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北風なのに、春一番+死んだ祖父への手紙202303303fri254


310文字+死んだ祖父への手紙(計800文字)・30min


昨日(二日)の話。
風が強かった。
地元でわかるが赤城山からの吹き下ろしは半端ない。
上州名物の空っ風だ。今年一番の風。
春一番の風。と思うほどだった。
が地形上、赤城山からの吹き下ろしは北風になる。

春一番とは、冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風のこと。 気象庁の定義では2月4日ごろの立春から3月21日ごろの春分までの間に広い範囲で初めて吹く暖かく強い南風のことをさす。
関東地方では、きのう(一日)に春一番が吹いた。
2日に気象庁が発表。

心と身体がそわそわする。
東京が近いからだと思う。
東京。それ自体が巨大なトラウマだ。
過去を一旦切り離す。
今(あるいは前)だけを見なければ恐怖に押しつぶされそうだ。

死んだ祖父への手紙を読んだ。
予科練つまり海軍飛行予科練習生の同郷からの手紙だった。
「人吉」という地名を見た。
人吉といえば特攻隊練習基地があった。

祖父は人吉で訓練を受けて零戦に乗る予定だった。だが、零戦は上級生から乗った。祖父は当時14歳。最年少で一番最後に乗る予定だった。
手紙の主のNさんと祖父は上官にこう言われた。
「ここは米軍の爆撃で危ない。本土決戦にむけて君らは本州へ行け」
おそらく乗る零戦(製造する鉄)がなかったのじゃないか?とも推測されるが。
Nさんと祖父は北陸へ向かった。

手の甲には今も凍傷の跡がはっきり残る。記念と言えば不満にならぬかな……寒かったなー

今に思えばなんだったのかなー

Nさんと祖父は、冬の熊本の山を踏破して鉄道に乗ったか、船に乗ったかして(まさか歩いて?)北陸に向かった。
玉音放送は昭和二十(1945)年八月十五日。
Nさんと祖父は北陸に終戦までいたのだろうか?

国家悠久の大義に殉ずる
美しいことばだったねえー

今の子に話すと笑われそうだね!

ぼくは笑いませんよ。

母に聞くと、Nさんは祖父の葬式には来ていなかった。
Nさんの方が先にお迎えが来ていたのか。

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