見出し画像

対話とは何か? /ファシリテーション一日一話

まーぼー、こと古瀬正也さんが開催した「対話についての理解を深める会」に参加した。といっても、夜9時からの開催だったので開始5分で寝落ちして、アーカイブ視聴に切り替えた。夜は苦手なのだ。まーぼーは、多読家で、かなりの本を読む。難解な本にもチャレンジするタイプで、僕が「これ難しくて読みにくいなぁ、けど読みたいな」と思った本は、大抵読んでいる。で、彼に教わるとなんとかガイドを得ることができ、読み進められたりする。新幹線移動の時間をみつけて、アーカイブ動画を視聴した。

パウロ=フレイレが語る対話

今回のテーマは対話。対話について、広辞苑の定義や、英語が意味するところ、漢字の語源、3人の思想家にとっての対話、パウロ=フレイレが言うところの対話、など、様々な角度から「対話とは何か」について迫る熱講義であった。
パウロ=フレイレの『被抑圧者の教育学』なんかは20年ほど前に読んだきりだったので、出てくるキーワードが懐かしく、嬉しく、原点を思いださせてくれる感じもあった。そう、対話には、謙虚さや人間への信頼こそが必要なのだ。相手を支配しようとして行う行為は、対話ではない。説得や論破だ。

銀行型教育(Banking Education)から卒業し、対話的学びを提案する良書。若い頃かじりついて読んだ。今は新しい翻訳が出ているらしい。

漢字の語源から見る「対話」

印象的だったのは、対話という漢字の語源の話。「対」にも「話」にも象形文字とかまで戻っていくと、刃物が登場するらしい。ゴリゴリの対話を経て傷ついた人、誰かの言葉によって心にささくれが刺さった人の話は、これまで沢山聞いてきた。願わくば、自分が発する言葉が、誰かを傷つける刃にならないことを、願う。いや、自分が発する言葉には、刃になりうる可能性があるんだと、普段から気をつけて、思いやりをもって言葉を使えるようになりたい。

いろいろお話しを伺った結果、最後、まーぼーご自身の対話の定義が出され、それで僕は腑に落ちた。対話とは、意味を分かち合い続けることで、新しい意味をともに生み出していく営みである。と、彼は紡いだ。

1枚の絵を見ても、感じるところや受け取る意味は、人によって違う。それらを互いに分かち合うことで、「あぁ、もしかしたらこの絵には、こんな意味が込められているかも」と、一緒に見出してゆく行為のようだ。この2日間、西村佳哲さんらとともに、三ツ木紀英さんに対話型鑑賞を教わる合宿をしていたこともあって、僕のなかで、ストンと入ってきた。

対話する力を身につけよう

世の中には難しい課題が山のようにある。力による支配や暴力をもって解決するのではなく、話し合いでなんとかしたいな。そう思ったとき、相手を論破しようとしたり、相手に勝とうとして何か言葉を発してしまうと「言い合い」になってしまう。そういう時こそ、相手にとってこの課題がどのような意味合いを持つのか、どのような味わいのある話なのかを、丁寧に聴ける自分でありたい。もしも互いに、丁寧にききあえたなら、一緒に解決してゆける道筋や、双方が納得のゆくアイデアが見えるかもしれない。難しい時こそ「きき合い」が必要。対話する力、もっと身につけたい。そう思わせてくれる良きオンライン・イベントでした。まーぼー、ありがとう。

徳島から和歌山へ向かうフェリーにて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?