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皇居前広場に行ってみたくなる本

『完本 皇居前広場』原武史 (文春学藝ライブラリー)

明治時代にできた皇居前広場は天皇、左翼勢力、占領軍によって、それぞれの目的のために使われた。定点観測で見えてくる日本の近代。
罹災民であふれ返った関東大震災。白馬に乗った天皇が二重橋に登場、国民嗚咽したシンガポール陥落。「血のメーデー事件」ではデモ隊と警察が衝突し、平成に入ってはYOSHIKIが奉祝曲を奏で、EXILEが踊った―。「日本の中心」から浮かび上がる新しい政治思想史。
目次
第1章 皇居前広場とは何か
第2章 「無用の長物」―第1期
第3章 天皇制の儀礼空間として―第2期
第4章 占領軍・左翼勢力・天皇―第3期
第5章 空白と復興と―第4期・第5期
第6章 再論・皇居前広場とは何か
補論 田植え歌からYOSHIKIまで―天皇制と音楽をめぐって

世界最大と言われる天安門より広い広場がありながら、公共の広場と利用されることがなく(かつては利用されたようだが)市民の目から隠すように存在するのが皇居前広場だという。それは東京の観光案内にも載ってなく、近年は天皇を中心とした行事だけのために存在する空っぽの広場だという(バルト『表徴の帝国』)。その皇居前広場の使われ方の歴史を紐解いた書で面白かった。明治天皇は京都御所に愛着があり見向きもしなかった。大正天皇も他の避暑地で過ごすことが多かったが積極的に観覧を行ったのが昭和天皇だという。

それは皇太子時代にヨーロッパに視察に行き、君主の威厳的閲覧する姿を見せて国民の中に君主の権力を目に見える形にするということがあった。それから天皇を現人神として拝見する形になっていくのだった(白馬に乗った王子様的な)。占領時代は米軍やイギリス軍のパレードとして使われ(外国の軍隊の記念式典)、一時期はメーデーも行われたが、米軍が朝鮮戦争に関わるようになると赤狩りの影響でメーデーは取り締まることになったという。その騒乱が「血のメーデー」事件で、それ以後は公用の広場としての使用はなくなっていくのだが、最近はまた天皇制復活のデモンストレーションのように使われているという(安倍内閣からか?)。

メーデーでは50万の市民が集まったという。占領時代も天皇の閲覧とか有志で行われたがせいぜい一万人ぐらいだという。占領時代には米軍兵との恋を語り合う場になり、その後市民の愛の秘密のデート場所になっていたという。そういう場所が神聖の場として再び成っていくのが「血のメーデー」事件以後に天皇の広場として利用されていくのだ。象徴天皇制という憲法の理念は、形だけのものになりつつあるのは、未だに天皇を現人神のように祀った影響があるからだ(それを「国体」という)。近年天皇制の復活行事的な使われ方が多くなてきたという。

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