スナック喫茶

高校生の時にバイトしていた喫茶店がなぜか「BALI(バリ)」という名前でした。
片田舎のスーパーの1階にある喫茶店で中は南国リゾートのバリ風なのかと思いきや純和風、コーヒーが280円っていう格安なのが売りの普通の喫茶店でした。

アルバイト募集の貼り紙を見つけ
恐る恐る面接に行くと、小さな店に似合わないサイズのジャイアンの母のような店長がでてきて、その人は「ママ」と呼ばれていました。
いま思えばその時に気がつけばよかったんです。ここは、喫茶店なんかじゃない、と。

私のバイト時間は夕方の4時半~7時まででした。しかしはそこは午後6時になると「スナック喫茶」に変わる店だと気がついたのはバイト1日目でした。

スナックの時間帯になると、私は店の外にスナック用の看板を出して、カラオケをセットして、照明を落とすように言われました。先ほどまでの健全な喫茶店の様相は姿を消し、急に場末のスナック感がでます。
なんだろう、これが店名のバリに関係しているのでしょうか…。

それから、わたしは店で「ミネ」と呼ばれるミネラルウォーター(という名の水道水)作りをはじめます。
空のミネラルウォーターのビンに水道水を満タンに入れて、そこに輪ゴムのついた割り箸をつっこむ。
すると、うまい具合に水があふれてまるで売り物の水のようにセンを抜いたばかりのようなミネラルウォーターができあがるのです。
これを店にいるお客さんにみつからないように20本くらい作るのが私の仕事でした。いわばミネラルウォーターの密造。万引きはおろか、交通違反もしたことがない私です。
アルバイトの高校生だったとは言え、後にも先にもこんな密造に関わっていたことはまさに私の人生の秘部といっていいでしょう。

ちなみにこの密造水は1本300円で提供していました。 これが水割りを作るときに飛ぶように出るのです。

わぁ、これ水道水ですけど…と思いながら地元の水道水がかなり美味しいといわれている点に目をつけたママに経営者としての才覚を見た気がしました。

それから、昼営業が終了間際の午後5時半になると店のママ(当時推定65歳)がカウンターで化粧をしはじめます。
店のビールの値段は500円なのですが、ママの化粧が終了すると600円に値上がりしてしまいます。
どうやらママの化粧品代をビールに上乗せしているようです。 独自のサービス料。自由すぎるサービス料。味は昼間のビールと一緒だよ!!

午後6時になると、店の常連のおじいちゃんやおじさんがやってきます。通いのホステスさんは7時半くらいにならないと出勤してこないので、それまでのつなぎが私でした。
おじいちゃんにおしぼりを出す時に、手を握られたりエッチなことを言われることもしょっちゅう。
「16歳の手はすべすべでええなあ~処女?」とナデナデ。
おい、時給700円の私になんてことするんだ。 もっと給料よこせ。(違う)

まだウブな女子高生だった私はこのような破廉恥な行為に心底ショックを受けました。
いまならきっともっとおもしろい返しができるのに。ちっ!

エロジジイもジーンズとセーター姿のこんなダサい女子高生が相手でよかったのでしょうか。当時、私は溢れるホルモンをどうすることもできず、顔面に大量生産されるニキビに悩んでいたのですが、薄暗い店内ではよく見えなかったのかもしれません。まあ、何でもよかったんでしょう。セクハラ、なんて言葉があったかなかったかの時代です。

この店のカウンターっていうのがとても狭くて、ママがカウンターを通るときには自分の体を壁か流しにぴったりおしつけないといけません。ママの肉に私の体が圧迫されているのに、「あおいちゃんはおしりがおっきいなあ!」などというのです。 
あ、パワハラという言葉はまだありませんでした。 笑
ママが通るたび、ゔぐっ、体が圧迫されて苦しい…

私は、高校1年生ということでみんなに可愛がられたり、なにかにつけて高圧的なママの態度にも愛が感じられていたこともありわりと気に入っていたのですが
3ヶ月目のお給料日の時に、いきなり「明日からちょっとお休みして」といわれました。
クビでした。
びっくりしました。
私に密造水作りを強要し、セクハラを黙認するだけにとどまらず
毎日何回も私をカウンターに圧迫しておいて、
まさかのクビ宣言。

びっくりしすぎて、クビを宣告されたあと、猛スピードで自転車をとばし、
店から一番近かった友達の家に駆け込み、開口一番「(ぜえはぁ、ぜえはぁ、)く、クビになったぁ!」
友達、ポカーン。
私も、ポカーン。

理由はきっといろいろあるんでしょうが、使い勝手が悪かったんでしょうね。
小さな喫茶店ですから、なんでもできる子じゃないとダメだったんです。
今ならママの気持ちもよくわかるし、逆に今ならママのような性格の人にどのように対処したらいいかもよくわかります。
16歳だった私にはびっくりするような世界の厳しさ(そして楽しさ)を教えてくれたあの「バリ」という店にはちょっぴりのほろ苦さとせつないような気持ちを持っています。

地元に帰ったときに
まだあの店があるかどうかドキドキしながら見るのですが、最近無くなってしまったようです。店名がなぜ「バリ」なのか、最後まで全然わかりませんでしたが。

バリの前を通るたびに、高校時代のある短い期間に働いた、薄暗くてちょっぴり大人な世界を見せてくれた店内とママを思い出しています。


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