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あのとき藤原公任は紫式部に何をしていたのか

今日は十一月一日ではありません!古典の日でもないです!

うた変という漫画を入手しました。

ずっとほしかったのですけど、今回ご縁があり。
死ぬほど大笑いしました。

大学の時、ちょうど専攻の研究とは別口で平安時代の貴族の日記を読み漁っていたので、懐かしく思われます。『明月記』とか。『権記』とか。

こちら適度に解説も載っていてオススメです。
藤原行成、と言ってわかる人はわかるでしょうけど、藤原道長の側近(※でも、実は道長より本家筋であるという裏設定がある)の日記です。
行成が自律神経にいい人なのか、ほとんど攻撃的な文面はありませんので落ち着きます。ただ、愛妻家であったようで、つねにデレデレで自慢もしており、妻が若くして死んだ時は葬式に来なかった奴を書き出しています。

ただ、うた恋いファンには残念なことに、藤原行成は清少納言について言及しておらず、藤原定子については(驚くべきことに)少々敵対的な態度を取っている側面もあります(伝聞という形にしていますが、彼女への批判を書いていたり、定子失脚のきっかけとなる上奏を行なっていたりします)。

個人的には、「枕草子」とセットで読むと、恐ろしい深淵を覗けて面白いと感じる日記です。藤原行成と清少納言の関係はかなり恐ろしく闇が深いと感じます。
いや、「枕草子」自体、その背後にあっただろう政争を一切書かず、優雅で明るい宮廷生活の上澄みの部分しか記さないので、「アンネの日記」を思わせて、かなり深い痛ましい悲劇の書物でもあると感じます。
後宮の争いで負けるという悲惨さと悲痛さ、貴族たちは、恋愛遊戯を仕掛けながらも無情に自分たちを蹴落としていく、という理不尽さが、『権記』と『枕草子』を比べて読むとありありと浮かびます。

まーそんなことはどうでもいいんだ。

私の中は紫ちゃんと公任ちゃんでいっぱいなんだよ!!!!(????)

うた変を読んでいたらまさかの藤原公任×紫式部というどうしてその発想に至ったという濃厚なCPに出会いました。どのCPよりも濃厚だよ……なんだ、この気分、これ見たときと同じ気分だよ

天気予報(話の内容)が頭に入ってこないレベル

まあそんなわけで頭に入ってこないのでよくわかんないです!CPかどうかもあやしいのですがなんだかCPかもしれません。顔を踏む権利が与えられるそうです。キューピッド(と書いて暴力装置と読む)が藤原行成であり紫式部に筆を突きつけて公任を社会復帰させるもようです〜!
何が言いたいのか。私も何が言いたいのかわかりません。ともかく中毒性は高い

おそらく元ネタは『紫式部日記』の寛弘5年11月1日に当時エリート文化宮廷人、文化界のドンとして有名な藤原公任が、お仕えする中宮彰子の出産後五十日目のお祝いの準備で非常に忙しい紫式部をとっ捕まえて「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ(ごめんください、このあたりに若紫の姫君はいらっしゃいますか)」と言い放った話を基にしたものかと思います。
酔っ払ってても敬語を崩さないうえ、源氏物語を忘れないのがエリート文化宮廷人のすごいところです。
紫式部は「なんだこいつ(超訳)」と言わんばかりに突っぱねます。

しかしながら、紫式部日記のその前後を読むと、紫式部が不機嫌になった理由が頭を抱えたくなるほどわかります。会社の謝恩会や新年会レベルの飲み会だと思ってお聞きください。
前後を説明しましょう。

 上達部の座は、例の東の対の西面なり。いま二所の大臣も参りたまへり。橋の上に参りて、また酔ひ乱れてののしりたまふ。
(上達部の席は例によって東の対の西面だった。大臣がお二方いらっしゃった。渡殿の橋の上で、酔っ払って大声を出してらっしゃる。)

これが背景。みんないい感じにお祝いムードで酔っ払っています。

恐ろしかるべき夜の御酔ひなめりと見て、事果つるままに、宰相の君に言ひ合はせて、隠れなむとするに
(怖いことが起きそうな皆様の酔いっぷりだなあと思って、宴が終わるまで、宰相の君(紫式部の友達)と一緒に、隠れようとすると)

という妙に不穏な一文もあります。ありますよね、「このままいったらヤバい気がする」という飲み会。そんなだったのかもしれない。

 大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍とゐたまへるに、右の大臣寄りて、御几帳のほころび引き断ち、乱れたまふ。
(大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍(全員式部と一緒に働く女房)といたが、右大臣がそこに寄ってきて几帳のほころびを引きちぎって、乱れられている。)

恐怖!酔っ払いすぎて几帳をぶっ壊す右大臣!!!いまでいうところの貸切ホテルの宴会場の壁をむしるとかそういうレベルかもしれません
弁償!弁償代が!!!

少し時系列は前後しますが

侍従の宰相立ちて、内の大臣のおはすれば、下より出でたるを見て、大臣酔ひ泣きしたまふ。
(藤原実成様が立って、父君の内大臣藤原公季様がいらっしゃるので、下手より出てきたのを見て、公季様が(感激して)酔って泣かれた。)

酔った勢いで親バカを露呈してしまう内大臣!!!息子が歩いただけで今は泣ける。頭大丈夫か

そんな乱れた席だとあるわけで。

権中納言、隅の間の柱もとに寄りて、兵部のおもとひこしろひ、聞きにくきたはぶれ声も、殿のたまはず。
(藤原隆家様が、隅の間の柱もとに寄って、兵部のおもと(式部とともに働く女房)の袖を引っ張って、聞くに耐えない戯れの言葉を言われているのに、道長様は何も注意されない。)

セクハラ中納言〜……。
「道長様は何も注意されない」というところに、式部の「道長といえど妄信的崇拝や礼賛はしねえ!」という気概を感じます。
いや、そんな不満も出てくるくらいひどいものだったのかもしれません。

紫式部の言う通り、ここに光源氏はいない!几帳を引き裂くおじさんとか親バカおじさんとかセクハラ中納言がいるのみ!
これが平安のドリフか!「8時だよ!!貴族集合!」か!?
こういうのを見ていると、彼女は人の表も裏もよく観察して、ユーモアあふれる話にまとめる鋭敏な感性をもっていたのだなと感じます。

そんな女房たちの間で、「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」というのは、ちょっと……公任の……間が悪かったと言うか……。なんかねえ……、笑いのセンスがないゲフッゲフ、もっと気の利いた言い方はできなかったのかというか、「僕、源氏物語の愛読者なんです。応援しています。僕は紫の上が好きです」くらいにとどめておけばよかったのに〜。

そして、残念なことに紫式部はそのとき、人とお話中だったんです。
公任〜〜〜〜状況を見ろ〜〜〜〜〜!!!周りを見ろ〜!!紫ちゃんはお話中だ〜!

 その次の間の東の柱もとに、右大将寄りて、衣の褄、袖口かぞへたまへるけしき、人よりことなり。酔ひのまぎれをあなづりきこえ、また誰れとかはなど思ひはべりて、はかなきことども言ふに、いみじくざれ今めく人よりも、けにいと恥づかしげにこそおはすべかめりしか。盃の順の来るを、大将はおぢたまへど、例のことなしびの、「千歳万代」にて過ぎぬ。
(その次の間の東の柱もとに、藤原実資様が寄って、女房の衣の褄や袖口の数を数えてらっしゃるのは、人とは違っている(素敵である)。みんな酔っ払っているからいいだろう、誰ともわからないだろうと思い、少し声をかけてみると、とてもお洒落でいまどきな人よりも、とても立派な方に思われる。盃が順に回ってくるの(で祝い文句をいわなければいけないの)を、実資様は恐れていらっしゃったけれど、無難な「千年も万代も」で済ませた。)

でれでれじゃん 式部デレデレじゃん
女の子の服装をチェックしている真面目な風紀委員・藤原実資様。
彼の日記である『小右記』に「最近の女房は舶来の絹を何重にも重ねやがって(激怒)」と書いているので、風紀委員的立場として数えていたんだと思います。いや、スケベ心かもしれないが。でも実害がないので、几帳引き裂くよりマシなんじゃなかろうか

実資自身も紫式部のことを憎からず思っていたようで、のちに彰子と実資が政治的に接触する際、彼女を取次役としているそうです。『小右記』にもちょいちょい紫式部がでてきます。
まあ実資と紫式部の気が合うのはわかります。賢くて真面目、そして骨を持った二人だからなあ。


『権記』&『枕草子』の藤原行成と清少納言ペアーとは全く異なる、フェアーな関係を感じます。

そこに「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ〜三 ( 卍^o^)卍ドゥルルルルル」と突入していった公任……。

いわば、会社の忘年会で、「きゃー!!専務!壁をむしるのはやめてください!!」「取締役の親バカが明らかに度を越している」「部長がセクハラ!!」という場面で、真面目そうな課長だか部長補佐(好感を持っている)だかと静かにお話していたとき、なんら関係のない藤原公任が襲来してきたと言えるでしょう。
紫式部のみならず、普通なら「なんだこいつ」となるかもしれません。
私も突然の公任(左衛門督)に「なんだこいつ!?」となりました。

いわば鉄壁の城塞に向かって腰パン一丁と竹槍で突撃する兵士のようだ!!
なんだこいつ!!!!
でも、公任が突撃するあたりが紫式部らしいなあと思います。
藤原公任もまた、紫式部や実資とおなじように、感受性が鋭く、聡明すぎて生きるのが大変そうな人(※紫式部と同じように、傷つきやすく仕事を何度もお休みしています)なのが彼の人生の端々から感じられるからです。
同僚の『権記』マン藤原行成や藤原斉信とはちがって器用に生きられない感じがある……

……似た毛色を持つ二人が話してるから仲間に入れて欲しかったのか!?

 左衛門督、
 「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ。」
と、うかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。
(藤原公任様が、
「ごめんください、このあたりに若紫の姫君はいらっしゃいますか」
とお探しになる。光源氏のような人もいらっしゃらないのに、紫の上がどうしてここにおいでになるだろうか、と聞いていた。)

紫式部の面白いのは「光源氏のような人はいない!」と宣言すると同時に「紫の上のような女もここにはいない!!」と言い切ってしまうことです。

紫式部自身、『源氏物語』をどう見ていたかを推察できて、大変興味深い一文であると感じます。
自分を含め、理想ではない生身の人間たちを書いた『紫式部日記』、結構面白いのでオススメです。

そういや衛門督と聞くと『源氏物語』の柏木を思い出します。そういえば柏木はちょうど権大納言という官職で死んだな、そういえば藤原公任も権大納言のままで死にました。
……だまろう。

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