蛇の金婚

最近こちらの晩御飯時に、遠方に暮らす両親にLINEをつなぎ、テレビ電話をするのが日課となっている。
日課といっても簡単ではなく、毎回一度では繋がらない。
父母どちらの携帯に掛けても、向こうで慌てている(予想)と思われ、通話ボタンを押し間違えたり、カメラボタンが見つけられなかったりと何度もかけ直すことになる。
老いた両親に操作は簡単なことではないけれど、繋がった時に画面いっぱいに現われる互いの顔を見て嬉しいと思う気持ちにはかえられない。
孫の顔が見れたと喜んで、浮き立っている両親の心の作用にも期待を込めている。

***

二人だけの田舎暮らしは、平穏だけれども変化が足らないのだろう。両親が住む地域もまん延防止措置が取られているので、父親が精を出している老人会の集まりも自粛となった。

昨年の春まで病院の調理場で働いていた母は、長年働きづめだった生活から解放された当初は、あれやこれやと家仕事に忙しくしていたけれど、最近は一日テレビ前の一人掛け椅子に座っていることが多いと言う。
毎年漬けていた梅干しを「今年はよう漬けんかったわ」と電話越しに申し訳なさそうにしている。漬けたら少し送ってねと、以前私が言っていたのを気にしているのだ。

母は耳も遠くなっているので、息子が話しかける言葉が聞き取れずに会話も成り立たないこともままだ。息子や私の顔を見てただ微笑んでいるだけの時もある。話の内容より、顔が見れたというのが嬉しいのだろう。

心配な事も多い。
父曰く、母は最近特に物忘れがひどくなっているという。同じことを何度も言い、さっき父から聞いた話を忘れてまた聞いてしまう。それを繰り返す。
父もいい息抜きだった老人会での気分転換がなくなり、日々悶々としている。思わずカッとなり、母への口調が荒くなる。

電話で私達と話している時もそれは折々にしてその場面は垣間見える。
互いに口を開けば喧嘩ごしになりがちで「怒られてばっかりや」と言う母の言葉に切なくなる。

それでも、
ー私に今日できることは、電話をかけて顔を見せること。

結局は自分が安堵したいだけなのだと分かりつつも、昨日と今日に表立った変化が無い事を確認できるだけでも随分と違うのだ。

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いつものこの時間、焼酎のお湯割りを飲んでいる父が珍しく湯呑を手にしている。父はコップに半分の焼酎となみなみのお湯を注ぐ母の割合でないと、満足しない。帰省の折に私が飲みすぎを気遣って焼酎の割合を少なくして出すと、決まって「うすい!」と文句を言う。この毎晩一杯のお湯割りが出てこない事は論外で、寝る間際まで布団の側に持ち込んでテレビを見ながら寝酒を楽しむのが常なのである。
その父が、湯飲みを手にして上機嫌でいる。

どうしたの?と尋ねると、「これ、もろたんや」と携帯を揺らして画面に何かを映そうとしている。
ー表彰状?
ー見えてるか?
ー端っこしか映ってないけど、表彰状みたいなの?
ーそうや、昨日もろたんや。金杯ももろたんやで。
両親の金婚式を祝う額入りの賞状だった。

揺れる画面に、目じりに皺を寄せながら頬を緩ませる父の顔が一瞬うつる。私に向けて笑っているのではない、賞状や金杯をみて微笑んでいる横顔。
心から嬉しいんだ...と娘に伝わる顔。

こんな顔見てしまったら、泣きそうになるじゃないか。

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私が知る限りでも二人は苦労の連続で、私と弟に家の問題が降りかからないようになったのも、やっとこの10年ちょっと。それを思うと、二人は50年のうち40年近くを波乱の中で生きてきたようなものだ。

飛び出せた私や弟と、母は違った。
私が一人で生計をたてられるようになり、何度も父から離そうとした策を断って、母は「最後にはお母さんしか面倒見る人おらんねん」と父の元に戻っていった。
母を引き取って二人で暮らそうと意気込んだはいいけれど、実際は自分の事で精一杯だった私は、母の硬い決断をどこかほっとした思いで受け止めた。

蛇と蛇がからまりあう。

その昔、中学の頃に通っていた学習塾の講師が易学をやっていた。
毎日が不安で仕方なく勉強にも身が入らなかった私は、思い詰めてその講師に相談したことがあった。藁にもすがる思いというのか。両親についてみてもらったことがある。
講師は、両親の生年月日や私からの心細い情報を元に見てくれた。
言われたのは、巳年同志の因果が強く、二人は蛇が絡む合うように互いに巻き付き絡み合いながら生きていくということだった。
聞いた当時は絶望したと思う。救いがないような気がした。


その頃から30年近くがたったのだ。
日々の喧嘩は耐えなくても、両親はようやく訪れた平穏な二人の時間を共に過ごしている。母の記憶の糸がほころび始めて曖昧になってきたとしても、父は、母は、互いに寄り添う運命なのだ。

父が見せた好々爺の笑み。
母の強い覚悟と忍耐の果てにたどり着いた、今のほどけた笑み。
二人にしか讃えられない50年の重みを、娘の私は遠くから眺めている。

画面の向こうで父の声が弾む。
ー今度の正月かえってきたら、これで酒のむの楽しみにしとるで。


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