般若心経は御経であるからただ頭を空っぽにして唱えろという
『現代語訳般若心経』玄侑宗久 (ちくま新書 )
芥川賞作家でもあり僧侶でもある玄侑宗久の『般若心経』の現代語訳は、くだけた口語体の語りかけるような「般若心経」でその語り口が合うかどうかなのだと思うが。いきなり説明もなしにシャリーブトラさんとか出てくるのでお前は誰なんだよ!となったりするのだ。釈迦(に成り代わった著者)がシャーリープトラという人に教え語るというスタイルなのだ。これは一つの小説のような作品と読むこともできるかもしれない。
語り口に較べて内容はかなり難しいのは、般若心経が仏教理念のようだから、専門用語もそのまま出てくる。その理論の説明として現代哲学や科学のモード(思考)が出てくる。そういう本を読み慣れている人は納得できるのかもしれない。一切が苦であり(現象=世界)、一切が空という釈迦の教え。般若波羅蜜多も智慧という訳ではなく、その実践だから言葉通り受け止めろという。一切が空しか残らないというか、般若心経は呪文だから意味よりも口承で唱えることが重要だという。最近流行りの写経よりもまずは暗記するぐらい唱えろということだった。
巻末近くに意訳と書き下し文が掲載されているから、そっちの方が意味は汲み取りやすいかもしれない。それは今までそういう説明(小説)を読んできたからだろうか?面白いのは絵文字で般若心経を文字を知らない人でも唱えられるようにしている「絵心経」とかあるということだ。その絵は漢字の意味とはまったく関係ない。御経として唱えることが意味あることだからだ。もともとサンスクリット語を中国の玄奘が漢字に翻訳したのを、また日本語で解説するので、厳密な理論がわかるわけないのである。まあその時間が一切が空だということがわかればいいのかな。あとはひたすら無心になって御経を唱えろと。
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