送信履歴♯♭11 〓決意〓

おかしい。
僕は君にいったんメールを送った。それから彼らから受け取ったメールを開いたんだ。
なのに、送信履歴を確認してみたら、君へのメールばかりではなく、彼らとのやりとり、どのように彼らのメールが途絶えたかまでが文面に残っていた。

僕の潜在意識が無意識にキーボードを叩いて君に送信していたのだろうか? ルーティンな仕事に退屈も疑問も不満も抱かず、やるべき仕事を淡々と繰り返す彼らみたいに? 
ぼくは彼らから何かしらのメッセージを受け取って、封を切るようにメールを開いて読み上げて、意味を理解するために確かめて(打ち込んで)、それから君に送るためのメールを作成し記録した? 記録した? 誰のために?

それに、こうして君にメールを書いているさなかでも、僕には君の考えていることが朧ながらにもわかるようになってきている。
君が「僕の知らない4つ目の月とは何だろう?」を共有していることも何となく伝わってくる。僕は君が共有してくれた「僕の知らない4つ目月とは何だろう?」を君経由で共有しているように思えてならなくなっている。
君が感じている「(部下の)彼女は突然変わった」を僕が共有し、(部下の)彼女もまた僕が共有したことを感じている。それがわかる。

4つ目は命運の月と呼ばれている。差出人空欄の彼らが共有していた認識だ。だが、共有できていたのはしばらく前までのことで、今では赤い服を着た人が定義し、ほかの人がそれを聞いて認識しているだけだ、ということがわかる。

〉「急いでほしい」
と彼らは書いてよこした。
僕は何をどう急げばいい?

「急がなくたっていいじゃない」と君が思う。遠くいるのに、僕には君がそう感じたことがわかる。
「こんな素晴らしいことってある?」と、君が思う。それが僕にも伝わってくる。
確かにそうかもしれない。理解し合えれば、人間関係はうまくいく。

ところが、理解し合うだけではダメなんだ、とプルマンが叫んだ。
どこから叫んでいるのだろう、と僕は画面に残された彼らからの送信したメールを読み返しながらその姿を追う。

青い服を着た人が、わけのわからないことを言って暴れ出したのがわかる。文字は翻訳できるけど、イメージに届く言語にグーグル翻訳は少しも役にたたない。
緑の服を着た人が、この世のものとは思えない高い音階で叫んだ。状況からいえば「やめてー」と僕には思えた。

それから、向こうの世界で起こっていることが、僕の頭の中になだれ込んできた。
彼らは5人いて、小さな人たちと呼ばれている。今までの共有が崩れ“選ぶこと”を覚えた。彼らにとってそれは初めての刺激であり、いいことのように思われた。気持ちが昂り、世界が出来事を顕すたびにわくわくするのだ。
これはいいことなのだ、と彼らは思った。選ぶことが、選べるという環境にいることがこんなに楽しいとはこれまで知らずにやってきたせいだ。

選択できる環境は、自由が広がることでもある。
彼らはそれを謳歌した。どこまでも広がる自由に陶酔し、夢を広げていった。夢はどこまでも広がり、とめどを知らないように思われた。
だけど、足下を確かめずに跳ねまわっていれば、いずれ躓く。
共有よりも個々の自由を選んだ時彼らは、ある時、仲間の考えていることがわからなくなった。
はじめのうちはそれでもよかった。相手がわからないことよりも、自由に考え行動することのほうがはるかに価値があると思い込んでいたからだ。

だけどある時、自由に考え行動することで起こったすれ違いが、小さな人のひとりを深く傷つけてしまう。自由に考え行動することに夢中だったほかの人は、自由の翼を折られたみたいに傷つき、悩み、落ち込んだひとりに気がつかなった。自由に考え行動することに目が奪われたままだったし、人のことなど関係なくなっていたからだ。
共有は神が死んだみたいに死んでいった。

死んでいく?
小さな人の赤い服を着た人が、ある時自由に考え行動し、夢を追いかけるのをやめ、ふと歩んできた道筋を振り返ってみた。
そこには自分の足跡しかない。ほかの仲間の足跡がどこにも見当たらないのだ。
赤い服を着た小さな人は、プルマンといった。引きつける人、惹きつける人である。
プルマンは、自分の足跡しか残っていない軌跡を目にした時、まるで砂漠だ、と感じた。前を向けば、誘いの甘い光がある。だけど、これまでどれだけ甘い光を追いかけてみても、甘い光は逃げ水で、どこまでいっても手にすることはできなかった。
ふり返った後ろには、惑わしの正体がある。荒涼とした砂漠だ。

プルマンは初めて迷うことを知った。迷いも、通じる意志、共有の時代にはなかったものだ。

プルマンは悩んだ。
自由をとるか安定をとるか。
自由に考え行動すれば、甘い光を追いかけ続けることはできる。だがそのことで支払う対価は大きい。

自由は欲求だ。ひとつ解き放たれれば、その先を見たくなる。
先を見ればまたその先に進みたくなる。
だけど、先に進めば道は分かれ、再び選ばなければならなくなる。
気負いも損得もなければ、無邪気に選んでいけばいい。「神様の言うとおり」と投じたマッチ棒の指し示した先に進めばいい。
だけど、物事はそれほど無責任にはできていない。
無思慮ではいずれ大きなしっぺ返しがくる。小さな迷いが生まれ、選択に責任がのしかかってくる。

小さな人たちにその責任を負うことができるのか?

プルマンはその時、重大な事実に気づくことなる。

だめじゃ、元の道を戻るのじゃ!

4つ目の月は、われわれの“共有”を吸い込んでおる!

プルマンは歩いてきた砂漠を、足跡を頼りに駆け出した。

(続く)

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。