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空は紫色 第四章

       ―紫に染まった空―

足のケガを理由に学校を休みはじめ、家で家事をこなす毎日が続いていた、相変わらず家の状況は変わらなかったけど、学校で過ごすよりはまだ気持ちはラクだった
兄達(叔父)は昼間は仕事に行っていたし、夕方までは帰ってこないから…

確か、季節は秋の体育の日ごろだったと思う
私たちの時代は運動会などは体育の日ごろに行われていたの
私には、運動会事態の記憶はないけれど、その頃にOちゃんと私の関係がお父ちゃんにバレたと思う
確か…原因は病院から借りていた松葉杖だった
私の左足は治るまでに数ヶ月かかった、やっと自分ひとりで歩けるようにって松葉杖を病院に返しに行ったときのこと、私は気づかなかったけど松葉杖が壊れているので買い取ってほしい!と病院から言われたとの事だった
さんざん怒鳴られたっけ…

詳しいことはよく覚えていないけど、OちゃんがOちゃんの父親と一緒に私の家に謝りに来たときがあった、私が休みがちになったのはゲガだけが原因ではないことが家の人に知られてしまったの
なぜ知られたのかは分からない…
どんな話し合いがされていたのかもよく覚えていない、唯一覚えているのはお父ちゃんや、兄達の前に立たされても平気でいるOちゃんの態度だった
悪びる様子もなく同時に、必死で謝る自分の父親を横にしても、Oちゃんは平気な顔をしていた、そして口から出てくるその場かぎりの謝罪の言葉…
それだけは覚えている
Oちゃんは最初から謝る気持ちなど無い、それはみんなに伝わったらしかった
それと、Oちゃんの父親と仲の良かった長男が「まあ!まあ!子供の事だから、いいよ!いいよ!」と言って二人を帰らせようとしたこと、これには腹が立った
まぁそうでも言わないと、お酒でももうご馳走してもらえないとでも思ったんだろうけど…
長男らしい…

そんな事があってもイジメが無くなるわけではない、逆にOちゃんは開き直った、たまに登校して気づくのはOちゃんからのイジメが酷くなっていること、今までは誰かを使って私をイジメてきたのに、バレてからはOちゃんが直接手を出すようになってきていた
とくに言葉は酷かった、みんなに聞こえるように私に罵声を浴びせる、私はOちゃんに何をしたんだろう?どうしてこんな事されるんだろう?そればかり考えていた
そして私は耐えられなくなり、また休みがちになったの

その年の冬休み前の記憶…
何があったのか、どうしてそうなったのか…全く記憶がないけど、覚えているのは私が、布団に寝かされたお母ちゃんの死体のとなりに座っていたこと…
先にも書いたと思うけど、突然死だったのか何なのか分からない…
とにかく、お母ちゃんはその時冷たくなっていた…
悲しかったかどうかも覚えていない、記憶にあるのはお母ちゃんの腰は少し前に曲がっていて、身体が小さな女性だったという事だけだ…
どんな話をしたのか、何を一緒にお料理したのか、顔も声も思い出せない、ただ思い出そうとするととても悲しくなる…それだけ
そしてもう一つ記憶に無いのは、お姉ちゃんが他界したときの事、自殺だったと後で聞いたけど…
多分、お母ちゃんが他界したときと時期は近いと思う…
二人の葬儀も私は覚えていないけど、確か骨壷をお墓にいれる時の記憶かな?その時は二人同時に入れる予定で、質素だったお墓も新しくなっていたっけ…
いつ綺麗なお墓になったのも覚えていない、そしてお墓の中に二人の骨壷を入れようとしたとき誰かが言ったの「なんで○○の骨壷が開いているんだ!?」と…私の実母の骨壷の蓋が開いていたらしい
それからどうなったのか分からない…
その時から冬休みに入るまでの記憶がすっぽり抜けているの、どうしてだろう…

冬休みに入ってすぐぐらいかな?
私の記憶はそこから始まっている、私は裏庭で首を吊ろうとしていた…
高梯子を使い、裏庭にあった納屋の中の柱にロープをくくりつけ、首を吊ろうとした…
どうしてそうなったのか、そこも記憶がないけど、その時の状況はハッキリと覚えている、私は確かに死のうとしていた、水仕事の霜焼けで手は腫れ、ただれて血だらけになっていた、そして、その場面に四男がいたこと、彼は首を吊ろうとしている私を高梯子を揺らしながら笑っていたのを覚えている「死ぬならはやくしろよ!バーカ!笑笑」そのうち四男はお父ちゃんや長男などみんなを納屋に呼んだ、そしてみんなで私を見て笑っていた…
なんて残酷な人達なんだろう
外は雨が降っていて、雷も響いていた、寒かったな…
私は泣きながら梯子から飛び下り、みんなの前で首を吊ったの
次の瞬間、誰かが私の両足を抱えてロープが外された…
とれぐらいの時間がたったか分からないけど、納屋にひとり取り残されて、私は泣き続けていた…
裸足のまま納屋から出ると、いつの間にか雨は止んでいて、もう夕方になっていた…
その時の夕空は紫色に染まっていて、とても綺麗だった…
納屋から出て私は歩きだした、辺りが紫色から真っ暗になるまで…
納屋から戻ってこない私を探していたらしく、どれぐらい歩いたんだろう、突然車の中に引きずり込まれ家に連れ帰された…この時の記憶はここまでしかない
私の記念すべき初めての自殺は、未遂となり家族の大きな笑い声と共に終わった…

            ―壊れた?―

4年生になる頃には、私は学校では何故か問題児扱いされていた
と、いうよりは面倒な存在だったのかもしれない…
担任の先生は新しく学校に来た先生だった、先生はクラスのみんなから好かれていた、私を除いては…
先生の名前は覚えていない、記憶にあるのは、この先生を私が困らせて何度も病院送りにし、退職まで追い込み、任期を残したまま彼は辞めていった…と、他の先生から言われた事
彼はきっと私に対しておこなわれていたイジメに、対応出来なかったのだろうと思う
担任の責任にされただろうし、私の扱いにも困っていただろうと思う
要は面倒な存在だったみたい

今とは時代が全く違う、今ならイジメが表沙汰になったら、直ぐに学校側も教育委員会側も動き出すだろうけど、この時代はそうはならなかった…
それに、フリースクールなどの逃げ場所もなかった、今の時代が羨ましく感じるし、恵まれていると思うよ…逃げてもいいんだからね
私の時代は、イジメるほうが悪なのではなく、登校してこないほうが悪だったから…
つまり悪いのは登校しない私…という事になる
おかしいよ…
この辺りぐらいかな?自分が変わってきたのは…
たまに登校したときには、内容が全く理解できない授業に、突然教科書を黒板に投げつけたり、勝手に廊下に出て座り込んだりしていた
落ち着きが無くなっていたんだと思う、悪口を言われても全く気にならなかった
そして、みんなはもっと私から離れていく事になる
私はポケットの中にティッシュにくるんだカミソリの刃を数枚入れていた
自分の身を守るために…
誰も守ってくれないのなら、自分でどうにかするしかない

3人組は相変わらず休み時間になるとニヤニヤしながらよってくる、その日もそうだった校舎裏に連れていかれ、いつものように下着を下ろされ辱しめられていた途中、私は手の中に隠し持っていたカミソリの刃をしゃがんでいた3人組のリーダーの頬にあてた、驚いたように上目づかいに私を見ると、明らかにの目は怯えて怖がっていた、3番目の男の子が「危ないよ…やめようよ…」と、か弱く泣きそうな声を出して止めに入った
私が洋服を整えようとしていたとき、2番目の男の子が私に殴りかかってきた次の瞬間、私は近くにあった貯水タンクに自分で頭を打ち付けた、何度も何度も…
彼に殴られる前に自分で自分の頭をタンクに打ち付けた
そんな私の姿に驚いたのか、3人組は「キモチワリー!アタマ、オカシインジャ ネェノ!」と、叫びなから何処かへ走っていった
この日を最後に私は二度と彼らの前で下着を下ろすことはなくなった
額からは血が流れ落ちていた…
次は長男だ…私はこの時決めていた、長男との悪夢の時間を終わりにすることを…
この日、初めてお風呂に入るのが楽しみでしょうがなかった
早く長男に会いたかった…

  ―もうひとりのワタシ―

皆さんは多重人格をどう思われますか?実際に苦しんでいらっしゃる方達もいることでしょう…
私の場合はどうなんでしょうね…
これは…?
なんと呼べばいいんでしょうか…

私は自分で理解しながらもうひとりのワタシを作り出しました
冷たく、冷静で残酷なもうひとりのワタシを…
人を傷つける事も、自分を傷つける事も何とも思わないワタシを…
そんなワタシと長男との楽しいお風呂の時間の始まりです

彼はいつものように私を使って自分を慰めはじめた、この時この行為が何なのか私は既に理解していました…
それまで行為の間長男の顔を見たことがなかった私は、ワタシの身体ごと長男のほうを向きました、長男は下半身を出したまま、驚いた顔でワタシを見ていました、何も声に出来なかったんでしょうね
ワタシはお風呂のドアを開けて、わざと叫び声を上げました
お父ちゃん達が慌ててお風呂場に入って来ると、長男は下半身を隠し出て行こうとしましたがお父ちゃんに腕を捕まれたせいか、情けない下半身がみんなの前にさらけ出されました
説明する必要もなく、長男はお父ちゃん達に怒鳴られ、殴られていました
気分がとても良かったのを覚えている
ワタシはそんな長男を横目でみながら湯船に浸かり泣いていました
もちろんワタシの口元は笑っていたかもしれないけれど…
そして、この日が長男との最後のお風呂の時間でした
ワタシは私を長年の苦しみから解放してくれました

きっと私の中のワタシは、ずーっと前から私の中に存在していたのだと思います、そして出て来るタイミングを待っていたのかもしない

ワタシが出てきてから、間違いなく私の生活は変わってきました
苦しい事やツラいことは、全部ワタシが対処してくれるから
もうみんなの目を気にして、怯えながら生活しなくていいんだ、と…
そして私にはもうひとり、決別したい存在がいることを思い出しました、イトコの父親…
初めて夏休みが待ち遠しくなったんです
長男はいったいどうするのか?私とイトコの父親との事は、お金をもらっていた長男しか知りません
さて…ワタシはどうするか?
この時のワタシは、イトコ家族を壊してやりたい気持ちでいっぱいだったし、そうすることが楽しみだったの
イトコ姉妹を思いっきり傷つけてやりたくて胸がドキドキしていたのを覚えているなあ

        ―復習は静かに―

その年の夏休み、イトコの父親は来なかった…
楽しみにしていたのに…
この年からイトコ家族は次女も三女も帰省してくることはなくなった…
そして、いつの間にか長男も家から消えていた、私とのお風呂の時間の事が家族に知られてから、長男の姿を見かけなくなっていた
おばあちゃんの話だと、東京の知り合いの会社で働いている…と言っていた、要するに家を追い出されたのね
あの行為事態、誰からも話を聞かれる事もなかったけど、身内はもちろん、近所にまで話は広まっていたみたい
そのせいもあって、みんなは帰省しなくなったんだと思う
逃げられた…そう思ったの…

長男が消えたと共に、あの事をみんなは忘れようとしていたのかもしれない
私は一生忘れないけどね…
長男がいなくなった後、次男の私に対するイジメは酷くなっていった
それでなくても潔癖症の次男は、学校を休みがちになった私に家での仕事を全て押し付けた
炊事、洗濯、掃除と家事全般を次男が仕事から帰ってくるまでには、完璧に終わらせなければならなくなったの
お母ちゃん、お姉ちゃんがいなくなり、女手が私とおばあちゃん二人だけになったから大変だった
朝は早起きして、みんなの朝食とお弁当作り、もしも口に会わなかったら次男は弁当を食べずに持ち帰り、私に食べさせようとした
冬ならまだしも、梅雨時からは持ち帰った弁当が腐っていたこともあるから、お腹を壊すこともあったし、無理やり口の中に入れられるか、投げつけられるかのどちらかだった
洗濯…シワひとつも許されなかった、洗った洋服にはパンツ一枚にまでアイロンをかけて、丁寧に畳まなければいけない、タンスにしまうときも、綺麗に並べなければぶたれて最初からやり直しになる
掃除…ごみひとつ、多少のホコリが残っていてもダメ!棚の裏やコードなど細かいところも指でなぞって汚れを確認される、ホコリでも残っていようならまた、殴られてから掃除のやり直し…次男の気がすむまでやらなければならないの、その次男の真似をして三男、四男とも自分達の部屋の掃除を私に全て押し付けてくる

食器を洗うのも次男は相変わらずで、私は冬場お湯を使わせてもらえなかったから、毎年冬になると私の手はグローブのように腫れ上がっていた
夏にはおばあちゃんが、熱く妬けた庭の石で私の手を揉んでくれた「焼け石で手を揉んでおけば冬はラクになるからね…」と言いながら、シワシワのおばあちゃんの手、優しかったな…

私は次男達を横目でみながら、いつか…いつか必ず…コイツらも…
私の中のワタシは動き出そうとしていたの

私はこの3人をどうにかしてやりたかった、そしてワタシは毎日毎日計画を考えていたの
ある日、四男がアルバイトのお給料が入るから買い物に行くと三男に話をしていたの、当時四男は田舎のヤンキー、高校を中退してアルバイト生活していた…
夜になるとお仲間達が騒音をたてて迎えに来ていたっけ
その日の夜も四男は出かける支度をしていたの、そしてすぐに…「金がない!俺の金は!?」と慌てて怒鳴り散らしはじめた
次男は知らん顔でお気に入りの、コーヒーミルでコーヒー豆を挽いていた、三男はうるさいなあと言わんばかりの顔で四男を睨んでいたけど、四男から「俺に金が入るの知ってるのはお前だけだよな!」と言われ、四男に殴りかかった、二人のケンカは外へと移動してしばらく殴り合っていた
結局は四男のお仲間達に止められて終わりになったけど、その後も二人は仲が悪くなったままだったの、では…四男のお金は何処にいったのでしょうか?
実は、四男がお風呂に入っている間にワタシがコッソリ盗んで隠しておきました
誰も私が盗むとは考えないだろうと、ワタシは考えたんですね…
二人の仲は悪くなったけど、では次男は…次男にとっては全てが他人事、自分の事にしか関心がない人なのでどうしたものかワタシは困っていました、が…
ワタシはいろいろ考え、行動に移すことにしたんです…

      ―生きるか死ぬか?―

まずはじめにしたことは、家に置いてあった薬をコッソリ隠し集めた、ほとんどは鎮痛剤だったと思う、中にはよく分からない薬もあった、何でもよかった…
私は、お姉ちゃんを自殺まで追い込んでも平気でいる次男が許せなかったし、私に対する毎日の精神的、肉体的な暴力も許せなかった
私は疲れていたし、もう終わりにしてほしかった
でも、私が言ったところで何も変わらないのは分かっていたから、行動で示すしかないと考えていた

決行するのはその年のクリスマスの夜、そう決めていた
毎年クリスマスには三男がケーキを買ってきてみんなで食べていたの、私の分はなかったけれど、おばあちゃんが自分の分のケーキを私のために残しておいてくれた、そのケーキを私はコッソリ食べさせてもらっていたの…
みんながリビングでケーキを食べる時間になると、私は薬と水を持って静かに次男の部屋へと入っていった、次男の部屋は掃除以外入ることは許されていなかった、イトコ姉妹は自由に行き来していたけどね…
そして私ではなく、ワタシが大量の薬を飲み始めた…
全部飲み終わると薬と水でお腹が膨れたのがわかった、そして次男のベッドの上に横になったの
リビングから、つかの間の楽しそうな声が聞こえてきた頃、ワタシの身体は悪寒に震えだしていた、冷や汗が出て気分が悪くなってきて、苦しくなってきた
口からはヨダレが流れ出て、吐き気に襲われた…
ベッドから転げ落ちると、音に気づいたんだろうか、ワタシの目の前には次男達が立っていた、ワタシの姿はどんな風だっただろうか?
何か言っている?よく分からない…
そしてワタシは激しい嘔吐にみまわれ吐き続けました
綺麗に掃除され片付いた部屋に嘔吐されるのはどんな気分だっただろうか?
意識が薄れていくなかで、次男の怒鳴り声が聞こえていたけど、そはの後の記憶は残っていない…
今、私は生きているから、その時も未遂で終わったのだろう
それでもいい…少なくとも私の気持ちが本気だと、ワタシを通して次男に伝わっていれば、それでいい…

      ―いい香りの先に…―

残念ながら、次男はワタシが服毒自殺しようが気にしなかったらしい、
まぁ、そうよね…
お姉ちゃんを殺そうとした人だものね…
自分の部屋の新しいカーペット選びの方が、次男には重要だったらしく、ついでに部屋全体の模様替えをしていたらしいので、ワタシのお陰で楽しんだことでしょう

ただ…ワタシの二度の自殺未遂を、重く受け止めていた人が一人だけいたの…それは、おばあちゃん
次男の部屋で大量の薬を飲んで倒れてから、私はしばらく寝込んでいたの、病院に行って治療してもらった訳ではないので、吐き気や頭痛などが続いていてフラフラだった
その日も、みんなが仕事に出ている間私は布団に横になっていた、少し眠ったんだと思う、おばあちゃんと女性の話し声で目が覚めた
私は寝たふりをして二人の話を聞いていたの「どうにかならないか?」「どうにかしてやりたいけど、今すぐ…無理だから…約束は守るから!でも今は…無理!」と…
布団の隙間からいい香りが漂ってきて、私は身体をお越しおばあちゃん達の方を見たの
やはり、そこにいたのは私の東京のママ…?らしい、あの女性だった
二人とも慌てて話をごまかしていた、私も聞こえなかったフリをしたの、その方がいいと…とっさに思ったから
おばあちゃんは私の事をどうするか相談するために、東京のママ…を家に呼んだらしい
でも、この女性が来たからといって、何かが変わる訳ではない事は私は分かっていた…
「今は…無理!」の前に聞こえた言葉…「私が預かるのは…」確かに聞こえていたの
東京のママ…?は私の身体の無事を確認すると、夜になる前に東京へと帰っていった

後日、おばあちゃんに言われたの「話は聞こえていただろう?」私は全部教えてほしいと頼んだ
すると、みんなが出かけてから話してくれた「お前は中学校を卒業したらママと一緒に暮らすんだけどね、状況がよくないから中学生になる前、三年早くお前を引き取れないか頼んだんだけど…」等々…話してくれたの
なるほど、私の知らないところで色々な事が決められていたんだと分かった
ハッキリしたのは「今は引き取れないから!無理だから!」と断られたということ…ただ、良かったことがひとつ、私は少しの間だけ東京のママの家にお泊まりできるらしかった「近いうちにな…」と、言われ私は楽しみにしていたけど、本当はこの家から出ていけるなら、どこでも誰でも構わなかった、が本当の気持ちかな…

そして5年生の年から、東京のママと私の「ならし保育」が始まる…


第四章はここまでです
読んでいだだき、ありがとうございました!
第五章も、どうぞよろしくお願い致します!




























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