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選挙の街頭演説は面白い

『NO 選挙,NO LIFE』(2023年/日本/109分)【監督】前田亜紀 【キャスト】畠山理仁


取材歴25年。
平均睡眠2時間。
フリーランスライター、
畠山理仁50歳。
選挙に取り憑かれた、
その情熱と苦悩に迫る。
選挙の面白さを伝えるフリーランスライター・畠山理仁(50)。国政から地方選、海外まで、選挙取材歴は25年を超え、候補者全員を取材することを記事を書く上での信条としている。それらを書籍にまとめた「黙殺~報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い~」(集英社)は、第15回開高健ノンフィクション賞を受賞するなど、高い評価を受けてきた。そんな畠山の肩越しにカメラを据えると、一体どんな世界が映り込むのか。日本の民主主義の現在地と、選挙に憑りつかれたフリーランスライターの情熱と苦悩に迫る。『なぜ君は総理大臣になれないのか』(20)、『香川1区』(22)、『劇場版 センキョナンデス』(23)、『国葬の日』(23)のプロデューサー前田亜記が監督を務める。音楽は、畠山を「師匠」と慕うラッパーのダースレイダー(『劇場版 センキョナンデス』監督)が率いるバンドThe Bassons(ベーソンズ)が担当。渾身のオリジナル曲が生まれた。

全員取材できるまで書きません!

テレビ、新聞では決してやらない「候補者全員取材」。
すべての候補者が同額の供託金を支払い、対等な立場で立候補しているにも関わらず、黙殺されてしまう人たちがいる。世間では「泡沫候補」と呼ばれるが、畠山は敬意を込めて「無頼系独立候補」と呼ぶ。「すべての候補者の主張を可能な限り平等に有権者に伝える。それが、選挙報道の任務を負った者のスタート地点である。」

※本作は、前編後編(各10分)をYahoo!クリエイターズで配信。2023年5月28(日)の深夜にフジテレビ「NONFIX」で放送された48分版の長尺映画版となります。

選挙映画というと過去に想田和弘『選挙』、大島新『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川一区』ダースレイダー × プチ鹿島『劇場版 センキョナンデス』を観てTVだけではわからない実際の選挙の面白さを知ったのだが、この映画も大島新がプロデューサーということで、選挙を楽しむ映画となっているのだが、取材するライターにスポットを当てたのが面白さの要因となっている。

フリーランスライター・畠山理仁(50)の選挙の見方は独特のものがあるし、泡沫候補と言われる人たち全てを取材しなければ記事にしないというポリシーや政党政治への疑問も伺えるようで興味深い。そして沖縄の選挙選が何故熱いのかも知ることが出来た。

沖縄は米軍占領下の時代が長かったので、権力に支配される構造が物言わぬ者たちはただ権力の思うままになるというのがわかっているから、反対運動が盛り上がり、それが規制や運動に影響を与えているのだと知った。日本の法律よりも住民の意思の方が大事だとする考えは民主主義の根本であり、それは占領下のアメリカの民主主義を直接学んだことなのかもしれない。基地闘争や不条理な住民不在の押し付け政治(最初は米軍で日本に復帰してからはそれが日本政府になった)の中でいかにノーを突きつけるか?自民・公明候補と住民との距離を、敗戦の幟の仕舞い方(折りたたまず無造作にゴミ袋に突っ込んでいた)を観て次は出馬しないとか、畠山理仁の視線は深い。

また泡沫候補にしても供託金300万を没収されるのにその金を作ってでも選挙に出ようとするのだから相当の意思がないと出来ることではない。超能力者の候補とか、ふざけているのかと思うが本人は真面目でその主張を聞くと納得する部分もあるのだ。

そんな選挙選は街に出て各候補の演説を聴かないとその力量がわからないし、政党政治ではそうした個性が見られないような気がした。例えば前の参議院選では、安倍首相が暗殺されたので、自民党の候補者は泣けば主張が訴えられるのか政策は何も語らなくても応援団が付くのである。酷いのはNHK党でガーシーだけを全面に出して、泡沫候補はそのガーシーのチラシを配るというガーシー応援団になっていることだった。NHK党の選挙運動は党に支払われる政党助成制度を利用したビジネスと言ってもいいぐらいに候補者を集めたがそれはすべて政党票になるからくりになっていた。その結果がガーシーの辞任という、何ともお粗末な結果を生み出したのだ。次はどの有名人を担ぐのだろうと予測してしまう(ネットで人気者)。

そして参政党は選挙運動の時は取材させておきながら選挙が終わると映像は使っては駄目だとか言い出す始末で、政党政治のいやらしさを見た気がする。

沖縄選が熱いのは個人が勝手に候補者を応援していたり、政党に所属しない人でも地域住民との一体感があるのだ。有名人を連れてきて選挙戦を戦うのとは次元が違っていた。

しかし今回の参院選がカタログ選挙(TVやメディアの記事だけで判断してしまう)になってしまったように、候補者の街頭演説の声は遠くなりつつあるのだろう。かつての自由民権運動のような街頭演説はなくなってしまうのか?そこがフリーランスライター・畠山理仁(50)の戦いでもあり街頭演説という選挙のダイナミックさを伝えていた。

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