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熊より恐ろし人間はどこにでもいる

『熊は、いない』(2022年/イラン)監督・脚本・製作・主演:ジャファル・パナヒ 共演:ナセル・ハシェミ、バヒド・モバセリ、バクティアール・パンジェイ、ミナ・カバニ


イランの反体制映画監督が 国境の村にやってきた
イラン政府から20年間の映画製作禁止と出国禁止を言い渡されているパナヒ監督は、国境の先のトルコで新作の撮影中。監督自身はイランの国境の村に留まり遠隔演出を試みているのだが、ある時、彼の行動が村をゆるがす騒動を引き起こす。企みに満ちた人間探求映画。

先日観た『君は行く先を知らない』の監督の父親の映画。父親はイラン映画の存在を世界に示したキアロスタミの系譜で、素朴なイラン人の情景の中にキアロスタミの頃よりもナショナリズムが目立っている映画を撮っている。

この映画の面白さと複雑さは監督自身がイランでは上映禁止の処分を受けている中での映画製作なのだ。その手法を伺えるドキュメンタリー的なメタ映画となっていて、私小説映画なのだが、その映画の舞台裏を見せるフィクションとなっていることだ。こう書くとややこしいのだが、映画もややこしい。息子の映画のロードムービーの単純さではなくて、大江健三郎の私小説を超えるメタフィクション私小説というような、何言っているのか難しいだろうな。

映画のメタフィクションであるわけで、これはフィクションなんだが、監督の映画製作の舞台裏を明らかにしているわけで、その中に今のイランの政治状況が伺える作りになっている。それはイランでも寒村のイスラムの伝統がある村での出来事。それは結婚が本人の意志ではなく、幼いときに生まれたときから決定づけられており、女性は人権的に扱われていないという問題を浮き彫りにさせる。それは家畜同様に家のために存在する家父長制の一番の問題である、奴隷状態というのに相応しいのだ。そしてイラン政府批判を続ける映画監督は、その村にやってくるのだが、その村は産業もなく寒村であるがために密輸や国外逃亡を助ける国境近くの村だったのだ。

その村のある家に世話になるのだが、そこの人は豆々しく世話をしてくれるのだが、監督が要注意人物であるために村人の結婚式の騒動に巻き込まれてしまうというメインのストーリーがあり、監督が国外逃亡できない恋人の悲劇を撮っているという映画内映画のストーリーがあり、それがラストで見事に重なり合うのだ。その展開が実に見事であり、監督の映画の方はセミドキュメンタリー風の映画になっていて、監督本人が主演しているそのままに映している。多分に今のネット社会ならではの映画作りで撮影方法も現代的ななのだ。例えばノートパソコンを観ながらその現場にいなくともネットを使って指示を出す。そのときにWi-Fiの電波が弱いとか届かないという不自由さもあったのだった。それも政府に盗聴されているかもしれないな。

何より村の掟と自由主義の若者や監督の葛藤が描かれている。それは恋愛映画の場合には悲劇になるのは鉄板ストーリーだろう。それを監督の掟村潜入記(ETVあたりで放送するならそんなタイトルが付くかもしれない)と映画内映画は移民者とイラン人のラブストーリーとしての悲劇を描くのだった。特に女優がフィクションとノンフィクションに違いについて抗議するシーンは、見事というか女優は国外逃亡したくないのだ。それをリアルに抗議させているシーンは女優の本音なのか、監督の演出なのか、わからないほどの迫真の演技になっている。それは監督に対しての批評であり、監督の自己内批評でもあるからだった。イランから国外逃亡をしない理由はそこに垣間見れる。ただそういう状況すべたがイラン政府に通じているという検閲の凄さを感じるような作りなのだ。現在はどこにいるのか気になる監督である。


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