嫉妬するほど美しい

職場に、嫉妬するほど綺麗な人がいる。
嫉妬するといっても、ハンカチを噛み締めたり、ましてやシューズに画鋲を仕込むなんてものではないのだけれど。
大変顔立ちが良く、羨ましいのである。

鏡を見ると、毎日ハッピーな気持ちになるのだろうか。街を歩けば皆振り向くのだろうか。そんなくだらないことを考えてみたりもする。
存在が美しいということは、世の中が明るくなる。世の中を明るくできるというのはとても憧れる。羨ましい。その人は人当たりも穏やかで、ますますすごいと思うし、羨ましい。

元来、私は人を羨むことが多いのかもしれない。同じ職場に人格面で憧れる人もいるし(その人も綺麗なのだけれども)、学生時代は心の中で師匠と呼んでいた、大変人当たりの良い先輩がいた。ネットで知り合った偉大な人に至っては一生かけても敵うことのない人柄の美しさを今なお感じ続けている。
周りを見ればすごい人がいっぱいいるし、都度嫉妬して、憧れて、そうありたいと思っている。

美しくある、というのはどうしても限界があるので、立ち振舞いはどうにかしたいと常々思っている。些細なことでもお礼をちゃんと言うとか、穏やかな顔でいるとか、そういったことだ。学生の時、師匠が、店員さんはもとより、道路工事の人などにもお礼の言葉や労いの言葉をかけているのを見て、大変な感銘を受けた。社会の人々にお礼や労いの気持ちを持って、それを言葉にすることがなんと尊い行いなんだろうと思った。以来、大層な陰キャである私でも大切なことはしっかり言葉にしなければと努めている。

私は天衣無縫という言葉が好きだ。嫉妬するほど憧れる人は、皆自然体で美しいと感じる。私はまだまだ邪で、人を羨んでは、努めて真似をすることしかできないけど、いつか自分自身でも自然で美しい振る舞いが出来るようになりたい。

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人生で2回一目惚れをされたことがあって、それは人に言ったことの無い、密かな嬉しかったことなのですが、どちらも私が碌でもない人間だったことでうまくいかなかったので、悔しいことでもあります。
世の中を明るくできるほど美しくあるのは私には難しいことですが、本当にごくごく小さいところだけでも明るくできるような人でありたいと思います。


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