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ぶどうを凍らせる

子どもの頃からぶどうが大好きで、まれに母が食卓にデラウェアなどを出してくれると、年の離れた弟とよく取り合いをした。
弟が小さい実を口に運んでいくのを「いま5粒たべたな。。」と目の端で追う。私も負けないで5粒以上をたべる。弟も私が何粒たべたかをちゃぁんと数えているから、負けじと姉以上の粒を口にほおりこむ。
気が付けば味わうどころではなくなっているのだけれど、姉と弟のあさましく真剣な戦いは今や懐かしい思い出だ。

独り暮らしをするようになって、スーパーに並んだぶどうを自分の為だけに買った時、計り知れないぐらい無性な喜びと自由を感じた。
選ぶのはデラウェアじゃない。巨砲やピオーネなどの憧れの大きな実だ。

パックからあふれそうなひと房ひと房を、その中でもどれが一番大きくお得そうかを吟味する。
ー私はこれを独り占めするんだ、ううう嬉しい。

給料日を迎えて、ほんの一瞬財布が豊かになったタイミングで味わう贅沢。
ひとりの部屋で、ゆっくりと味わう一粒のなんと美味しかった事か。
些細なことなのだけれど、そんな事が私の新生活をみずみずしくしてくれたのだった。

***

家族との生活になってまた、ひと房のぶどうを皆で取り分けるようになった。息子も果物全般、中でもぶどうは特別大好きだ。
一人っ子の息子は競争相手がいない。その為小さい頃の私のようにギラギラとお皿に目を光らせる事はないのだけれど、ぶどうに関しては独占欲が強い。出来るだけ沢山頬張って、りすの口になっているのが可笑しい。

そんな息子に伝授?したのは、私が子供の頃によくやっていたある方法。
洗ったぶどうをバラして、タッパーにいれたまま凍らせるのだ。これは貧乏性の私が考えた、いかにして貴重な一粒をじっくりゆっくり味わうかという方法だ。

やられたことがある方はご存じだと思うけれど、凍らせたブドウは本当に美味しい。皮付きのまんまコロコロと氷のように口の中で遊ばせていると、だんだん皮が剥がれてくる。半解凍になった実をゆっくりと噛むとじゅわーっと冷たい果汁が口の中に広がる。生の果実よりも長く楽しめるその食べ方が私は大好きだった。

私の場合は生存競争の一環だったけれど、息子の場合はシャーベット感覚の優雅なデザートである。息子もとても気に入って、今では買ってきたブドウの半分は冷蔵庫行きになっている。

今日も厳しい夏日。
息子が凍らせたぶどうを少し分けてもらって、ひと粒ほおりこむ。口の中が柔らかくひんやりとしてくる。

懐かしいあれこれを思い出す。

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