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白いアフリカ人としての二面性。

『スペインの家:三つの物語』J.M.クッツェー , (翻訳)くぼた のぞみ(白水Uブックス)

本邦初訳のノーベル文学賞受賞記念講演を収録!
クッツェーが南アフリカからオーストラリアへ移住して、ノーベル文学賞を受賞した時期に書かれた珠玉の3篇。
「スペインの家」:それまでの暮らしに別れを告げて国外に移り住む心づもりを、皮肉とユーモアを交えて描く。
「ニートフェルローレン」:幼い頃から暮らした土地への〈失われない〉愛と惜別の思いが滲むと同時に、解放後の南アフリカが経済的には理想と異なる方向へ進んでいくことへの失意が、喪失感とともに語られる。
「彼とその従者」:かつてはイギリスの植民地だった土地で生まれ、英語を第一言語として育ち、英語で作品を書くクッツェーが、ロビンソン・クルーソーの物語と自身の体験を寓意に織りこんだノーベル文学賞受賞記念講演。2003年12月、ストックホルムでクッツェーはこの講演を行ない、聴衆を大いなる疑問符のなかへ置き去りにした。その全文を、日本の読者に初めて紹介する。

クッツェーのノーベル賞受賞後の短編三作(ノーベル文学賞受賞記念講演を含む)。エッセイ的な短編でクッツェーの胸のうちを解禁したようなところがあるような。

「スペインの庭」

解説によると「スペインの庭」はヨーロッパ人の富裕層の別荘になっているような土地だ。例えば中国人がその経済力で日本の安い土地を買い占めるような。それは南アフリカ出身の白人として安全性を求めるにはオーストラリアに移住することのようなものなのかもしれない。

南アフリカのアパルトヘイト政策に反対を表明してきたが、マンデラの改革は不徹底に終わった。それは自由の代償と共に新自由主義の経済政策に覆われてしまったからだ。それは差別される黒人を解放するものでもなく、ますます広がる経済格差の中で安全性を求めるには他の土地に移住するしかない。それはスペインやオーストラリアのような僻地な土地の場所であり国家によって安全性は保証されている。自由主義経済圏だからなのだが、その中に貧富の差が広がっている。

その中で自活するためにスペインの家を買い、自分で修復しながら住んでいるのだが、どことなく作家の後ろめたさが出てくる話。

「ニートフェルローレン」

「ニートフェルローレン」は合衆国(アメリカか?)の友人たちとかつて住んでいた南アフリカを再訪する話で、古い写真を見ながら石垣で囲まれた脱穀場を懐かしむが、その場こそかつてのアパルトヘイトの象徴なのだが、そこに良き農業の伝統がありそれは悪いものでもなかったかもと想像する。その後にやってきた新自由主義の解放政策は、新たな貧富の差を作り出しただけではなく、そうした昔ながらの農業生活も破壊して行った。幾分センチメンタリズムの話なのだが、自然の生業の農業的生活から資本主義的な工業的な生活の中で、例えば鉱山なんかで奴隷状態に従事する人々がいるのだ。鉱山に限らないが工場システムというような資本主義システムが作動している。

「彼とその従者」

クッツェーのノーベル文学賞受賞記念講演なのだが、わかりにくいのは「ロビンソン・クルーソーの物語」の寓話を語る。例えばそれを奴隷のフライデーの側から語るのはすでにミシェル・トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』を読んでいるだろうから、さらにその先の問題としてそうしたフライデー側を弾圧していくロビンソン・クルーソーについて語る。それはクッツェーの中に潜む二面性として我々が考えなければならない物語かもしれない。自由主義の代償としての経済格差問題は自由を求めるがゆえに貧しい者たちを支配していく。


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