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読書記録_『クララとお日さま』カズオ・イシグロ著(早川書房、2021)

カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳『クララとお日さま』(早川書房、2021)を、Audibleで。

ノーベル賞受賞後第1作。以前読んだ『わたしを離さないで』(2008)がすばらしかったので、いつかまた読もうと思っていた、カズオ・イシグロ。

AIの一人称で語られる小説。

子どもの親友となるべく作られた
「AF」(人工親友、人工友達、などとは訳されず、日本語版でもAF)
が主人公。ここに同じくノーベル賞(こちらは化学賞)を獲った、ジェニファー・ダウドナのゲノム編集技術が一般的になった未来が舞台。

AIのおかげで、愛する人を元にしたロボットを複製しすれば喪失をなくせるかもしれない。AFのおかげで、人間は孤独を知らなくて済むかもしれない。ゲノム編集技術のおかげで、人間はもっと優れた形質だけを持てるかもしれない。

でも最後に、「それだけではやはり届かない」とAFのクララが言う。
“人の特別さ”は「その人のなか」ではなく、
「その人を愛する人々のなか」にあるからだ、という著者のステイトメントにたどり着いたときに、カタルシスが起こる。

「カパルディさんは継続できないような特別なものは、ジョジーのなかにないと考えていました。『探しに探したが、そういうものは見つからなかった。』そう、母親に言いました。でもカパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました」
(本書_第6部より引用)

一言でいうと、「ああ、現世失敗したなぁ」と思っている人(言い方w)にとって、生きる力が湧いてくるようなすごい作品だった。

ゲノム編集技術って、これまでほとんど関心を持ったことがなかったんだけど、この本を読んで改めて調べてみると、ダウドナのゲノム編集技術って比較的安価で簡単にできるというところがノーベル賞モノだったらしい。神の領域を手中にしたとき、人はどう振る舞うべきか。この作品でも多くの人が揺れている。(読んだ人にだけ。第5部の、ジョシーの母親のぶしつけな物言いに対する、リックの返答は立派だったですね。)

カズオ・イシグロが何より言うのは、科学的態度は大事だということでもある。科学の世界では、お互いに意見を主張するが、あ、違ったなと思ったら自分の意見を諦める。そういう態度がとれる人が減っている、と。

「事実/感情」「リベラル/非リベラル」などの二極化と、感情のぶつけ合いに終始する姿勢が、結局はブレクジットやトランプ支持者を増やしたのではと。科学偏重を批判してきたいわゆるリベラル派(著者本人は自分も含めていると思う)も、間違えたら諦めてそれを認めて、軌道修正していく。そういうのが科学的態度ってこれからの世界で必須の能力なのかもしれないと。

これはハンス・ロスリングの『ファクトフルネス』を読んだときも同じことを思ったのだった。
最近、ロックダウンしている在欧の友人と頻繁にやりとりをしているが、「欧州かぶれって言われるかもしれないけどさ、日本の政治はもっと科学に基づくべきだし、過ちを過ちとして認めて訂正してよりよいものにしていくという視点が決定的に欠けているよね」と言われたのがずっと心にひっかかっていた、あれだ。

「人が間違えたことを笑ってはいけません」
と先生は言っていたけど、じゃあなんで正解するとテストで得点もらえて、そのことが成績とかに直結しちゃうわけ? と思っていたけど、うーん、そういうことじゃなかったのかも。間違えたことを笑っちゃいけないことの本質は、人は間違う生き物なのだから、それを笑わずに直してみんなでよい方向に向かっていこうよ、というところだったのかも、と。

優生思想や実力主義社会への風刺と、シンギュラリティに対する著者の見解に、苦い気持ちでうなずきつつ、深い人間に対する信頼・愛が感じられる。純文学を読むのは、こういうことを考えさせてくれるから、やっぱりやめられないですね。純文学の効用だ。

Audibleは翻訳物は大丈夫だなという認識だったんだけど、「シャープペンシル」を「シャーピ鉛筆」とするなど、くまのプーさんがスペルを間違える的な、学習途中のAIらしい「言いまつがえ」や、SFらしい造語、もあるので、耳で聞くにはちょっと注意が必要。私は「向上処置」をずっと「工場処置」と脳内変換していた。結構間違えて認識している部分や発見できていない工夫がありそうなので、近く紙の本でも読みます。

最近、あさイチでもスマホの使いすぎが脳に影響すると言っていたのだけど、Audible使いもそれに入るのかなぁと心配になってきた。少なくとも紙の本を読むのとKindleを読むのでは使う脳の場所が違うらしい、とか(それはそうだと実感する。私はほとんどKindleは読まないけど)。心がスマホに奪われて、子どもに手を引っぱられることも少なくないからなぁ。

技術と人間の向き合い方は、結局人と人との向き合い方でもある。

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