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中也は絶望しながら歌っていた

『中原中也――沈黙の音楽』佐々木 幹郎 (岩波新書)

存在の不安がみなぎる作品の数々は、どこからきたのか。生誕一一〇年、没後八〇年。最新資料から見えてきた、詩人の知られざる息づかい。

詩人であることの幸福と不幸。近代日本を代表する詩人の、自らへの自負と揶揄、表現者としての存在の不安がみなぎる作品の数々は、どこからきたのか。宿命のように降りてきたのは、雪か、歌か。その歌はどこへ消えていくのか。新発見資料から読み解く、立体的な、まったく新しい中原中也像の誕生。
目次
第1章 無限の前に腕を振る
第2章 「大正」という時代
第3章 関東大震災の以前と以後
第4章 「歌」の発見
第5章 『山羊の歌』から『在りし日の歌』まで
第6章 誰にどのように読まれたいか

中也の詩の遍歴や技法がわかりやすく、詩の勉強にもなった。母の影響で短歌から始めて、宮沢賢治も短歌から口承的な童話や詩を書いていたのは中也との共通性を感じる。それは短歌で培ってきた歌という口承性なのだと思う。

関東大震災でダダに走り、けっこう影響されやすい中也だ。まあ東京のモダン都市が一瞬に崩壊していくのだから感性鋭い人はそれまでの秩序的なものはぶっ壊さなければとなったのかもしれない。

冨永太郎の手引でフランス象徴詩に目覚める。冨永太郎からフランス語を習うのだがフランス象徴詩の手引もあったようだ。中也の周りにはそういう才能ある人が集まっていたのだった。小林秀雄もその一人だが。

小林秀雄と長谷川泰子の三角関係で人生の敗北感を味わい、歌に目覚める。詩だと書き言葉中心だが、中也は歌の口承性に注目したのは短歌の素養があったからだろうか?小林の論理に対抗するのもあったのかもしれない。歌は論理だけでは作れない。民謡のような大衆性みたいなものに惹かれていく。民謡も作っていたとか。中也の詩の口承性と共にわかりやすは使い込まれた言葉を使うというのがある。インテリの外国語の翻訳言葉や専門用語ではなく、民謡になりそうなしなやかな言葉とリズム。それと音数にも拘って、行分けやリズミカルに配置したとか、リフレインの多様とか、歌のような詩で注目を浴びた。中也の詩の朗読は独特な中也調というようなものがあったとか。オノマトペの多様とか(それも中国語やロシア語だったり)。やっぱ小林秀雄の論理的文学に対抗意識があったのかもしれない。

息子の死によって「沈黙の歌」というような絶望感に取り憑かれる。雪の歌。この頃の詩は宮沢賢治が妹を亡くした時のような研ぎ澄まされた詩を書いている。精神をきたすほどになったとか(精神病院に入れられた)。衰退しきった姿で小林秀雄に詩の原稿を渡すとか出来過ぎなストーリーだった。

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