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日本も見習ったほうがいい

『燃えあがる女性記者たち』(2021年/インド)監督・撮影・製作:リントゥ・トーマス、スシュミト・ゴーシュ 出演:「カバル・ラハリヤ」の女性記者たち

インド北部の女性だけの新聞社 差別にひるまない彼女たちの生き方
被差別階層の女性たちが作った地方新聞社カバル・ラハリヤ(ニュースの波)は、デジタル・メディアに活路を見出し、記者たちにスマホを支給した。ペンをスマホに持ち替えた記者たちが、果敢に取材を繰り広げる姿を3年にわたって取材した秀作ドキュメンタリー。

デジタル・メディアの進歩は今まで日の当たらなかった人々も表に出て主張できるし、逆に権力の道具となることもある。要は使い方なんだと思うがインドのカーストの最底辺である者たちの、それも女性がこうしたメディアとなることは素晴らしいことであると感じさせるドキュメンタリーだった。

彼女たちは完璧ではないけど助け合いながら少数者の意見を拾っていく。それは今まであった伝統社会をひっくり返すことかもしれないが、インドの固有の文化の中にある人権無視の制度は変えていかねばならないし、レイプされても警察は動かず泣き寝入りとか殺されるとか生存権に関わる問題だからいくら伝統だからと言ってもこれだけネット社会が発達しているのだから無視できることではあるまい。

しかしそういう女性たちがいる一方で現実のインドでは保守化が進んでいるという。世界的傾向なんだろうけど、でも自由を求める空気があるからこその反動だと思う。ヒンズー教も世界に呑まれていくのだろう。その矛盾が今出てきているのだろう。刀を振り回す若者とか着飾った美人のダンサー並べるとか、それがヒンズーの精神世界だったのかと言いたくなる。

学びということは大切で、彼女たちもスマホで学びながら発信していきながら明日を切り開いていく。親の意向で結婚しなければならないからと辞めて行った女性もそこの息苦しさからまた戻って記者をしているという。揺れつつ世界は正しい方向へ向かっているのだと信じたい。そんな彼女らに勇気づけられる映画かもしれない。

日本でも女性だけのジャーナリズムとか出てきてもいいと思うのだが。もうあるのかな?そこで大いに議論されるべきなのだ。女性が進出できない社会というものを。まあ、もう日本は終わっているかもしれないからな。いまさらなのかもしれない。インドの女性進出も低いけど、それに劣らぬ日本社会だった。

ジェンダー・ギャップ指数。日本は125位、インドが127位。いい勝負だった。
https://www.gender.go.jp/policy/positive_act/pdf/sankou1_23_09.pdf


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