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泡日記 おつまめの火花

先日の弾丸日帰り帰省の際に “まちのシューレ963”に立ち寄った。そこで帰りの新幹線で食べようと「ちょっぴり嬉しいオツマメ」という袋入りのお菓子を買った。いま私はその残りを食べつつ、数日前の事を思い浮かべている。

私と息子の嗜好は似ているので、私が好んで食べるものは高確率で息子の好物となる。「すあま」とか「柿の種梅味」とか「凍らせたぶどう」とかが好例である。(ちなみに夫の嗜好からは「さきいか」「あたりめ」などを惹いている。)
帰省の翌日、余った「ちょっぴり嬉しいオツマメ」を皿に出しておくと、即座に息子が反応を示した。袋からもざらざら出して、これ美味しい!と笑顔である。私も「美味しいよね」と一緒につまみながら、それは伊勢屋さんで買えるすあまや、どこのスーパーでも売っている柿の種梅味と違って、無くなったらしばらく食べられないよと、口にしなかったが思っていた。

全部食べ切るには塩気が多すぎるから、私がいつも言いがちな「食べ過ぎたら鼻血が出るよ」で息子の手を止めさせたのに、息子が学校に行っている間に小腹がすいた私は、少し余っているオツマメを平らげようとしている。
「ちょっぴり嬉しいオツマメ」は揚げた小ぶりのそら豆に塩をまぶしたもので、香ばしく癖になる美味しさである。袋に「坂出の塩」というシールが貼られていたところが購入の決め手になった。

日曜日の18時半過ぎ。
マリンライナーに乗るため高松駅で駅弁を買おうと思ったらどの店でも売り切れてしまっていて、仕方なくコンビニで弁当とビールを買った。列車が発車してゆっくりホームを進みだすと、私はすぐオツマメを開封した。秋分の日が近いから19時を過ぎたら外はもう真っ暗だ。さっき別れてきた両親の、特に母の猫背気味のシルエットが、まだぼんやり前頭葉あたりに貼りついて離れない。

しばらくすると列車は橋に差し掛かり、真っ暗な瀬戸内海の上を走っていく。車窓に映るのは明るい車内の方なのだが、それでも何か見えないかと窓におでこをくっつけていると、島内のほのかな家の明かりや、船の灯りを見つけることができた。
ああ今日は旅で終われるなと思った。坂出の塩を使った「ちょっぴり嬉しいオツマメ」もあるし、発泡酒じゃない本物のビールを飲んでいるし、新幹線でお弁当も食べる。これからの4時間は、家に帰るための旅になる。

“まちのシューレ963”は、奈良の有名店「くるみの木」オーナーの石村由起子さんがプロデュースしているお店で、品ぞろえのセンスが良く、瀬戸内地方の郷土土産や雑貨を眺めているだけでもわくわくと楽しい。両親が元気でいてくれた頃は、高松に遊びに来ると必ずここに立ち寄って、会社への手土産や自分の買い物をした。その頃は夫や息子も一緒に帰省していたので、私が買い物を終えるまで辛抱強く待ってくれた。ついてきた母も一緒に店内をうろうろして、滅多に自分は買うことはなかったが、私が土産を選ぶのを嬉しそうに見ていた。

「ここ(高松)に、あんたの好むような店があって嬉しい。」と母は私に言ったことがある。
母の心にはずっと神戸のことがある。父の勝手で神戸を離れなければならなくなったことを、私や弟が育った家に戻れなくしたことを、父と夫婦である意識の延長で、ずっと私たちに申し訳ないと思っているようだった。だから私が高松での滞在を純粋に楽しんでいることに喜び、そして安堵もしたのだろう。

私が高松で気に入りの店を見つけて、帰讃の度に母を連れ出して一緒に訪れた店は、私にもいろんな意味で思いを残す場所になった。
本屋のルヌガンガ、城の眼(喫茶店)、+106(ギャラリー)、プシプシーナとか他にもたくさん。
ただついてくるだけの母は、どれもあんたの好きそうな店やと嬉しそうだった。私も母の心の底にある思いを想像して、好きな場所は高松にもいっぱいあるよと返した。
それから、海の位置は神戸と反対やけど、反転になったら高松では良い事あるかもしれんよ、と付け加えた。
言ってから、今のはおまじないみたいだと思った。

神戸っ子で育った私は、南に海、北に六甲山がある方向感覚が身に染み付いていた。だから初めに高松に来た時は、北に海が見えることになかなか慣れなかった。母も同じ感覚を持っていただろうか。

オツマメをおつまみながら窓の外の暗い海を眺める。隣の席に座る女性は、開けてない酎ハイを席の前のネットに入れたまま寝入っていた。
前回「まちのシューレー」に行ったのはコロナになる前だから4年ぶりだったなぁ。今年はすでに4度目の高松だが、入院や介護の手続きで慌ただしく、余暇の時間をほぼ取らなかった。
気分ももちろん旅ではない。

今回は日帰りの予定で無理やり来たけれど、ぽかんとできた時間であそこに行けてよかったなと思った。店内では、高松明日香さんの絵を偶然にも見ることができた。あの独特の青の静謐な風景が数点展示販売されていたのだ。私の自宅に飾ってある、彼女の描いた海に浮かぶ小舟のような島の絵のことを思った。頭の中で、何もないみたいな黒い海の上にその絵を重ねてみた。あの絵を自分のものにしておいてよかったとまた思った。

過去の全てがとは言えないが、ある部分同士は細い導線で通じていて、何かのきっかけでちりちり火花を散らし、その存在を示す。ちょうど、あの闇に浮かんでいた船灯のようだ。

食べつくしてしまった「ちょっぴり嬉しいオツマメ」の袋をゴミ箱に捨てた。美味しかった、でも。今度行ったらまた買わなくちゃ、とならないようにしよう。次見かけたときに、散るかもしれない火花のために。大事にとっておこうかな。
小舟の島の絵のように。


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