精神科に入院しました


入院するまで

2023年夏、人間関係でトラブルが重なったり、借金が重なったり、その上に詐欺にあったり、更に更に追い打ちをかけるようにやってるバンドが半崩壊しそれに伴う立て直しに起因するストレスなどで鬱状態になり、30歳の誕生日を迎えた8月のある日に心が壊れました。理性的には死にたかったわけではないのですが、抑えられない希死念慮と、孤独等からこれはヤバいと思い…でもSOSを誰かに発信する気力もなく、この程度では死ねないことを理解しつつ某睡眠薬を40錠ほど飲み、自ら救急車を呼び緊急搬送されました。
そのときは軽い応急処置を受けただけで(胃洗浄もなし)1日で返されたのですが、そのときもらった内容が記されてる紹介状を普段から通ってるクリニックの医師に渡したら、入院を勧められ、9月の初めの残暑が厳しい日、都心から1時間ほどに位置する某病院に入院することになりました。
初めに簡単な全身の検査を行い、担当の医師からの最初の診察がありました。それで仮の診断名を与えられ(躁鬱とADHD)、その後しばらく過ごすことになる病棟へ案内されたのです。

Welcome to ようこそ閉鎖病棟へ

任意入院だったのですが(自分自らの意思で入院契約を結び、原則としていつでも退院できる)、その病院は閉鎖病棟(病棟への出入りに医療従事者の許可が必要)で、また個室しか空いてなかったので、推定6畳強ほどの殺風景な机とベッドしかない部屋で一人で過ごすことになりました。病棟に入る上で自傷に繋がる可能性があるあらゆる物が没収管理され、幸いスマートフォンは持ち込めたのですが、充電コードは30cm未満でないといけないということから充電はモバイルバッテリーしか使えないというかなり制限された空間の中、鬱が酷かった最初の数日間はたまたま大部屋に置いてあったHUNTER×HUNTERを読むことで暇な時間を過ごしてました(数冊本も持ってきてたのですが、まだ脳が弱ってて漫画しか読めなかった)。
そう、精神科入院生活は非人道的としか言いようがないくらいの暇との闘いであり、最終的にはそれが決定打となり、当初の予定よりかなり早めに自分は退院することになりました。

医療従事者との関係

入院するのだから通院するのに比べて多くの医療サービスを高頻度で受けれるものだと思ってました。実際には医師による診察は週に2回、その医師は親身に話は聞いてくれ、また自分の境遇への理解もある方でしたが、多忙なのかシステムの都合上なのか、基本的に入院前と大して変わらない一回10分ほどの診察がメインで、投薬治療の話が中心でした。
看護師は毎日担当の方がローテーションで来てくれて、体温測定、血圧測定等を行い、軽く状態を尋ねてくれました(このときどれくらい話を聞いてくれるかにはかなり差があり、30分以上も「傾聴」してくれる方もいれば、無愛想に数分しか話を聞いてくれない方もいました)。入院して最初の方は特に不安も大きく、親身に「傾聴」を行ってくれた看護師には気持ち的に助けられました、同時に冷たい態度で接せられたときには大きな疎外感、孤独、無力感を感じました。
担当のソーシャルワーカー(社会復帰支援?)の方もいました。自分は障害手当、障害者年金等について知りたいことがあったので質問したのでしたが、基本的に会社の人事や地方自治体に相談して下さい以上の回答得られませんでした。
その他には、不安時、不眠時には頓服薬を看護師に伝えれば与えてくれました。

入院中の一日

6時に蛍光灯がつき、強制的に起床させられます。健康的ですね。ところが7時半までなにもありません。自分は入院時は比較的鎮静作用の強い向精神薬(セロクエル)を与えられてたため容易に二度寝出来ましたが、それが出来ない患者にとってはかなりキツい時間だったと思います。
7時半に朝食です。食パン(暖められてるだけ、マーガリンとジャム、個人的にはとても不味いと思った)と副菜(野菜中心に魚肉ソーセージ等)と牛乳かカルシウム強化乳飲料(これが美味しくない)です。
その30分後の8時に朝の服薬の時間になります。これが終わってから一日が始まる感じです。
古い病院のためか空調システムが極端で極寒と蒸し暑いの二通りしかありませんでした。しかも部屋ごとではなくブロックごとでのコントロールしかできなかったためすぐに自律神経が崩壊しました。極寒である事の方が多く、長袖を持ってこなかったため(今年は猛暑だったため長袖が必要になることは想定してなかった)、ほとんど一日中リースの寝間着を着ていました。頽廃的ですね。
トイレは様々な病気の患者がいるため仕方がないとはいえ、最初はビックリしました。流されていないことは日常茶飯事、ギョッとしたのは高確率で便座に付着してる糞便。これには懲りました…が排泄をせずに生きて行くことも出来ないし毎回看護師を呼ぶのも面倒なので、途中からは心を無にしトイレットペーパーと水道水等で洗浄して大丈夫だということにしてました。
入浴は週3日、上記の件もあり、また夏期でもあったのでそれなりに不快感は感じました。またどのような使われ方されてるかもわからないので湯船に浸かることには抵抗を感じ、シャワーのみを使いました。
日中は大部屋でテレビを観ることができ、多くの患者が集まっていましたが、最初の内は自閉的な気分で個室に籠もってることが多かったです。基本的に没入感強めの漫画か本を読んで現実逃避してました。
12時に昼食、案外量が多い。白米に栄養バランスの良さそうな副菜が2, 3個。服用してるコンサータ(ADHDの治療薬)という薬の影響で完食することが結構大変でした。その30分後に昼の服薬。
午後にはしばしば集団リハビリ治療が行われていました。先述の自閉的な気分によりあまり参加はしなかったのですが、端から見てる感じではそこに参加してる方は概ね楽しんでるように見えました。音楽療法の回のとき何となく参加してみて、流せる曲の中に自分が好きなThe Beach BoysのGood Vibrationがありましたのでリクエストしてみました。そのときに作曲をたまにしたりしてるなど話したら何人かの患者から話しかけられるようになりました。
6時に夕食で(昼飯とほぼ同様)でその30分後に夜の投薬、8時には入眠前の投薬(いくらなんでも早すぎない??)、そしてその一時間後の9時に消灯です。幸か不幸か、強い鎮静剤のおかげですぐに寝れたので基本的にはあまり苦にはならなかったですが、中途覚醒したときなどは地獄でした。病気の影響か夜中に叫び声をあげる患者などもい、よく起こされました。

暇…虚無…不自由…

入院生活で一番キツかったことはコンセントが使えなかったことです。モバイルバッテリーもスマホの充電に3、4回使えば空になります。最終的には父親の助けなども借りて、3つのモバイルバッテリーを駆使してなんとかやり過ごしてました。一応有料のスマホの充電器が大部屋に設置されていましたが、100円払ってiPhone13miniが30%ほどしか充電されないという酷い物。これはキツかったです。当然Apple Watch等も使用できなくなる。コンセントが使えない理由は感電自殺を防ぐためだそうです。でも洗面所にはドライヤーを使うためのコンセントがあってこれは使えたり等、いろいろ矛盾しているようにも感じました。看護師エリアで充電出来ないのですか?等言ったりもしましたが、これも規定により医療関係以外のものの充電は禁止されているとかで拒否されました(入院患者のQOLを少しは考えてほしい…)。仕方なくスマホを使用することは極力控え、結果的に読書は捗りました。ここ数ヶ月鬱で活字が読めなかったので、これは不幸中の幸いかもしれないが…
体調や精神状態によっては読書をすることすら困難になります。そういう時はスマホのデータ使用量と電池使用力に怯えながらYouTube動画を観たりしてました。音楽を聴く気は余り起こりませんでした。ヘッドホンは持ち込みOKだったのですが、何を聴いても虚しくなって、寝る前に馴染みのあるショパンのノクターンを安定剤代わりに聴く程度でした。その最中にも、実は自分がリーダーを務めてるバンド、セカンドワルツの1stアルバムが発売されたりなど大事な出来事もあったのですが、中の人はこんな限界状態でありました。
ときどき家族や友人とLINE通話したりもしました。この時間が一番幸せだったかもしれません。X(Twitter)等もたまにやりました。ゲーム機の持ち込みは禁止でしたが、スマホゲームは禁止されてなかったです。昔少しやりこんだプリコネとかドラクエ6とかやってみようかなと何回か考えたりしましたが、不思議と入院中は読書欲の方がゲーム欲を上回っててついに一回もやりませんでした。
他の患者に比べると相対的に自傷の確率が低いとみなされたのか、自分は入院してから数日で病院内の売店に行くこと、更に数日後には病院周辺のコンビニくらいまでの散歩が許可されました。病棟に戻る際には金属探知機等を使って荷物検査をされます。
魔が差しました。そこまで飲酒欲があったわけではないのですが、焼酎ならばこれをミネラルウォーターのペットボトルに入れ替えれば持ち込めるのでないかと思いました。上手くいっちゃいました(反省してます…)。ところが間抜けな自分はこれをSNSにアップロードしてしまい、また自分がセカンドワルツというバンドをやっていることも集団リハビリ治療の自己紹介のときに言ったためか自分のXアカウントが特定されてしまい、結果愚行がバレて怒られてしまいました。幸いにして吾妻ひでおや中島らものアル中病棟エッセイに出てくるような感じで保護室に入れられるとかはなかったのは本当にラッキーでした、というより特に制限が厳しくなる等のことはなかったのですが…
こんな不良患者なのですが、結構早期に外出と外泊の許可が下りました。実は自分は9月20日にセカンドワルツのライブを予定していました。勿論そんな理由では外泊が許されるわけがないので「退院準備のため」という名目でライブの練習や、本番の日の外出外泊を申請しました。

いっぱい本を読みました

初めに読んだ本は(漫画ですけど)前述したとおり病棟内に置いてあったHUNTER×HUNTERです(最初から暗黒大陸編中のヒソカVSクロロまで)。すでに読んだことはあったのですが、ヨークシン編などは結構文字数の多い群像劇要素のある捻りのある能力バトルになったりと頭を使う箇所も案外多く、いいリハビリになりました。何回読んでも蟻編のラストはエモいです。
そのあと困りました。病棟でその他に読みたいと思うような漫画や小説がなく、また自分が見え張りの為比較的読むのが容易じゃない本ばかり持ち込んでしまい、非常に困りました(三島由紀夫の仮面の告白の冒頭を読み、一旦ギブアップしました)。
とりあえず何かを読まなくてはと思い、売店で売ってて読みやすそうに見えた「松本ハウス」さんの闘病日記「統合失調症がやってきた」を読みました。松本ハウス自体はあんまよく知らないのですが、病棟内の患者にも多い統合失調症という病との闘いについて知りたいと思ったのもあり選びました。明快な文で自分の病状と個性両方がいい感じに記述されており(主人公が保護室で薬と病の影響で頭が回ってない状態なのに、あえて難解なカントの純正理性批判を読もうとするする場面などなんか切なかった、当然読めなかった)、病理、狂気に冒されながらも理性や精神についての探求を諦めなかったシーンには何か心が動かされるものがありました。
SFなら純文学よりは読みやすいかなと思い、次は家から持ってきたハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」に挑戦しました。ディック等の他のSF作家と違い、比較的登場人物が少ないことや、大作だけど物語の主題が一貫してる点などから、また自分の鬱が少し回復していってたことからか、比較的容易に物語に没入できた。抑圧された月の民が革命を起こすという物語はなんだか自分を勇気づけてくれました。
なんとなく家から持ってきたもう一つのSF小説、ネヴィルシュートの「渚にて」を次は読みました。普通の物語の感想になりますが、個人的には主人公っぽい軍人とアル中気味の田舎娘のプラトニックラブが印象的でした。
ベンジャミン・ピケット「ヘンリーカウ 世界とは問題である」もなぜか持ち込んでました。ヘンリーカウは70年代イギリスの現代音楽の手法やフリージャズの精神を持ち込んだ当時最も前衛的だったと言えるプログレッシブロックバンドのことです。まだ途中までしか読めてないのですが、メンバーの並々ならぬエネルギーと確固たる音楽に対する思想に一種の嫉妬さえも感じました。退院してから続きを読もうと思います。
家から持ってきた残ってる本はあとは一回挫折した「仮面の告白」のみです。読み進めながら、生々しい「屈折した」性描写から、その後の前半との対比になる「屈折してない」恋愛描写、その後のしんどいシーン(ネタバレになる)を通して一気に作者に共感、狂気、さまざまなアンビバレントなあれこれを感じ、この人の描く狂人をさらに堪能したいと思いました。
一度目の外出で下宿に帰り、片付け、ゴミ捨てなどを行い(長期の入院生活による体力低下が酷く、電車に乗るだけで心身共に疲れ、頓服薬が必要だった)、帰りに病院の最寄りの本屋で同じく三島由紀夫の「金閣寺」を買いました。病室に戻り、すぐに読み始め、三島世界でのトリップに溺れて行きます。「生」と「死」。「美」と「醜」。この二項対立の揺れ動きはまるでロマン派の交響曲の複数の主題の絡み合いのように思え、それが発展して展開し、美しく耽美的なギリシャ神話の引用等を通した主題の再登場、そして結末へ収まっていく様はあまりにも芸術的で、自分にとっての入院生活での最大の救いとなりました。実のところここ数ヶ月音楽をつくる意義がわからなくなりかけていました。それに対する回答がこうした芸術作品の中にしばしばあると知り、なんとも言えぬある意味でナルシスティックな悦にひたってました。
二回目の外出、途中古本屋で複数の本を買いました。セカンドワルツのライブの練習を行いました。楽器に触れるのは数週間ぶり、ビックリするくらい演奏能力が低下していて、イ長調のファには♯があるかどうかレベルのところでミスったりしてすんごい不安になりました。自分が「失敗するのが怖い…」と泣き言をボーカルの古暮まちさんに伝えたところ、「どんどん失敗しましょう。私はライブがすごい楽しみです。」と言ってくれて、とにかく自分もライブを楽しもうと思いました。あの言葉には助けられました。
病棟に戻り、ここでの生活での最後になる本に取り掛かります。例の如く三島由紀夫の代表作、「潮騒」です。ベタすぎるチョイスかもしれない、それくらい高校生までに読んどけ…って言われても言い訳はできないですが…「金閣寺」との対比で内容に別の意味でびっくり、あの頭でっかちである種の厨二病的な変態性、病的さはどこにいったのかしら。そしてなんという読みやすさ。まさかの純度100%の純愛小説ですよ。三島は何を意図してこの作品を書いたのか…しばらく考え込みました。とあるギリシャ神話が物語の構造の元ネタになってるらしいってことはいろいろなところに書いてありました。ある意味で幻想的とも言える、天空の城ラピュタばりに突然現れる美少女に一言も交わさず一目惚れする海辺の町の主人公、有名な焚き火を越えるシーン、海と戦う主人公、そして皆から認められハッピーエンド…考えてみればリアリティが全然ない、すごい象徴的な描写ばかり。これがイデアなのか…とか云々不愉快な空調の病室で考えてました。少しだけ幸せでした。生きている実感を少し感じました。
その他にも数冊古本屋で入手した本があったのですが、後述のように退院が思ったよりも早くなり読む機会はありませんでした。

人権って?医療法って?

一回目の外出の際、看護師に荷物検査をされたのですが、その際看護師が自分のリュックの中身を乱雑に扱い(自分はADHD持ちでものをすぐ無くしてしまうなどあるので大作として必ずリュックの決まった場所に目薬、薬、財布など必需品を入れる工夫をしてるのですが、それを全く考慮せずに全部ぐちゃぐちゃにされた等)、不愉快に思った自分はもっと丁寧に扱ってくださいよ、等を主張し、また頓服薬の副作用と外出の疲れでしんどいからあまり嫌なことしないでくださいよ等を言ったのですが、看護師からのキツい口調の返答+「君たちを守るために必要だから仕方なくやってるんだ」等上から目線とも取れる、もしくは挑発ともとれる(少なくともそのときはそう感じた)言動、プライベートを覗かれた不愉快さ+患者を下に見てると取れる態度にかなり頭がき、この病棟にいることにどういう意味があるのかという疑問が湧き始めました。(ちなみにこのときの荷物検査で傘を紛失されました、弁償してほしいです)
一部始終を見てた別の看護師に尋ねました。その人は「どちら側の言い方にも問題があって、喧嘩のようだった」と言ってました。確かに自分も特に挑発されてからは声を荒げました。仮に喧嘩だとしましょう、相互が謝罪しないすることが和解への最低条件だと思い、私はその看護師に相手が謝罪するならば謝ってもいい(かなり譲歩してるが)と言いました、が、それは挑発してきた看護師の意思次第だと言われました。そのときから自分はその挑発してきた看護師の顔すら見るのも嫌になりました。
翌日、担当の看護師が来た際、自分は病棟内での人間間の人間としての尊厳が対等ではないと言いました。端的に言うと患者を下に見てる医療関係者がいると伝えました。相手はそんなことはない、医療法によって患者は守られてると言いました(何条かは忘れた…)。詳細を教えて下さいと私は言ったのだがそれを伝える時間はないと言われ、どこかに去って行きました。
それから看護師に、コンセントがなかったり、Wi-Fiがなかったり、スマホはいいのにゲーム機は禁止等、苦行のような束縛をされてることにどのような医療上の効果があるのか教えて下さい、インフォームドコンセントというものがあるのですよね、それは看護師にも当てはまるのですよね、等言ったのですが、厄介者扱いされるようにうやむやにされて答えてくれなかったです(自分も冷静に言えてたかは今から思い返すとちょっと怪しいかもしれないですが)。
段々自分はこの環境に何らかの悪意があるのではないかとさえ思い始めました。限りなく無機質で、言ってしまえば刑務所みたいな何の飾りも癒やしもない内装、権力関係のピラミッドで疲弊し恐らく患者に八つ当たりしてる看護師、そして徐々にその力関係に従順になっていく患者たち。妄想に苦しんでるのか拘束に苦しんでるのか分からないけど患者の「助けて」という声を看護師達が無視し続けるのは正しいのか?その悲鳴を聞いて自分は夜な夜な起こされ、助けてあげてくださいと言っても、代わりに自分に睡眠薬が渡される、それは正しい薬の使い方なのか?
自分は少なくとも一ヶ月、つまり10月初旬まで入院するようにと言われました。しかし入院した当初と違ってもう希死念慮もない(医師からも認められてた)、どう考えても心を休めるのに適した環境でもない、むしろどんどん気持ちが荒んでいく、退院を伸ばされることに医療上の根拠はあるのか?その疑問を持ったことは恐らく正解でした。
自分の場合、任意入院という契約で入院したのですが、そもそもこれって公平な契約なのか?病んだ状態低下した判断力で、更に街の主治医からも入院を勧められ(ある意味入院しないとどうなっても知らないぞ、みたいなニュアンスともとれる)、契約書に同意したのですが、一旦入院すると、退院したいみたいなことをいうと、退院してもいいけど今退院すると悪化してもっと酷いことになりまっせ的な脅しを(これに根拠があればいいんですけど、根拠がなければ絶対に言ってはいけない、人権侵害だと思うのです)特に医師ほど病状を把握してない看護師は簡単に言うのです。要は任意入院にせよ、理由もなく(恐らくはベッドの空きを無くし、利益の損失を防ぐため)退院を遅らせようとすることは人権侵害であると同時に憲法違反だと思うのです(この辺りは確固たる文献等を用いて論じないと自分の方が反撃される恐れがあると思いちょっとあやふやにしておきました)。

ライブ

ライブの日は帰るのが遅くなるのが分かっていたので、外泊という形を取りました。ライブの日、午前9時に病棟を出発し、自宅へ向かいました。会場に向かうまで少し時間があったので少しでも練習したいと思ってましたが、長期間運動してなかったことからか移動だけでかなり疲れを感じており、ほとんど練習できませんでした。
ライブの荷物の準備だけでもそのときの自分にとっては大仕事でした。パソコンとMIDIキーボードを使うスタイルだった関係上、荷物は合計10kg近くになり、それを背負った上で住んでる町から下北沢、大体電車で1時間強の距離を移動するのは案の定かなり大変で、ライブハウスに着いたときにはすでにかなりしんどい状態でした。ただライブハウスにいる方達は暖かく、自分のライブを楽しみにしてくれていたので全力を出したいと思いました。
ボーカルの古暮まちさんと合流し、リハーサルをやり、(余り良くないことだけど)ビールを一杯だけ飲み、ライブに挑みました。
結果的には練習不足の割にはとてもいい内容になったと思いました。多くの人に演奏を楽しんでもらい、CDを買ってくれた方もいまして、とても幸せな気持ちになりました。その後も音楽仲間や友人と話したりし、ここ数ヶ月忘れていた幸せなを久しぶりに感じることが出来ました。
その後、終電で自宅へ帰り、気絶するようなに眠りました。
無茶なスケジュールではあったし、精神状態の回復レベル次第では危険な行為であったかもしれないことは承知でした。でも久しぶりの有機的な人との創造的、文化的な交流を通して、より一層早く退院しなければと思いました。

退院へ…

ライブの翌日、重い荷物の運搬や久しぶりの人前での演奏などで、朝目覚めたときも心地よい疲れが残っていました。17時までに病棟へ帰ればいいとのことだったので、この日はずっとやりたいと思っていたポケットモンスターSVのDLCをプレイしたりして、ゆったりと過ごしていました。
夕方、病棟に戻り、一瞬にして気持ちが沈みました。建物の内装から伝わる虚無、制限の多すぎる環境、何もかもが管理されていて逆らうことの出来ない空気感…いつもの読書をしようと思ったが、それすらも本来必要の無い逃避行動のように思え捗りませんでした。
眠剤を飲まされ9時過ぎに寝ます。夜中に悲鳴が聞こえ目が醒めます。時間を確認すると午前3時頃、支離滅裂な言葉の中からも読み取れる助けの求めを聴いてるのが辛く、ナースステーションで自分はその患者をなんとかしてあげてくださいと言いました。しかし代わりに、自分に睡眠薬を飲むように言われ、そのとき自分の中の何かが壊れました。
【ここにもういる必要はない】
睡眠薬を飲んでも眠れませんでした。入院することの意味について考え続けてました。例の病人は疲れ果てたのか悲鳴をいつの間にかあげなくなっていましたが、寝ることはできませんでした。
例えば自傷行為の可能性が極めて高い患者。彼(彼女)らは確かに病的な希死念慮が落ち着くまである程度自由が制限されることは仕方ないかもしれません。
他にも病状によって自他に危害を与えてしまう可能性のある方、重度の鬱や統合失調症の陰性症状で顕著に生きて行くための自己管理が出来ない方等入院が必要・有用な場合はあると自分も思います。
入院当初の自分も希死念慮があり、鬱状態も酷く生活することも困難だったので、そういう意味では投薬治療のみでなく入院することに意味がなかった、とは思っていません。
しかし、どうやらわが国の多くの病院は空きベッドの数を減らしたい、などの利益優先的な理由で入院期間を必要以上に長くしてる傾向があると実際感じ、また複数の文献でもそれに近いような内容が記載してあるのを見ました。そもそも精神病棟のベッドの数は先進国の中では日本がかなり突出して多いみたいです(参照 https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2019/192131/201918036A_upload/201918036A0018.pdf  )。 
また調べている内に、患者に対する人権意識なども諸外国の間で大きな差があることも分かってきました。(参照 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/187064/1/Ronko4_039.pdf )。例えばイタリアでは患者も「市民」であることが重要視され、不当な拘束や不必要な長期間入院は勿論、病棟内の環境も日本と違い開放的にするようしているみたいで、さらにはそもそも日本での精神病棟に相当するものそのものを廃止しようという流れになっているようです。もちろん医療(医療体制)には多大な税金やその他法制度なども絡んでき、一朝一夕で変えれるものではありません。ですが、現状の日本の精神医療の体制には大きな問題があることは確かなことであるように今回の入院を通して思ってしまいました。
また、日本の精神科での治療は酷く薬物療法に偏ってるように思いました。心の病は、ほとんど自明な事だと思うのですが、投薬以外の治療手段があります、またはそれらの併用。例として心理療法(参照 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/10-%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%AE%E6%B2%BB%E7%99%82#:~:text=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%99%82%E6%B3%95%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%B2%BB%E7%99%82,%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 )等が考えられますね。詳細は参照先を見て欲しいですが、日本では自分が知ってる限り代表的な精神疾患、鬱や統合失調症に対して医師は薬物療法を優先し、積極的な「傾聴」はあまり行ってくれないように思います(傾向として)。カウンセラーによる認知行動療法や精神分析などの多くの心理療法には保険が適応されなかったりします。
今回自分は入院という機会を通して、ある程度の心理療法を期待していました。何人かの看護師は「傾聴」してくれました。しかし、多忙等を理由に話を聞くことを拒否する看護師も多くいました。
投薬治療(と言っても基本的に何個かの薬を減薬し、一旦中断してたコンサータを再開しただけなのですが…)は成功したと言っていいのかな、生きづらさはある程度軽減されました。鬱や希死念慮が軽減した理由?セロクエルで馬鹿みたいに寝て、自分の意思でいくつもの本を読み、またこれは入院の利点とも言えるでしょうが、一定の規則で食事と服薬が出来たことが大きいのですかね(特に初期の鬱が酷いときは自力で食事を取ることも難しかったです)。
などなど眠れない状態でいろいろ調べたりしてるうちに、ある程度回復していき、そしてそのときの自分にとって、最早入院を続けることに治療上の意味があるのか、いや、それどころか人格の荒廃に繋がってさえいると思い、悩み、やがて確信に変わり、退院を決意しました。
結局眠れず朝を迎え、医師による診察の時間が来ました。医師は自分の退院の時期を相変わらず10月初旬くらいと言いました。それに対して私は投薬治療の継続の必然性は認めるが、このお世辞にもいいとは言えない環境でこれ以上入院することに医療上の意味があるのかと、率直に聞きました。また、コンセントやWi-Fiのない過度の自由の制限、患者に対して権力を行使して患者を萎縮させてる医療従事者がいること(端的に言うとパワハラ)などに辟易している旨も伝えました。医師は自分の退院を認めました(そのとき医師はどういう心境だったのか今思えばちょっと測りかねないなと思います。どちらにせよ最終的には医師には自分の退院の意思を否定することは契約上できないということだけ確かなことと言えるかも知れません)。ピラミッド構造になってる力関係の話をしたら、そういうものが存在することも医師は医師としてではなく一個人として自分に存在すると認めていました。いつ退院するかの話になり、初めは2つ日後の25日を勧められましたが、一刻も早くここから出たかった自分はその日当日の22日でお願いしたいといい、医師はそれを受け入れてくれました。
その後は2週間分の薬を準備してもらい、一時間以内に出れる準備をするよう言われました。ワーカーの方とお話しをしたいと言ったのですが、一時間近く待たされた末に会議があるので無理ですと言われました。かなりの量の荷物を衰えた体力に苦しみながら背負って、しんどい思いをして一般的な日本人の自由と権利を約3週間ぶりに獲得しました。

後日談

極端な行動範囲の制限、劣悪な空調、異常な残暑からの急激な秋の涼しさから体調を崩し、24日現在、まだ全然本調子ではありません。少しずつ人間的な生活を取り戻し、体力、精神力を回復し、近いうちに仕事にも復帰したいと思っています。
多くの方に心配をかけてしまったことは本当に申し訳ないと思っています。今後はもっと明るいベクトルへエネルギーを注いでる自分の姿を皆に見てもらいたいと思ってます。
恨みつらみを持ち続けて、それで破滅していく自分はきっと見苦しく、かっこ悪い存在となってたのでしょう。いろいろあって、前述の通り負の方向しか見えなくなり、それが原因で結果的に今回ここまで鬱を拗らせたのだろうと思いました。なのになぜ今こんな暗い文章を書いているのか?もしかしたら利己的に生きるだけならばさっさと入院中の出来事など忘れて未来や現在を堪能するべきなのかもしれません。でも同じ苦しみを味わう精神疾患で入院する人が今後一人でも減ってほしいという思いもあったのでこうして文章化してみました。
この文章は基本的に主観的で恐らく自分の偏見も多く、医療などについての問題提起などについても的確な文献からの引用が全くもって不足しており、だからこれだけで何かを変えることはたぶん無理なんだろうなと思ってます。でも多くの人にとっても(”健常者”、そして”精神疾患者”にとっても)謎のベールに包まれた精神病棟とそこでの生活や治療などについて少しでも知ってもらえたら幸いだなと思い、そして少しでも日本の精神医療が良くなってほしいと思い、もしかしたら何かなのきっかけになるかもしれないと思い、なるべく包み隠さず(個人を特定出来る内容は細心の注意を図って省きました)記載しました。
記載した内容について感想、疑問、誤りの指摘等ありましたらコメントないしはaoe1928@gmail.comへのメールをしてくださると幸いです。
最後に長文を読んで下さった方、ありがとうございます。


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