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ものほしい硝子のむこう猫の恋

一日置きぐらいの猫の日が定着しつつあるな。猫俳句ばかり増えて困りもんだが今日の一句。

ものほしい硝子のむこう猫の恋 宿仮

季語を無理に付けなくてもいいんだが、やっぱ俳句らしさを目指すと季語は利用価値があるのだった。季語から定形で俳句は作りやすいというのはそうなんだよな。

そんなことで昨日は「シン・俳句レッスン」関係ばかりやっていたのだが、これだけでは不安になったので短歌も作った。短歌を日記ように作っていたという宮沢賢治に影響された。宮沢賢治は青春短歌なんだが。

堕天使の翼が折れて息途絶え地獄の罪に羽根むしられて  宿仮

寝てばかり居るから背中が痛いのだ。こんな感じで毎日作っていけば短歌も上達するだろうか?「シン・短歌レッスン」は一週間に一度になってしまっているから、一ヶ月に4首ぐらいしか作ってないんだよな。それも本歌取りの練習ばかりでオリジナルティにかける。

そんなことで今井勉『宮沢賢治の真実』の第三章まで読んだ。宮沢賢治が同性愛だったというよりも国柱会の信者であることの方がショックだよな。

宮沢賢治は敗戦まで生きていなかったのでファンタジー作家になっているが賢治の童話は国柱会から要請されたんだよな。これは中原中也にも言えることで厳密に読むと精神性の方向に行き着くのだ。小林秀雄の精神というような。

現代俳句協会の動画ばかり見てしまう。

句会のどろどろした感情なんていつも思うことだが、それが批評として役立つのは自己批評しかないわけで、それだとなかなか欠点はわからないのだ。だからやっぱある程度師系の句会に参加したほうがいいのかなと思うが、そうなんだよな、前衛俳句の句会というのがないのだ。それは自分で仲間を集めてやるしかないんだと思う。そういうところで切磋琢磨していくのが理想なんだけど、内輪でなあなあになるのかなとも思ってしまう。

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