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VS樋口一葉『十三夜』

春から通い始めた通信制大学でのオンライン授業でのこと。
「次までに読んできてください。」教授が言う。
「全文PDFファイルにしてありますからね」。
樋口一葉の『十三夜』。
明治を代表する名作である。
読んだことはない。

早速プリントアウトし、読み始める。
「例(いつも)は威勢よき・・・」。
冒頭のこの文章でいやな予感。
さらに10行目。
「ゑゝ厭や厭やと・・・」。
確信した。
これは、歴史的仮名遣い*だ。
(終わった。)

がっくりしながらも、文字を追う。
全体が、暗号のように見えてくる。
難解で、うっすらとしたイメージしか浮かばない。
特殊なひらがな表記のルールや旧字体の漢字が多く、なかなか前へ進めない。

それでも一字一語確認しながら、なんとか読み終えた。
感想どころか、あらすじさえもおぼろげだ。
どうにもすっきりしない。
しっかり読み込んで、自分なりの所感をまとめておきたかったのに、何も思いつかない。
解釈不能。
まとまりきれない感情が、そこいら中に、とっ散らかっていた。

現代語訳の本を読めばいいのだろうか。
しかし・・・。
図書館で借りたらいいのだろうか。
でも・・・。
できたらこのまま、机上で完結したい。
ならば、もう一度読むのか。
ゆっくり、何度も読めば、そのうち光が見えてくるかもしれない。
でも、無理だったら・・・。
簡単にはいかない『十三夜』を前に、肩を落とした。

しょぼくれながらパソコンに向かう。
検索窓に、「樋口一葉 十三夜」と打ち込んでみる。
すると、画面いっぱいに、『十三夜』の情報が、瞬時に映し出された。
解説や見解、読み解き方、現代語訳を全文載せているサイトもあった。
youtubeでも検索すると、ここもまた、おびただしい数の解説動画の数々が、ほら、と誘ってくる。

「いつもなら威勢の良い・・・中略・・・ああ考えるのも嫌だ嫌だと・・・」。
(助かった。)
一気に道が開けた。
現代語訳はもちろん、動画を視聴し、関係のありそうな記事を読んでいく。
そうすることで、大まかな概要などがようやくつかめた。

改めて原文を読んでみると、今度はすんなりと入ってくる。
現代語訳では感じられにくかった哀愁や悲哀が、時代背景とさりげなく交錯しながら、行間からにじみ出て、じんわりと胸に響いてくる。
そしてもっと深く知りたくなってくる。
これだから日本語は、奥が深い。

一葉先生、そしてGoogle先生、ありがとう。
100年の時を越えて見上げる十三夜の月。
今年は、一段と美しく、そして静かだった。

歴史的仮名遣い*:明治時代以降から第二次世界大戦までの間に、公文書や学校教育などで用いられた仮名遣いのこと。旧仮名遣いとも言う(※旅する応用言語学より)

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