「好き」は一方通行



ある日、親友は僕に告げた。


「もう少し、『好き』って何かを考えなよ」


え。

好き、って好きでしかないじゃない?

説明しようとすれば、いくらだって言葉が弾む。


僕は人間が好きだ。

僕とは全く持って違う人間が。

何を考え、何を嗜好し、何を言葉にするのか。

言葉にできない微細な表情の変化も。

言葉になる前のとっさの行動も。

僕とは何一つ異なる。

その違いに、どうしようもなく打ちのめされて、理解が出来なくて、時々果てしなく絶望する。

けれども、その”違い”によって、自分の輪郭ほんのり浮かび上がる気がする。

僕とは、私とは。

何を思い、何を感じ、何をするのか。

目の前の君と相対したときに、いやというほど自分が見えてくる。

目の前の君と一体となりたいと願えば願うほどに、薄いビニルカーテンが君との距離を感じさせる。

近づけばはっきりとしてくる君の輪郭。

何となく感じる熱量。


その僕、その私にしか受け止められない気持ちを

なんとなく”好き”という言葉で象って伝える。

その艶やかな髪が好きだ。

すっと通ったりりしい鼻筋が好きだ。

その冷えがちな、か細い指が好きだ。

気を使って何度も何度も確認してくるやさしさが好きだ。

お酒を飲んだら図々しくなるところも好きだ。


言葉に容れてしまえば好きなんて簡単なんだ。

なのに

好きは一方通行だ。

戻ってはこない。

求めてしまった時に、好きは、暴力的になる。

好きが片寄って、届きすぎてしまう。

同じ方向を向いて互いの好きを投げ合うだけでいいのに。

川辺の水切り石のように。

相対してしまった君への好きは、

とげとげしくなってしまった君への好きは、どんどん君を傷つける。

いつしか投げ合う好きには鎖までついてくる。

投げ合う好きが重くて仕方ない。

どこかで好きに疲れてしまう。


好きは一方通行だ。

一方通行なのだから、好きにすればいい。

気ままでいいのだ。

相手に求めるものは「好き」ではない。

ただの言葉だ。

ただその人だ。


あなたのサポートが僕の背中を押して、いつか届くべきところに言葉を届けられるようになると思います。少しでも周りが温まるように。よろしくお願いします。