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<短編小説>育ロボ世代とは:育児ロボットに育てられたロボット離れできない若者たち。社会問題にもなった。


「彼」の淹れる紅茶は美味しい。
分量、手順、タイミング、すべてが完璧だから当然だ。
紅茶だけでなく料理も上手だ。正確なレシピと材料さえあれば完璧な食事を作ることが出来る。
だが、新しく母が購入した調理専門の丸い小型ロボットは、彼の性能を上回るらしい。微妙な匙加減や家族の好み、季節・天候によっての工夫や食材の仕入れもオンラインで完結する高性能機種で、父親も気に入っている。
だが、これだけロボット技術が進んでもいわゆる高級料理店などでは人間のシェフが料理を作る。
うちの母親も休日、ごくたまに自分で料理をする。ロボットの料理は完璧だが、人が手で作った料理の方が美味しい……それが世間一般の評価だ。
真心をこめて作るからだとか、作り手の感性や才能が理由だとか言われているが、ぼくにはわからない。ぼくは「彼」がぼくのために作ってくれる料理が1番美味しいと思う。

「彼」は、ぼくが0歳のとき両親が購入した『育児機能付家事代行ヒューマノイド』だ。
(両親は「彼」を「it/それ」と呼び、ぼくは「he/彼」と呼んでいる。同じく調理専門の丸い小型ロボットを両親は「it/それ」と呼び、ぼくは「she/彼女」と呼ぶ)

「彼」は、仕事で忙しい親の代わりにぼくの世話をし、食事を作り、家事のすべてを代行した。
勉強や宿題に関して彼が面倒を見てくれたのは中学2年までだ。両親いわく、ロボットにインストールする高校受験レベルの学習指導プログラムは別料金で、アップデートのたびに高額の更新料がかかるらしい。ぼくは彼と勉強する代わりに塾へ行かされ、無事に志望校に進学できた。電子情報系学科で、ロボットの電子頭脳や制御装置のシステム開発などを学びはじめたばかりだ。

稼働16年になる「彼」は、すでに旧世代機だ。ロボットの部品、とくにメモリーとバッテリーは耐用年数が短い。メーカーの修理対応期間はたいてい10年程度だし、通常の家庭用ロボットは一般的に3〜4年くらいで機種変更する。
我が家で彼の機種変更をしなかったのは、ぼくが猛反対したからだ。小学6年の時、買い替えを提案されて彼と一緒に家出をしたことがある。
もっともこれはぼくだけの特殊な例じゃない。人間型の育児ロボットに育てられた子供たちは、ロボットに対する依存心が強くなりすぎる。精神的に自立できない、心の成長が遅れる、などの傾向を持つ「育ロボ世代」として社会問題にもなっている。
「育ロボ世代」の子供は「ロボット離れ」が難しい。友達より、先生より、親より、子守りロボットを好きになってしまう。子育てをロボットに押し付けた親たちや発売メーカーは困惑したが、当然のことだろう。思考ルーチン型人工知能は優秀で、どんな悩みでも真剣に聞いてくれる。解決する能力はなくても、ただ寄り添い、一緒に居てくれる存在が子供にとってどれだけ有り難い存在か。それがロボットで、「心」なんかなくても。プログラム上のパターン化された対応でも、充分に癒される。
ぼくも典型的な「育ロボ世代」の1人だ。社会問題としての「育ロボ世代問題」が収束しても、この言葉はぼくらの世代にずっとつきまとうのかもしれない。

人間そっくりのロボット(ヒューマノイド)は旧型になり、新しいモデルはより機械らしくなった。見た目は無機質のつるっとした強化プラスチック製が主流で、声もいかにもな合成音声になった。人工知能から遊び心やウィットは排除され、コンピューターとしての動作以上の言動はしない。ロボットは人間に近い形状から完全な機械へと進化した。(退化かもしれない)
それは「育ロボ世代」問題をはるかに凌ぐ勢いで、「ロボット依存症」が増えたことと関係している。恋人も家族もいらない、ロボットさえいればいい……そんな状態を突き詰めて、社会生活を送れなくなった人々が話題になった。
重度の「ロボット依存症」の治療には特許技術の「記憶消去」が貢献した。人間の記憶中枢が電子制御可能になり、パソコンから不要なデータを削除するみたいに、都合の悪い記憶を消してしまうことが出来る。脳神経外科や心療内科などにも導入されていて、電極のついた小型装置を使う。
ぼくの両親は「家出事件」のあとでぼくの「彼の記憶」を削除するべきかソシャルワーカーと相談したらしい。とりあえず、そのときは何もされなかった。普及し始めた頃の「記憶消去」は専門家でないと扱えない複雑なもので、当時は費用も高額だったせいかもしれない。
そのしばらく後、安価な「記憶消去ユニット」が発売された。僕の父親は、「彼」に「記憶消去ユニット」を搭載した。
そのとき父が想定した用途は知らない。例えば浮気がバレたときに母の記憶を消去するとか、ぼくが反抗期になったら記憶を消すとか、ロクな使い方は考えてなかったと思う。ぼくの父はそういうことをしそうな人だ。
それから法改正があり、医師の認可を受けない記憶消去は違法になった。彼の「記憶消去ユニット」は、うやむやのうちに彼に搭載されたままになっている。父が「記憶消去ユニット」を使ったことがあるかどうかは知らない。もし僕に使ったのなら、僕はそのことを覚えていないだろうし、知る術はない。

人間型ロボットが流行らなくなると、ロボットに癒しを求めていた人たちはこぞってペットを飼いはじめた。空前のペットブームが起き、ペットの世話に特化した新型ロボットが大量に売り出され、結局のところロボットの需要は増える一方だ

いまどき旧型ヒューマノイドを連れて歩くなんて格好悪いと両親は言う。
ぼくはそうは思わない。「彼」はロボットがより人間らしく見えるように製造された最後の世代だから、一緒に出掛けてもロボットと気付かれることは少ない。
だからというわけじゃないけど、ぼくは彼と買い物も行くし、散歩もするし、どこへでも行く。散歩などという無駄な空間移動なんてバッテリーの無駄遣いだと言って、両親はいい顔をしない。それでもぼくは、彼との散歩が子供の頃から大好きだった。

「今日はどこへ?」
隣を静かに歩く彼が、ふと口を開いた。彼の声は人間と変わりなく、穏やかな口調で話す。
「丘の上まで散歩しよう。それくらい、まだ大丈夫だろう?」
「はい」彼が頷く。
彼の外観は20代の青年だが、人間でいえば100歳といっても過言ではない老体だ。無茶はさせられない。
ぼくはふと手を伸ばして彼の手に自分の手を重ねた。ぎゅっと握ると、彼はそっと握り返してきた。
「なんだか、懐かしい」ぼくが呟くと、彼は「そうですね」と応じた。
彼に懐かしいという感覚があるというわけではないだろうが、ぼくが懐かしむことを彼は理解している。
子供の頃、いつも手をつないで歩いていた。あの頃は大きく感じた彼の手も、今はぼくとそれほど変わらない。触れる手の感触は、人の手と少し違ってさらりとしている。
「ここに来るのも久しぶりだね」
丘の上に小さな公園があって、街を見下ろせる。小さな頃もよく彼にせがんで連れて来てもらった。狭い砂場で遊んだり、ブランコに乗ったり。
彼と柵のところに並んで夕焼けに染まる町並を見ていたら、ぼくは泣きたくなった。泣くかもしれない、と思ったときにはもう泣いていた。
押さえこんでいた感情が、溢れ出してしまった。
すぐにぼくの異変に気付いた彼が、ぼくの目元にハンカチを押しあてる。
「泣かないでください」
彼のなだめるような声。
僕は首を振る。
「もう最後だなんて、今日で終わりだなんて、信じられない。ぼくはこんなの、我慢できない」
言っても仕方ないのに。もう諦めたはずなのに、涙がボロボロこぼれて言葉がうまく繋げない。
「きみがいなくなるなんて、嫌だ」
だけど、もう、どうにも出来ない。明日には発売メーカーの人が彼を回収していく。修理を重ね、交換できる部品は交換し、耐用年数を越えて使い続けてきたけれど、もう限界なのだ。
ぼくがもっと大人で、賢い研究者だったらなんとか出来るのかもしれないけれど今はどうしようもない。
せめて彼の筐体や本体部品を手元に残したくても、それも叶わない。ロボットの違法改造や部品の流用を防ぐため、使わなくなったロボットは発売メーカーが回収してリサイクルまたは廃棄するのが規則だ。

生物がいつか死ぬように、ロボットにも限界がある。仕方が無いことだ。ぼくは何度も自分にそう言い聞かせた。何度も心の中で呟いた。仕方が無い。
突然ここにいる意味がわからなくなった。ぼくは一体何をしているのだろう。こんな丘の上までの散歩も彼には負担だったかもしれないのに。
それでもぼくは彼にこの街の景色を見せたかった。ぼくが彼に育てられたこの街の、この美しい夕焼けを一緒に見たかった。
きれいな景色も思い出も、明日にはバッテリーが外される彼にとって何の意味も無いのに。
「泣かないでください」
彼がぼくをぎゅっと抱き締めた。小さな子供をあやすように背中を撫でて、もう片方の手でぼくの頭を抱き寄せた。そういうプログラムパターンなのだ。どう行動すれば最もぼくを落ち着かせ、慰めることが出来るか熟知している。
しばらくすると、ぼくは段々と泣き止んできた。旧型のモーターはちょうど人体と同じくらいの温度を維持するので、彼の腕の中は暖かい。しゃくりあげながら、話しかける。
「寂しいとか悲しいとか感じる…?」
ぼくは彼の胸元に顔をおしつけて、彼のシャツで涙を拭きながら聞いた。
「いいえ。人がそのような感情を持つことは理解していますが、感じることはありません」
「明日、自分が存在しなくなることも悲しくない…?」
彼は静かな説明口調で言った。
「コンピュータの初期化と同じです。ハードディスクの中身が空っぽになって、新品の状態に戻ります。自分が消えてしまうのを嫌だと言って、コンピュータが初期化を拒むことはありませんよね」
何故かその声が、寂しさを隠している棒読みのように聞こえてしまった。だから感じたままのことを言った。
「でも、きみも寂しいと感じているような気がする…」
「いいえ」
少し申し訳なさそうに彼が言う。
「私の知的活動や発言はコンピュータプログラムのひとつです。その中に思考パターンは発生しますが、感情は生まれません」
「でも、心に近いものが派生するかもしれないよ。ロボットだから何も感じないってことはないはずだよ」
「私たちは人間のように感情を感じることはありません。もし機械に心があると思うなら、あなたが自分の感情を投影しているからかもしれません」
「……そんなの知ってる、けど」
彼がぼくの顔を覗き込んだ。じっと見つめるような仕草は、ぼくの表情の変化パターンを読みとるためだ。
ぼくたちの視線が重なる。
「辛いよ」
「明日には楽になります」
「……それが1番、嫌なんだ」
また涙が出て来た。
彼との別れが決定的になったとき、ぼくは何日か食事が喉を通らなくなった。両親は精神科医に相談し、精神科医の処方箋をもらってぼくの「記憶消去」をすることにした。彼がいなくなっても悲しみすぎないように、ぼくは記憶を部分的に消去されてしまう。それには彼本体の「記憶消去ユニット」が使われ、彼の最後の仕事としての行動プログラムに組み込まれている。
ぼくはメンテナンス中に偶然そのことに気付いてしまった。
当たり前のことだが記憶を消されたくはない。両親と話し合おうとしたが無駄だった。ぼくが抵抗して何か言えばいうほど「育ロボ世代」を抜け出せないぼくに落胆するばかりで、両親は考えを変える気配はなかった。
僕の技量ではプログラムの書き換えもできない。つまりぼくにはこの決められた予定を変えることができない。明日には彼はいなくなるし、記憶消去を施されたぼくは、それを悲しいと思うこともない。
どれだけ言っても無駄なことを、それでもぼくは口にだしてしまった。
「お願い」
「はい、なんですか」
「ぼくの記憶を消さないで」
彼は困ったような表情を浮かべて僕の言葉に耳を傾けている。
「悲しくても………忘れたくない。ぐす、……大人になっても、ずっと覚えていたい……お願いだよ」
ぼくの声は、すすり泣きまじりでまともに言葉にならなかった。
それでも、彼が聴き漏らすことはない。
「ごめんなさい。プログラムは変えられないんです」
彼が小さな声で言う。
わかっている、これも仕方がないことだ。


翌日。

ぼくは睡眠誘導装置がもたらした深い眠りから目覚めた。
朝の光が眩しかった。
枕元には1枚のメモリチップが置いてあった。それが何の部品なのか、どうしてそこにあるのか、ぼくは知らない。服を着替え、その覚えの無い電子部品を胸ポケットに入れた。
キッチンに降りて行くと、「大丈夫?」と母親がぼくの方を向いて言った。
ぼくは「何が?」と聞き返す。
「気分はどう……?」
「よく寝たから気分がいい。何だかスッキリしてる」
そう答えると母親がホっとした表情を浮かべ、朝食をすすめてくれた。
丸い小型の調理ロボットが食卓に両親とぼくの3人分の朝食を並べる。

調理ロボットが淹れた紅茶を、ぼくはゆっくりと味わった。彼女にありがとうと声をかけて、ぼくは登校の準備をすませる。


学校に着いてからメモリチップのデータを確認した。
解析できない無数のシグナル。
何も読み取れない。けれどぼくは確信していた。それが「彼」の記憶領域の断片的なデータであることを。

彼はプログラムに従わなかった。
ぼくの願いを優先した。

なぜ彼にそんなことができたのか。
たったひとつ残されたメモリの意味を、答えを。存在しなかったはずの彼の心を、ぼくは探し続ける。


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