僕は元来、「何かに取り組むには一番を目指した方がいい」と思っている派だが、自分のこととなると途端に自信がなくなる。それも特に、団体競技ものではなく個人で勝負するものになると、極端に自信がなくなる。

サッカーのセレクションでも、ピアノのコンクールでも、高校受験や大学受験でも、就職活動でも、準備段階では「自分よりも凄い人はいっぱいいるし自分にはノーチャンスだな」と、自信のかけらもなく、諦めにも似た感情が僕を支配していた。

でも、いざ本番となると、なぜだか自分は堂々と胸を張ってベストパフォーマンスを発揮することができた。そして、それが良い結果に繋がってきた。

もちろん失敗も沢山経験してきたが、成功体験を思い起こすと、決まっていつもこのパターン。つまり、自信が全然ないところからの、いざ舞台に立つと自信満々の立ち振る舞い、というパターンである。


自分の中には日頃、様々な感情がうごめいている。

できない自分とできる自分、目立ちたくない自分と目立ちたい自分、ノリの悪い自分とノリの良い自分、冷たい自分と優しい自分、冷めた自分と熱い自分。

こういう対極にいる自分同士が、僕という一人の人間の中に同居している。

どちらが本当の自分かわからなくなってモヤモヤすることがままあったのだが、『ジャイアントキリング』37巻の窪田から椿に向けられたセリフに触れたときに、「ああ、そうか。こういうことなんだ。椿と一緒だ。これでいいや」と腹落ちした。

自意識が「あんたはやれない」と自分を制していても、本能が「あんたはやれる。やっちまえ!」と叫んでいるなら、僕は本能の叫びを信じてみたい。


おわり

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