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良いコーヒーってなんだろうな

最近、コーヒーの評価軸が大きく変わりつつあるように感じる。おいしいコーヒーの定義が大きく揺れ動かされている。ぼくたちコーヒー屋は、その中で自分たちの味を表現するが、ぼくらが最近考えている良いコーヒーについて、書いてみたいと思います。

今までのおいしいコーヒー

文字通り、「味がおいしい」であったり、「毎日飲みたくなる」など、自身の好みに合うコーヒーがきっと、皆さんにとっての「おいしいコーヒー」であったと思う。だから人によっておいしいはもちろん差があるし、ある人が一番好きなコーヒーはある人にとっては一番苦手なコーヒーということだってあるかもしれない。

スペシャルティコーヒー

スペシャルティコーヒーには点数が付いている。スペシャルティコーヒーに点数が付いているというよりは、コーヒー豆を100点満点で採点した際に、80点を超える豆をスペシャルティと、そのグレードを呼称することが一般的である。

つまり客観的立場から点数をつけて、その点数が高ければ品質の高いコーヒーと評価される。飲む人が直感的に評価を下すのではなく、専門家が下した評価を元に、多くの人に評価という色が付けられたコーヒーが届く。

ぼくら焙煎所だって、現地の評価や商社さんの評価を通して、仕入れる豆を決めているから、結局は消費者の皆さんと同じ状態になっている。サンプルをたくさん飲み比べて仕入れることもするけれど、あくまでも確認作業の範疇にとどまる場合が多いと思う。

変わる価値観

ぼくが商社さんから直接コーヒー生豆を購入させていただくようになってから4年くらいが経った。この4年間でもかなりコーヒーの評価軸が変わってきたなと実感している。

新たな価値は「希少性と驚き」

この二点に集約されるように思う。味がおいしいのかはわからない。希少で珍しいコーヒー豆がオークションで高い値段が付けられたり。初めて飲んだら衝撃を受けるような、個性的な特徴を持ったコーヒー豆に価値が見いだされたり。

コーヒーのおいしいってそういうことだっけ

「希少で驚きをくれるコーヒー」はもちろん、非常に価値があるということは理解している。けど、それは「おいしい」という表現とはまた別の軸なんじゃないかと思ってしまう。おいしいコーヒーって、そういうことだっけ。いつしか、おいしいという意味が、珍しいであったり、驚きであったりに変化してしまっているように思う。

もちろん評価軸は多くていいと思う

この文章は今のコーヒーの評価軸について、批判しているわけではありません。みんなが、自分のおいしいと思うコーヒーをおいしいと言えるように、多様な評価軸を認めることで、コーヒーはもっと身近で親しい存在となると思います。

「おいしいコーヒーとは何だろう。」

この問いには答えはありません。タイトルにした「良いコーヒー」なんてもっとよくわからない。

だからこそ、信念をもって、ぼくがいいと思うものを、これからも伝えていければと思います。皆さんの毎日に寄り添うコーヒーを。


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