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蕪村忌や青猫戯れ弦楽器

『郷愁の詩人 与謝蕪村』萩原朔太郎 (岩波文庫)

著者は「君あしたに去りぬ.ゆうべの心ちぢに何ぞ遥かなる……」の詩を引用し,作者の名をかくしてこれを明治の新体詩人の作といっても人は決して怪まないだろう,と述べている.蕪村をいち早く認めたのは子規だが,蕪村の中にみずみずしい浪曼性を見出したのが朔太郎であり,その評価は今もゆるぎない.

蕪村の俳句について。浪漫的な青春性に富んでいる。色彩の調子が明るく、絵の具の生々しい様。春、夏の句が素晴らしい。芭蕉は秋、冬のイメージ。蕪村より芭蕉について書かれた「芭蕉私見」が面白かった。芭蕉はリリシズムを持った詠嘆の詩人、間の文学。蕪村は印象的、絵画的、即物的。ジャズだと芭蕉はセロニアス・モンクで、蕪村はビル・エヴァンスか?(2013/05/21)

蕪村忌だという。

【今日の季語4255<1489】蕪村忌(ぶそんき):晩冬の行事季語。画業にも秀でた俳人与謝蕪村の忌日。陰暦天明三(1783)年十二月二十五日に六十八歳で没した。雅号にちなむ「春星忌」の傍題も。◆太筆に墨のぼりくる蕪村の忌(嶋田麻紀) #kigo

それで蕪村忌で俳句を詠もうとしたのだがイメージ的に何も浮かばない。むしろ苦手な俳人かもしれぬ。それは、『作家と楽しむ古典』を読んでの蕪村へのイメージ。『春風馬堤曲』十八首が難解に感じたのだ。朔太郎で読む蕪村はそんなイメージがなかった。

朔太郎の蕪村評価は、同時代としての詩人としての読み、蕪村の俳句というより詩として享受するのである。それは「春風馬堤曲」を西欧の新体詩と同一の形式を持ったものとする。通常の俳諧での連句ではなく、俳句の中に漢詩が混声する抒情詩なのだ。

従来は蕪村のイメージする俳句は、正岡子規らによって客観描写であるとされたのだが、芭蕉の主観と蕪村の客観を対置させた上での芭蕉の枯れ具合や西行などにあやかった坊主臭さ、それに対して蕪村は青春の郷愁を詠むということだが、朔太郎に言わせると幼児期のノスタルジー、先の辻原登の言葉で言えば「サウターデ」なのだ。

それは蕪村の孤独と朔太郎の孤独が交わるところなのかもしれない。部外者として外から眺めている過去の情景。

白梅や誰(た)が昔より垣の外
妹が垣根三味線草の花咲ぬ
春風や堤長うして家遠し
藪入りの寝るや小豆の煮える中(うち)
凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ

「春風馬堤曲」は、陶淵明の桃源郷の古詩『桃花源記』に倣ったものだが、朔太郎は漢詩の水墨画よりも色付けされた絵を見る。それは、藪入りで実家に帰る丁稚奉公の娘(辻原登は、遊郭の娘として読んだが)と独居老人の語らいの情景である。映画のワンシーンのような、例えばジム・ジャームッシュの『パターソン』のバスの運転手と少女の会話を想い出す。

「エロチカル・センチメント」としての蕪村。芭蕉は修行僧的な禁欲主義者のようだが蕪村は和歌から繋がるエロティシズム的な叙情がある。

女具して内裏拝まんおぼろ月
春雨や同車のきみがさざめごと
白梅に明ける夜ばかりとなりにけり


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