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ムーミン谷のはなし

冬の終わりというには気が早いけど、もう少しで立春だし、庭に梅が咲き始めて、冬も徐々に春になっていく時季だなと気付いた。

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画像は、好きな人にはすぐ解ると思うけれど、ムーミン谷の地図。こんな地図一つで生活できるような箱庭みたいな狭くて優しく美しい世界があれば良いのにね。
(ムーミンは意外とシビアな部分もあるか…)

ムーミンの日本語訳文庫本を買い集めたのは数年前で、平仮名の使い方や言葉選びが好きで気に入ってる。ヤンソンの挿絵も、とても可愛い。アニメもだいすき。偶に観ると、背景や小物の描き方、配色にも感動する。

仲良くなれた人達は、元からムーミン好きな子が多くて、みんなでムーミン谷で暮らせたら良いのにと思ってしまう。ムーミン好きな人は、やっぱりムーミン谷暮らしが似合いそうな子ばかりだし。

ライラックのしげみや、ばらの花壇、青い家と白いテラス。貝殻や真珠の拾える海辺と、花咲く野はら。魚の居る小川に、人を迎える橋。

綺麗なところだよね。  

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原作よりもアニメは絵も台詞もやさしい感じで、活字の方はとても良い言葉がある。

冬眠に入るまえ、時間を無駄にしてしまうと嘆くムーミンに、スナフキンが言う
「心配するなよ。きっとぼくたち、すばらしいゆめをみるぜ。そうして今度 目がさめたときには、もう春になっているんだからね」

この言葉が魔法みたいで好き。

ゆめのようにたくさん好きな言葉があって書き切れないけど、中でも精神面に印象に残ったものを多めに引用。

「彗星ってほんとうに、ひとりぼっちで、さびしいだろうなぁ」
「人間も、みんなに怖がられるようになると、あんなにひとりぼっちになってしまうのさ」
「あの音は、貝が、海に思いをはせている音だよ」
「フィリフヨンカであるということは、人が思うほど楽なことじゃありませんものね」
「思い出してばかりいるよりも一緒にいた方がまだましだ」

「皆に好かれるヘムレンになってみようと思ったり、皆に嫌われる可哀想なヘムレンになってみようと思ってもみました。でもだめでした。どんなに苦心してみても、やっぱり自分は自分でした」

ヘムレンさんは切手蒐集家だったけど、一度大きな風に飛ばされて切手を失くしたんだよね。それに執着して「わしは大事な切手を失ってしまったヘルムなんだ」って荒れてたシーンがあった。

物を持っている自分や、誰かと居る自分をアイデンティティにすると、失ったら残るのはアイデンティティの無い空っぽの自分なんだなとぼんやり思って、なら自分はなんだろう? と考えたりする。

プラスティックトゥリーの『空白の日』の詩には、


いつか空っぽの僕の中から、きらいな自分までいなくなったら、僕には何が残っているんだろ? 両手をただ眺めてた


というのがあって、ずっと心に残ってる。虚しくなると思い出す歌。

それでも考えてきた事、感じた事、見てきた事、過ごした瞬間の記憶や感性は無くならないから、積み重なったそれがアイデンティティと呼べるように昇華できれば良いんだろうな…

ヘムレンさんや世界に怯えるフィリフヨンカや、透明の少女ニンニ、名前の無かったティーティーウー。いろんな登場人物が意外と他人事でなかったりして考え込んでしまう。ムーミン谷で癒されつつも。

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それからムーミンパパは、誰にも愛して貰えなかった子ども時代を送ったとあった。

「もし私がニョロニョロ達のように未来なく只さまようばかりの運命の星の下に生まれていたら、誰だって私に何かを期待する事はなかったでしょう。私だってどうせ辿り着けない水平線に向かって、漂っていれば良かったのです。それなら何も喋る事もないし、一生懸命になって何かをする必要もなかったでしょうね」
「なんて青いんだろう。真っ直ぐに進もうよ。波に揺られて眠るだけで、どこへも行きつかなくたっていいじゃないか」

自分は行き着く場所がきっと無いような、ただ続いていくものを惰性で続けてきただけのような、そんな気がしている。

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