彼氏彼女男らしさ女らしさも多様性かもしれないと思い始めて恐る恐る試している話
彼女いますか、が空気を悪くする今日
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ジェンダーの多様性が浸透する今日、生きやすくなる人が増える一方で、どこか窮屈に感じる人も増えている。
異性愛を前提とする”恋バナ”が世間話として当たり前だったとき、生きづらさを感じていた同性愛者は多かったはずである。
そうした中でのジェンダー理解の広まりは生きやすい人を増やすことにつながるのでいいことであるのは間違いないだろう。
しかし、そうした「多様性の浸透」には見落とされがちな欠点もあるではないかと最近感じている。
もちろん、全員が大満足する社会は実現不可能だろう。どこかで折り合いをつけ、バランスを保つことがベターだし、自分の身は自分で守らねばならない。
恋愛が嫌いなら、恋バナが好きなグループにいるべきではないし、「多様性」を主張して恋バナをやめるよう訴えかけるのは、「恋バナが好き」という多様性を否定することになる。
これが、多様性の欠点であると薄々感じている。
私は強い愛情に対して尋常じゃない嫌悪感を抱くため、自身の恋愛には回避的である。その一方で、他人の恋バナを聞くのは好きだし、「恋人」ではなく「彼女」と呼ぶ友人に対して嫌悪感はない。
「彼女いるんすよ」と話してくれた後輩に対しては、「今日終わったら彼女と遊ぶの?」と世間話もする。
一昔前の、「童貞を卒業して一人前」みたいな価値観もどうかとは思うが、飲み会でそういう話題になってもヘラヘラしているし、そういう人たちに対して特別ムカついたりもしない。
そういう価値観の中で楽しくおしゃべりするのも、多様性に含まれていることを、意外と忘れがちである。
多様性と画一性は対立関係にあるのではなく、多様性の中に画一性があると考えると、少しだけ違う見方になるのかもしれない。
結局、「その場の価値観に合わせ、無理強いしないことが大事」という無難な着地点に落ちそうである。
生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。