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あえいうえおあお

ア エ イ ウ エ オ ア オー

カ ケ キ ク ケ コ カ コー

サ セ シ スー・・・・・・・・

不思議だけれど、自分の中学生の頃を思い出すとき、記憶の映像の後ろ側で彼女たちのこの唱和を聞いている。私は運動部に所属していたので、実際はこれを声に出して言ったことはないはずなのに「あ」から「わ」までがすらすらと、彼女たちの声で思い出される。
あれは演劇部の発生練習だったのだろうと思う。

分かりやすく思い出すのは部活の思い出である。ある時は学校の玄関上。
うちの学校玄関の上はバルコニーのように出入り可能になっていて、演劇部の部員は時間になるとここに集まり、手にお腹をあてて揃えて声を出していた。その中には男子もいたはずだけど、声が一束となると女の子の高い音に吸い込まれて目立たない。私たちはその声の下で、腹筋などの準備トレーニングを行うのが日課だった。二人一組でペアを組んで、先輩の掛け声に合わせて交互に腹筋をする。やっていると自ずとアエイウエオアオとリズムが揃う。私は基礎トレが好きじゃなかったので、早く終わりたい一心でこの声を聞いていた。基礎トレが終わったら学校周囲のランニングが待っている。これも最悪。こんな事より早く体育館でボールにさわりたいのに。

息を切らしながらランニングから戻ると、玄関の上に演劇部の姿はない。どこかの教室に既に入ってしまっているのだろう。私たちは荒い息のままシューズを履き替える。やっと体育館に入る事ができるのだ。

ア エ イ ウ エ オ ア オー
もっと分かりやすい思い出もあるはずなのに、一番先に思い出すのは地味なトレーニングと彼女たちの声なのだ。

*****

またある時は、渡り廊下。
北棟と南棟を二階部分で結んだ渡り廊下は、西を向くと正面玄関の方角、東を向くと削りだした土の斜面が目立つ裏山を眺める。空が開けたこの場所もよく演劇部の発声練習の舞台となっていた。
劇の練習となると教室に入ってしまうので私たちに彼らの活動は見えないが、発声練習は空の下で行うと言うポリシーがあったようで、渡り廊下に一列に並んで声を出す彼らをよく目にした。
声が聞こえる方向で、ああ今日は渡り廊下ね、と私は思っていた。

渡り廊下で気になる男子とすれ違う。
それだけで口から心臓が飛び出しそうになる。彼への感度が高いので北棟の出口に姿が見えただけで、大慌てで友達の後ろに隠れる。「わ、来た~!」と要らぬ一言をわざわざ大きな声にする友達をぎゅうぎゅう押して進みながら、顔を真っ赤にして男の子とすれ違う。
こんな風では、私がその子を好きだと言うのが丸わかりなのに、バレてないはずと当時の私は思っていた。

好きすぎて、好きすぎて。
結局3年生になってもその子に想いは言えずじまいだった。

中学校の渡り廊下を思い描くとき、耳が熱くなるほど夢中で好きだった子が自分にもいたっていう事と、それと全く関係ない演劇部の発生練習が思い出される。

ア エ イ ウ エ オ ア オー
一番最後の音がすーっと風に運ばれて空気に溶けていくように、私の恋も空に飛んで行った。

*****

ある時は、校舎の一番上。屋上に出る手前の踊り場部分。
うちの中学では、この場所は最上級生だけが使ってよい場所として代々受け継がれてきた。(いま思えば、おかしな事が大事だった。)

誰と誰がここでとっくみあいの喧嘩をした。
誰が誰を呼び出して、告白した。
誰が3時間目のプールをさぼってここに隠れていた。

これらには全ての文の最後に「らしい」がつく。
当たり前だか、狭い場所なので上級生全員がここを使う事はできない。この場所で起こった出来事は主にうわさでしか伝え聞くことはない。
4階の踊り場まではみんなの共有部分。そこを折れて屋上へ向かう階段を進むとどこか空気も冷たく静かである。登り切ったところが少し目隠しで隠れる。その場所は、たとえ最上級生になったといえ私などは気安く行ける場所ではなかったのである。

だけれど。
私は一度ここを使ったことがある。その日は私立の高校受験が一斉に行われていた。その日も同級生の9割近くが受験の為に不在となっていた。
その日登校してきたのは、既に推薦で高校が決まっている子、公立一本に絞っている子である。私は後者だった。

高校には受からなければ行けない。
今もそうだろうが、行くか行かないかは置いておき、とりあえず滑り止めで私立を受験するのが当時も当たり前だった。

「うちにはとりあえずで受験させてやれる余裕はない。万一私立しか受から なくても行かせてやれない、だから私立は受けさせられない。」
強気の公立一本ではない。

三者面談で、「頑張れば狙えるのはこの学校だけれど、私立を受けないとなるとここまで下げましょう。」そう言って先生は狙えると言った高校の二つ下にある高校を差した。
「まだ出来て6年ぐらいの新設校だし、荒れていません。」

その言葉に何の説得力があるのか分からなかったが、隣に座る母はしっかりとうなずいている。これは一体誰の話なのだろうと思った。
はっきりしているのは、ここに受からなければ私は高校生にもなれなくなるという事だ。
先生と母と私が座っている今の時間が、とても空虚に感じた。

いつもの時間に登校し、4階にある教室に入った。
(人はいるだけで温かくなるんだな。)
体温を発する人数が少ないと教室が冷たく感じるのだと、その時知った。ガランとした机が並ぶのをボーっと眺めた。同じクラスで受験しないのは3人。うち二人は男子で、一人は野球推薦、一人は学校一の成績の子で強気の公立一本だ。二人とも静かに座っている。私は特に話すこともないので、鞄を置いて教室を出た。

行ってみるか。普段近寄れないあの場所に。

ペタンペタンと階段を上がる足音が冷たく響く。屋上の窓からもれてくる光が明るいのがなんとなく救いのように感じる。

きっと今頃みんな緊張してんだろうな。。。

「明日受験なんて最悪~」と嘆いていた同級生らを思い出す。最悪だと言いながら、みな「受験生」という特別な呼び名を持つ人にとっての「本番」がやってくる訳なので、一様に気持ちが高ぶっている。仲のいい子はみんな明日受験する。朝が早い、起きれるかなと心配する友達に、私は頑張って~と声をかけるだけだった。
彼女たちは間に合ったかな。
ちゃんと机に座ったかな。

私はお尻が冷たくなるのも構わず座ったままで、ぼんやりとガラスの向こうの空を見た。

「ア エ イ ウ エ オ ア オー」

音が無いのが寂しくなって、小さく口ずさんでみた。なぜこれなのかは自分でもよくわからない。

「カ ケ キ ク ケ コ カ コー」

私は怖い。
そして、悲しい。そして悔しい。
なんで私だけこうなんだろう。
考えたら、涙があふれてきた。
しばらく涙を流しっぱなしにすることにした。

少ししたら1時間目のチャイムが鳴った。担任ではないスリッパの足音がしたから聞こえてきた。(担任は一番多い受験生がいる高校に引率している。)
今日は、ふてくされて落ちてやろう。
とことん、やさぐれてやろう。私の為に。

「マ メ ミ ム メ モ マ モー」

空を切り取った屋上の窓の向こうに、雲がひとつ流れていった。

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