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私ってやり続けてきたものがない・・・それもヒトのモノサシかも

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今回は、よく聞くし、少し前まで自分もそのトリックにやられていた、「私って、何もやり通したものがないかも・・」についてです。

自分見つけを始めて、「強み」や「資格」や「提供できるもの」関連の項目にくると、作業がストップする。なぜかって、書けないから。モヤモヤはしてるので、そこに言語化できない「何か」はあるんだけど。

そして、勝手に、「おまえは、形にしてきたものがないだろう!なんて中途半端なんだ!そんなんじゃ使い物にならない。」という自分の中の裁判官が自分を責め始める。周りは誰もそう言ってないのに、自分が一番の自分の否定者として自分を責め立てる。

だから、自分探しをしていると鬱々してきて、気が滅入り、あんまりしんどいので、お休みしているうちにフェイドアウト。でも、やっぱり自分を見つけたい、強みを見つけたいのが、仕事なり人生のテーマになってるから、また、別なきっかけで別な方法でやり始める。それの繰り返し、繰り返し。

「強み」や「資格」や「提供できるもの」で何も書けない、の根本原因は、自分の唯一の世界に一つしかない人生を、標準化されたヒトのモノサシで測ろうとしているからだ、としか言いようがない。

そのモノサシとは、何か世の中で周知されているカテゴリーからの一つでずっとコミットしてやり抜いてきたものという括りだったり、他者や団体、国によって、その価値が認められているものの括りだったり。。。

ヒトのモノサシを使っていると、ヒトの人生を起きることになる。自分の人生が生きられないから、個性的な人ほど表現できずに苦しくなる。

最近は、「強み」の考え方として、測定したり標準化できるものよりも、性格や習慣やそのヒトオリジナルな状況にこそ、その人らしい、その人しかできないような表現が隠れていたりするという本もいくつか出ている。

それで、なるほど!と、自分の性格や習慣を振り返ったり、行動パターンを振り返ったりする。確かに、、自分オリジナルの傾向が見え隠れすることもある。

でも、それは構成要素の組み替えだけであって、構成要素一つ一つを取り上げるとうまくやれる人、他にもたくさんいそうで、気休めにしかならない。

どうやりたい仕事に繋げられるものか、それだけでは、弱い気がして、再度、資格がないことに落ち込んでゆく、か、資格を取りに走り出す。まるで夢を掴みにゆく勢いで。その資格の内容そのものを学びたいという場合は、いいのですけど。

子供たちだけでなく、あなたご自身も、資格などの「標準偏差」みたいな偏差値で自分のスキルを測ることから自由になったらどうだろう。そうなると、創造性が高まってくるものです。そして、自分を客観的に捉えるのに、今までにない視点を増やせば、あなたのやりたい、強み、あなたらしさ、本来のあなたが見えてくるものです。

本当の自分に根差した「やりたいこと」は、あなたの永久不滅のパワーの泉になってどんなことでも受け入れられるようになる原理があるから、当たり前にいい結果を導いてくれるのです。

それが、あなたが頑張らずに、努力せずに、モチベーションなしでやり続けられるものなのです。

この本当のやりたい!に出会えたら、それが形にできたら、きっと満足感の高い充実した人生を送ることができるでしよう。

この世の最後の日に、人生を後悔する人は、世界中で8割を超えるそうです。

自分を知ることで、きっとこの世最後の日に、やりきった感満点で、生まれてきてよかったって思える。人生完全燃焼!って、思える。笑

そんな仲間を一人でも多くこの地球上に増やしたいのが、私の「やりたいこと」なのです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

愛と感謝を込めて。




貴方の愛のエナジーを有難う💖